3章
「あのー、間桐桜さん、いますか?」
放課後、がやがやと喧騒の残る廊下を越えて、俺は昨日の約束どおり桜を迎えに2年の教室にやってきた。
「先輩、迎えにきてくれたんですねっ」
呼び出しを頼んだ生徒が呼ぶ前に、桜は嬉しそうに俺の方に走ってきた。
「ああ、昨日約束しただろ、一緒に帰ろうか」
「はいっ、今かばんを……ね、姉さんっ!」
桜は、俺の影に隠れていた遠坂に気づくと驚きの声を上げた。
「あら、随分と慌てるのね、桜。 わたしに対してやましいことでもあるのかしら?」
「ね、姉さん……もう先輩に話したんですか?」
「ええ、さっきね。
どうやらわたしが『士郎に内緒にする』って相談したのをいい事に好き勝手やってくれたみたいじゃないの」
「え〜と? 何のことでしょうか? ただ一緒に夕飯の買い物をしただけですけど」
ん?もしかして。
「桜は遠坂がテスト勉強に専念してるって知ってたのか?」
「はい、しばらく先輩の家に行かないつもりだから、くれぐれも手を出すな、と釘を刺されていたんです」
「でも一日で学校中の噂になるほど派手に手を出してたようだけど?
全く油断も隙もあったもんじゃないわね」
ははっ、昨日の桜の腕組みは俺と噂になるための策略だったというわけか……
「せ、先輩っ! 私はそんなに計算高い女じゃありません。信じてください」
形勢悪しと見たか、桜は瞳をうるうるさせて俺を見上げてきた。
―――うっ、この視線に弱いんだよな。
「信じてください……」
「うっ、うん。信じる、信じるよ。なぁ遠坂、いくらなんでも桜がそこまで考えるとは思えないぞ。深く考えすぎだろ」
ぱぁっと明るい表情に変わる桜、と対照的にあっちゃーって顔をする遠坂。
「……もういいわ、士郎は絶対政治家にはなれないわね。アンタはもう少し権謀術数ってモノを学んだ方がいいわよ」
深いため息をつきつつも「帰りましょ」と俺達を促す。
俺達は久しぶりに3人並んで校門を出た、目指すは商店街、今日から夕食の人数が増えるだけに買い物は外せないのだ。
「それじゃあ、今後の方針だけど、今日から士郎の家に泊り込むってことでいいかしら?」
「ああ、俺は問題ない。でも俺の家に来れば遠坂は楽になるのか?」
「もちろんよ、家事をやる必要がなくなるし、セイバーの話し相手も必要でしょ。その分ちゃんと寝るつもりよ」
普段テスト勉強なんてしない遠坂なら、ちょっとだけ勉強すれば一成に勝てそうなものだが、遠坂はそうは思っていないらしい。
「もちろん勝つときは『Perfect Win』よ。完全勝利以外は勝利じゃないわ」
遠坂は全ての教科で徹底的に差をつけるつもりだ。これじゃあ標的にされた一成が気の毒にさえ感じる。
「そういえば桜は勉強しなくていいのか? ん? っていうか、桜って成績どうなんだ?」
「私ですか? そうですね、私の学年には柳洞先輩はいませんから、無理して勉強する必要はありません」
慌てず騒がず、桜はニッコリと笑顔でそう告げた。
つまりソウイウコトだ。さすが遠坂の妹、2年に桜のライバルはいないらしい。
「でも今回のテストは少し自信がないんです。
だから私も先輩の家で勉強合宿してもいいですよね」
「ちょ、ちょっと。桜が勉強する理由なんて無いでしょ? アンタ学年トップなんだから」
「あら姉さん、実は今回のテストは本当に自信がないんです。
ですから先輩に勉強を教えてもらえたらなー、なんて思ってるんですよ」
「士郎があなたに教えられるわけないでしょ!
成績中の下、得意教科なし、モノを修理するしか能がない男なのよ、コイツは」
と、遠坂よ、それはあんまりだろ……
「それなら私が先輩に教えてさしあげます。
とにかく、姉さんだけ泊るのは許可できません。私も泊らせて貰いますから」
さ、桜よ、それもあんまりだろ……
「わかったわよ……
どうせセイバーも泊ることになるだろうし、桜も一緒に勉強合宿しましょう。
その代わり、少しは私の手伝いもしなさいよね」
「はい、もちろんです。先輩、一緒に勉強しましょうね」
二人とも、俺の意見は……?
