季節は夏、教室から見る外の日差しは、まるで親の仇のようにグラウンドを照らし続けている。
例年よりも短かった梅雨も明けて、高校生活最後の夏がこれから始まろうとしているのだ。

俺にとって、今年の夏は去年までとは幾分様子が違っていた。
もちろんやらなければならない事はいくらでもあるし、遊んでいる暇などないのかもしれない。

それでも、今年の夏休みはアイツがいる。

楽しい事なんて知らなかった俺と、そんな俺をハッピーにすると誓ったアイツ。
他のみんなも交えて、最後の夏休みを心に刻み付けられたらいいな、なんて漠然と考える夏休みの前の物語だった。






夏休みの前の物語 1章




「……では、今日のホームルームはこれまで」

いつの間にか鳴っていたチャイムと共に、担任の声が放課後を告げていた。
どうやらボーっとしていたらしい。教室とはいえ暑さは相当なもの……夏ボケだろうか。

「ごめん、士郎。先帰るね」

俺の後ろの席をすり抜けて、遠坂は足早に教室を出て行った。
ここ数日、遠坂はずっとこんな感じだ、別に喧嘩をしているわけではないのだが……。

それと入れ違いで一人のクラスメートが俺の席に近づいてきた。

「衛宮? 遠坂はどうしたのだ? やけに急いでいるようだったが」

一成はすれ違った遠坂が急いでいるのが気になったらしい。

「アイツ、最近ちょっと忙しいらしい。俺も詳しい事は聞いてないんだけどな」

「ふむ、忙しいというよりも機嫌が悪いという感じだったがな、あれは」

……? 別に機嫌が悪いわけじゃないと思うんだが。
今日だって一緒に弁当を食べたし、特に変わりはなかった。

3年になって、間に挟まれる俺の事を考えたのか、一成と遠坂の犬猿の仲はある程度解消されていた。
たまにはバチバチやりあうけど、それは以前のように嫌悪からではないのは一目瞭然なのである。

「いいねぇ、進路が決まってるヤツらは。さっさと家に帰ってゆっくりできるんだからさ」

皮肉げに近づいてくるのは、もう一人の友人だった。

「そういう美綴は家に帰らないのか?」

「あたしゃ悲しい受験生だからね、これから涼しげな図書館で勉強でもするつもりだよ」

おどけたようにそう告げた美綴だが、部活と受験の両立に実際少し疲れているのだろう。
先ほどの続きとばかりに口をとがらせて愚痴を言ってくる。

「衛宮も柳洞もいい身分だよな……まったく、もうすぐ期末テストだってのにさ」


「むっ? 美綴は確か大学受験をするのだろう? ならば期末テストなど俺達以上に必要あるまい」

一成らしい正論だ。
確かに受験生にとって学校の定期試験など重要ではないのだ。必要なのは受験の知識のみ。
現にクラスメートの中にも授業などそっちのけで大学の試験問題集をやっている者もたくさんいる。

「甘いっ!  死ぬほど甘いっ! 柳洞、アンタの意見は表面しかついてないのよね……
私みたいな推薦入学狙いには、内申に響く期末テストこそが勝負どころなのっ。お分かり?」

美綴はビシッと人差し指を一成の目前に突き刺し、声高らかに宣言した。
その良く響く声は教室中に響き渡り、俺達は一身に視線を集めてしまう。……少し恥ずかしかった。

「第一、柳洞は期末テストの勉強なんて必要ないでしょ? 卒業したらお寺を継ぐんだから」

先ほどよりも一オクターブ低い声が響き渡る。

「まったく……アンタみたいに成績が関係ないヤツが中間テストとか期末テストでいい点取るからあたしの点数が全然上がらないのよ!」

それは責任転嫁というものでしょ、美綴さん。

「柳洞?アンタ聞いてるの?
―――そうだっ!ね、今度の期末、テスト勉強しないで受けてみなよ。どうせ成績は関係ないんだからいいでしょ?」

一成の成績が落ちたからといってアナタの成績が上がるわけじゃないでしょ、美綴さん。

そんな美綴の歪んだ願いも一成の嫌味のない返答のおかげでサラリと素通りしてしまった。

「ふむ、そうは言われても俺は元々テスト勉強などしたことはないのだが?」

「なっ!」
「げっ!」

「第一、期末テストというものは普段の勉強の成果を試す試験だろう。
テスト前に急いで勉強するのは本末転倒というものだ」

相変わらずの正論っぷりに、我らおちこぼれ二人は呆然としてしまう。
そういえば遠坂もテスト勉強なんかしないって言ってたな……なんと世の中の理不尽な事よ……世界人類皆平等なんてのはありゃ嘘だ。