遠坂と桜は俺のことなんか気にも留めず、二人で買い物を楽しんでいる。
あれもこれも、ポイポイとスーパーの買い物かごに放り込む。
―――金、足りるかなぁ。
久しぶりの5人の食卓、しかも食獣ふたり、次々と一杯になっていく買い物かごに、俺の不安は増すばかりだった。
「士郎、電話貸してもらっていい?」
我が家に着くと真っ先に遠坂は電話に向かった。
「いいけど、誰に電話するんだ」
「セイバーよ。テストが終わるまでここには来ないよう言ってあるから呼んであげないと。
着替えも持ってきてもらわなきゃならないし」
言うが早いや、遠坂は電話をかけ始めた。
多分相手はセイバーだろう、二、三、話をしてすぐに電話を切った。
「セイバー今から来るって。士郎、美味しい食事の用意をお願いね。
わたし、部屋で勉強してるから、夕食の時間になったら呼んでちょうだい」
かつて知ったる他人の家。遠坂はすぐさま馴染みの客間に篭ってしまった。
「先輩、セイバーさんが来るなら、いつもよりかなり多めに作らなきゃいけませんね」
「そうだな、セイバーが来る前に下ごしらえを済ませておくか」
俺と桜がエプロンをつけて台所に入った瞬間だった。
ピンポーン♪
チャイムが鳴った、セイバーにしては来るのが早すぎる。先ほど遠坂が電話してからまだ10分も経ってない。
来客だろうか? 仕方ない、と包丁を置いて玄関に行こう、と思った瞬間、廊下を歩く音が聞こえた。
―――なんだ、やっぱりセイバーか。
セイバーはチャイムを押した後、そのまま入ってくる。
他のヤツラはチャイムなんて鳴らさないし、唯一チャイムを鳴らす桜はここにいる。
ドタドタドタ
ん? 普段は音を立てず歩くセイバーにしてはやけに慌てているな。
なんて考えていると、次の瞬間居間に飛び込んできたセイバーがそのままの勢いで俺の胸に飛び込んできた。
「シ、シローーーーーー、会いたかった」
いきなりの事にビックリする俺と桜。
「セ、セイバー。 ほ、包丁持ってるから。あ、危ないから」
「セ、セイバーさん! ちょっといきなり先輩に抱きつかないでくださいっ……は・な・れ・て・下さいっ!」
隣では怒り狂った桜が俺とセイバーを引き剥がそうとしている。
しかしセイバーは意に介せず、そのまま話を続ける。
「シロウ! 聞いてください。
私は初めて凛をマスターに選んだことを後悔しました」
「えっ?」
なんだかやぶさかではない勢いだ。遠坂が何か酷いことでもしたのだろうか?
「聞いてください!
凛は勉強に専念する為、と言って、朝は抜き、昼はかっぷらーめん、夜はこんびに弁当、これは兵糧攻めでしょうか?
何ゆえ、己のマスターから兵糧攻めを受けなければならないのですかっ!」
―――ああ、そういうことね。それはありえる。
「しかもですよ。シロウに会ってはならない、と自分で決めておきながら、アッサリと折れるのはどういうことですかっ!」
―――ああ、それもそうだね。俺もそう思うよ。
「私はもっとシロウに感謝するべきだった。失ってみて初めてわかる、シロウ、会いたかった」
そのまま俺の胸に顔をうずめるセイバー。
「そうか、それは辛かっただろうセイバー、食事は正にセイバーの生命線、遠坂には今度ちゃんと言っておくから」
「ありがとうございます、シロウ」
感動のシーンなのだろう。隣で見ている桜も呆然としている。
―――呆然?
「……二人とも、いつまでこんな所で抱き合っているんですか? このままだといつまで経っても夕飯が作れないんですけど」
―――桜は呆然ではなく憮然としていたのだった。
「も、申し訳ありません。シロウの食事に会えると思うと嬉しくて、つい……」
俺の食事なワケね、俺じゃなくて。
「じ、じゃあセイバーは向こうで待っていてくれよ。美味しい食事を作るからさ」
恥ずかしかったのか、セイバーは大人しく居間へ戻っていく。
が、ピタと止まると、思い出したかのようにこちらを振り向いた。
「シロウ、わかってるとは思いますが、私は美味しい食事に飢えています。
もし、今日の夕飯に私が満足できなかったりしたら……」
ゴクッ
「したら……?」
「このタイガより預かった虎竹刀が血に塗れる事だけはお約束しましょう」
ニヤリ、と寒気のする笑みを浮かべるセイバー。
言いたいコトを言えたのか、セイバーはそのまま居間へと帰っていった。
―――食い物の恨みって……怖い。
セイバーの言葉にプレッシャーを感じながらも、俺と桜は夕食を作り終えた。
ちょうどその頃藤ねえも帰ってきて、久しぶりに5人での食事となった。
「へぇー、3人とも今日からここに泊るんだ、いいないいなー。
じゃあ、私……」
「言っておきますが、藤村先生はダメですよ」
「えーっ、なんでなの、遠坂さん意地悪しないでよぅ」
「別に意地悪じゃありません、先生は3年の英語の問題を作ってるんでしょう?