「そ、そう。柳洞くんはテスト勉強なんてしないって言うんだ?
それでいつも一位とか二位とか取っちゃうってことね」

あ、やばい。隣の人がプルプルしてる。

「いや、口惜しい事だが俺は滅多に一番は取れん。
この前の中間テストが久しぶりだな、遠坂に勝てたのも」

3年ぶりという勝利に嬉しそうな一成を尻目に、俺は静かに鞄を手に取る。
もはやここにこれ以上留まっている理由はない―――いや、むしろ早急に離れるべきだろう。

「一位も二位も変わらないんじゃないかしら、贅沢な悩みですコト……
柳洞くんはすごいのねぇ〜―――ホントッ、私がこんなに勉強してるのにいい度胸だわっ!!

―――ダッシュ!!

み、美綴!な、何を怒っているのだ!? え、衛宮。貴様何処へ行くーーーっ!

二人を置いて俺はいち早く教室を後にする。背中に哀れな子羊の断末魔が聞こえるが止まるわけには行かないのだ。

ふぅ、とため息をつきつつ下駄箱で靴を履き替える。

―――全く一成の天然っぷりにも困ったものだ。少しは周りの雰囲気も考えてほしい。

玄関口からグラウンドが見える。照りつける太陽と立ち上る湯気、そう、今は高校3年の夏なのだ。
俺だってまかり間違えば美綴のように勉強に励んでいたかもしれない。

卒業後に進む道の決まっている俺には今さら勉強の必要はない。よほど悪い点を取らなければいいのだから気楽なものだ。

「頑張れよ、美綴……」

俺は少しだけ美綴に同情しつつ昇降口を歩み出た。


「美綴部長がどうかしたんですか? 先輩」

玄関口に向かう俺に、横からひょっこりと桜が声をかけてきた。

「桜? これから帰るのか?」

「はい、今日からテスト休みです。 それで……せっかくですから一緒に帰りませんか?」

少し俯き加減に話す桜の額には汗がにじんでいた。
俺は少しだけ後悔した。こんな事ならすぐに教室を出ればよかったのだ。

「ああ、そうだな。せっかくだから夕食の買い物でもしてから帰ろうか。
それと桜―――」

「はい?」

「部活がないなら明日からも買い物に付き合ってくれないかな?ほら、二人で買い物した方が料理を作る時楽しいだろ?」

「は、はいっ、喜んで!」

「だから―――
明日からは涼しい教室で待っていてくれればいいからさ」

「……はい」

バツが悪そうに下を向く桜。
俺はポンッとその頭の上に手を載せてあげた。

今日から部活が休みだって言うのは、昨日の夕食の時に聞いていたんだ。
だったらちゃんと迎えに行ってやればよかった。
これからの間、桜とできるだけ一緒に帰ってあげよう、ってあの時に決心したのだから。

「あ、あのー、先輩? 姉さんはいいんですか?」

「桜は3人で買い物の方がいいのか?
でも、最近アイツ、授業が終わると真っ先に帰ちゃうんだよな」

なにか大掛かりな魔術の実験でもしてるんだろ、なんておどけてみせる。
実は、俺にさえ何も告げてくれないのは少し寂しかったりもするのだ。

3日前から魔術の講義も中止、俺の家にも来ていない、学校でもあまり話をしていない。
別に避けられているわけじゃないけど、さすがに何をやっているのか気になるのは当然だろう。

「あ、そういう意味じゃなくて、私と二人で帰って姉さんは怒らないのかな、って」

「ああ、なんだ、そんな事を気にしてたのか。
桜と帰りたいと思うのは俺の方だし、第一遠坂がその事で怒るはずはないさ」

なんだかんだ言ってもアイツは桜に甘い。まぁ浮気をしたらさすがに怒るとは思うが。

「そ、そうですよね。ここにいない姉さんが悪いんですものね。
そんな事を気にするなんて、私もまだまだ甘いですね」

えへっ、と可愛げに舌を出す桜。
―――ん? なんかちょっと違う気もするけど、まあいいか。

「じゃ、行きましょ?先輩」

桜はいきなり俺の手をとり、校門へ向かって走り出した。

さ、桜! 急にどうしたんだよっ、手、手、手を繋ぐと目立つだろっ

体勢を崩してなす術もなく桜に引っ張られる俺。
周囲から見ると、さぞ仲の良い兄妹に見えることだろう……
ほら

「ねえねえ! あれって衛宮くんじゃない? 遠坂さんと付き合ってるって有名な」
「あら、ホント? 今度は違う娘と手を繋いでるわよ。三角関係かしら?」
「間桐さんが男と手を……!? 誰だよ、相手の男は!」
「え、衛宮……! 遠坂さんだけでは飽き足らず、桜さんまで手にかけるとはっ!」

なんか、あらぬ誤解を招きまくってるような……

「ここにいない姉さんが悪いんですよ、今日は二人でデートして帰りましょうね、先輩♪」

横に追いついた俺にそう告げると、間髪いれず俺の腕に抱きついてきた。


「オォーーーッ」
「きゃーーーっ」



響き渡る男どもの叫び声と女子の歓声。俺達は間違いなく校門周辺の視線を独占中だ。

桜も少し恥ずかしいのだろう、わずかに頬を染めている……俺の方が100倍真っ赤なのは間違いないが。

「さ、桜っ。ココ校門だぞっ、目立ってるぞっ」

「はい、目立ったほうがいいんです」

なんでだーっ!

「さ、桜っ。お前の知り合いもいるんじゃないのかっ」

「はい、クラスメイトがちらほらといますね。関係ありませんけど」

―――っ。

関係ありませんけど、か。
桜はいつの間にこんなに積極的になったのだろう。以前は俺よりも目立つ事を嫌っていたほどだったのに。

もちろんそれ自体は悪い事じゃない、ポジティブな桜は以前よりずっと魅力的だ。
これなら友達だっていっぱいできるだろうし、その……好きな男も出来るかもしれない。

でもそれは今じゃない。

少しだけ嫉妬心もあったのだろう、俺は桜の積極性をちょっとだけ分けてもらい声をかけた

「―――桜。そんなにくっついて暑くないか」

「はい、大丈夫です。先輩は?」

「俺は大丈夫だ。
そうだよな、商店街へのデートもたまにはいいもんだ」

夏の日差しは暑かったけど、俺は少しだけ桜に身を寄せた。
そしてより一層嬉しそうな桜の顔が、少しだけ恥ずかしくて……嬉しかった。








「ただいまー」

桜との買い物を追え、家に着くと既に涼しいと感じられる時間だった。
声をかけたのは鍵が開いていたから。もしかしたら久しぶりに遠坂とセイバーが来ているかもと期待したのだ。

「おかえりー、やけにゆっくりだったんだねー」

まぁ期待とは裏切られる為にあるのだが……

「藤村先生、すぐに夕飯の準備を始めますから待っていてくださいね」

桜は手早くエプロンを装着し、買ってきた食材を取り出す。
今日は暑かったので涼を取ろう、とそうめんを買ってきたのだ。

「士郎ー、今日は暑かったから涼しいの食べたいなー」

今考えてたところだし。

「わかってる、今日は桜と相談してそうめんにしたんだ、量もあるから安心していいぞ」

桜には麺を茹でてもらって、俺は具とたれを作り始める。
もちろん衛宮家のそうめんは、ただのそうめんではない。飢えた虎のためにお腹にズシンと来る味付けが必要なのだ。

「先輩、何人分茹でますか?」

「そうだな……一応5人分頼む。余っても藤ねえが勝手に食うだろうし」

「はい。今日は姉さんとセイバーさん、来るといいですね」

別にみんなで夕食を食べる約束をしているわけではない。
ただ気づいたら一緒に食べるようになっていただけだ。
それでも3日も続けば心配になる。忙しい、とはなんなのか?俺ぐらいには教えてくれてもいいだろうに……少しだけ頭にくる。