ならテスト期間中は生徒と一緒に泊るのは避けるべきだと思います」
ぶーっと頬を膨らませて藤ねえは不満をあらわにしている。
どうやら遠坂は試験問題云々よりも、勉強の邪魔をされそうなのが嫌みたいだ。
「ねー、士郎は別にいいと思うでしょ?」
藤ねえが俺に話を降ってきた、勘弁してくれ。
俺はチラリと遠坂の方を覗き見る。
―――ジロリ
負け。藤ねえごめんっ。
「えっと、俺も遠坂の意見に賛成かなー、なんて」
「さ、桜ちゃんはっ!?」
「私は別にいいと思いますけど」
藤ねえの表情がパァッと明るくなる。
しかしそこに間髪入れず横槍を入れるあかいあくま。
「じゃあセイバーはどう思うの?」
久方ぶりの美味しい食事を楽しんでいるセイバーは、どうでもいいといった感じで返事をした。
「どちらとも。ガッコウがどんなところか私には分かりませんので」
もちろん箸を止めるような愚は犯さない。さすがはセイバー。
「反対2、賛成1、無効1。
以上の結果を持ちまして、藤村先生の合宿参加は見送られました」
無慈悲な裁判官だ……ごめんな藤ねえ。
「うわーんっ!
遠坂さんのいじめっ子ーーーーーーーっ!!
士郎のばかーーーーーーーーーーーーっ!!」
判決を聞き終えると、絶望した藤ねえは負け台詞を響かせて走り去った。
「ふ、藤ねえっ!!」
パクパクパク。
モグモグモグ。
バクバクバク。
「お前ら、何でそんな冷静に飯食ってんだ。藤ねえが心配じゃないのか!?」
パクパクパク。
「大丈夫でしょ。まだご飯残ってるし、すぐに戻ってくるわよ」
モグモグモグ。
「そうですよー、先輩は藤村先生に過保護すぎます。お腹が空いたら戻ってきますよ」
バクバクバク。
「シロウ、いなくなったタイガの分は私にお任せください」
お前ら鬼か……
食事が終わって遠坂は再び客間に戻っていった。
桜は居間でノートを広げて勉強をするつもりらしい。
残った俺とセイバーは久しぶりに道場へ向かった。
そして1時間ほど汗を流した後、居間へ戻ると
「考えてみたらまだ試験問題が出来てないのよねー、これから学校へ行って作らなきゃ」
などと悪びれず藤ねえが食事をしていた。
3人の言うとおり、お腹が空いたから戻ってきたようだ。なんて単純な……
帰っていった藤ねえを見送った後、俺は遠坂の様子を見に行った。
―――少しだけなら邪魔にはなるまい。あまり根を詰めすぎるのもまずいと思う。何せアイツは今日倒れているんだから。
「遠坂? 入っていいか?」
コンコン、とノックをして返事を待つ。
親しき仲にも礼儀あり、例え恋人同士でも部屋に入る時はノックしないとまずいのだ、特に遠坂の場合には。
「士郎? どうぞ」
ガチャリとドアを開けて部屋に入る。
遠坂は予想通り机に向かっていた。
「遠坂、あまり無理をしすぎるなよ。ただでさえお前は今日倒れてるんだから」
「わかってる、今日は2時くらいには寝るつもりよ。
せっかく士郎の家に来てるんだから、無茶はしないわ」
俺は持ってきた冷茶を遠坂に渡し、一息ついてもらうことにした。
「ん、ありがと」
「他に何かして貰いたいことあるか?」
「そうね、今すぐにはないけど。
11時くらいに小腹が空きそうだから、何か軽いものでも作ってくれると嬉しいかな」
「分かった、11時だな。魔術の訓練が終わったら、軽いお茶漬けでも作ってくるよ」
「ん。ごめんね、魔術の方は見てやれなくて」
「大丈夫さ。ちょうどいい復習だと思ってる。テストが終わったらじっくり教えて貰うよ」
遠坂は、ふふっ、と嬉しそうに笑いそのまま冷茶を飲み干した。
勉強を再開する合図だ。
俺はコップを受け取ると、そのまま客間を後にした。
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