「明日、聞いてみるか……」

忙しいなら電話は気が引ける、明日の昼にでも聞いてみよう。
そんな事を考えつつ、出来上がった『衛宮邸デラックス蒸し鶏ゴマダレそうめん』は最高に美味しそうだった。






「うわー、士郎のそうめんは久しぶりねー」

ゴロゴロとテレビを見ていた藤ねえは、俺と桜が居間へ来るとシュザッと自分の席へついた。

「まあ、夏しか作らないからな」

そういえば1年ぶりか……去年の今頃は何をしていただろう? 全く覚えがない。
魔術の鍛錬をして、学校へ行って、体を鍛えて、後は何をやったっけか?


「ねーねー、最近遠坂さんとセイバーちゃんが来ないけどなんかあったの?」

「遠坂のヤツ、最近忙しいんだってさ。アイツ、凝り出すと止まらないから、まだ学校に来てるだけマシかもな」

「ふーん、絵にでも集中してるのかなー、んでセイバーちゃんはそれにつき合わされてる、と」

「そ、そうかもしれませんねー、姉さんも大事な時期ですからね」

桜の微妙な相槌が続く。
そういえば藤ねえだけは俺達の秘密を知らないのだ。

「むっ、新たなそうめん発見っ。士郎、あれ食べてもいいんでしょ?」

「ん?ああ、遠坂たちの為に作ったけど、来ないから食べちゃってくれ。そうめんは残すと味が落ちるしな」

「了解っ。桜ちゃん、蒸し鶏とゴマダレのお代わりちょうだいっ」

「はい、藤村先生どうぞ」

このまま知らないほうが幸せなのかもしれない、このまま隠し通すのは悲しい事なのかもしれない。
どちらが正解かはわからない、それでもロンドンに渡る前に藤ねえには話しておきたいと思う。

遠坂は反対するだろうけど、きっと問題はない。
藤ねえはきっとこう答えてくれるに違いないのだから。

「なに、それがどうしたの?」って。






夕食も終わり、俺は今いつもの土蔵にいる。
藤ねえはテスト問題がまだ出来てないとかでさっさと帰っていった。これからまた学校に行かなくてはならないらしい。
桜も一応勉強をしなくてはならないらしく、藤ねえと一緒に帰っていった。
俺はというと、本来なら遠坂に魔術の訓練をして貰う時間がぽっかり空いてしまったので、少し早めの一人訓練となったのだ。

いつもの訓練である強化と投影を終えて、習い始めたばかりの基礎魔術を復習する。
最近遠坂に習っているのは結界魔術だ。
魔術師にとっては基本中の基本だが、俺はようやく基礎を扱えるようになったレベル。まだまだ復習は欠かせない。

思い描くのは土蔵中を覆う魔力の束。
精神を集中させて自己を変革させる呪文を唱える。

―――トレース・オン

その言葉と共に土蔵中に魔力が通る。成功だ。

この結界一つを修めるのに一体何日をかけただろうか、ようやく一部屋くらいなら失敗する事はなくなってきた。

しかし、これははただの不可視結界、初歩の初歩だ。
遠坂は防音、防衝撃など更に高度な結界も扱っていた。まだまだ俺の道は先が長いようだ。

「ふぅ―――」

肺に溜めた息を吐き出して体の力を抜く。
まだ寝る時間には早かった。しかし、これ以上訓練を続ける気にもならない。

―――俺はいつの間にこんなに弱くなったのか

別に自分が強いと思ったことはない。ただ、それでも魔術の訓練を辛いと思ったことはなかったのだから。

それはきっと幸せというものを知ってしまったからだろう。
遠坂が俺を幸せにしてやると言ったのは本当だった。
遠坂がいて、セイバーがいて、桜がいて、ついでに藤ねえもいる。
今、俺は間違いなく幸せだ。

「俺は弱くなっちまったのかもしれないな」

だって5人のうち、2人が夕食に来ないだけで、これほど寂しくなるんだから……

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