夏休みの前の物語 2章

「なぁ、毎日早く帰って何をしてるんだ?」

いい加減教えてくれてもいいだろう?と遠坂に聞いてみた。
目の前には俺の作ってきた弁当が二つ、そしていつもどおりの遠坂の姿。

「ん? えっと別に、ちょっと厄介な魔術の研究をしているの。大したことじゃないわ」

遠坂は美味しそうに弁当を食べる。

「それにしてもいい場所よねー、ここ。
こういう暑い日にはありがたみがわかるわ」

遠坂は空調の聞いたこの部屋をぐるりと見渡して満足げに頷いた。
周りには画材やらキャンバスやらが転がっている。

「少し絵の具くさいのがネックだけどね」

ここは美術準備室。
最近の俺達はここで昼飯を食べる事にしている。
屋上は冬とは逆の意味で人が来ないのだが、さすがに真夏の太陽はキツイ。

美術部が休業状態の我が校では、この美術準備室は格好の穴場だ。
ロンドンの美大に進学する事になっている遠坂にとって、ここに入り浸る理由は十分にある。
しかもちゃっかり鍵まで預けられているのだから、優等生の擬態も侮れない。

「ここなら誰も来ないし、空調も効いてるし、言う事ないわ。ね、士郎」

「ごまかすなよ、その厄介な魔術ってのは弟子の俺にも言えないことなのか?」

「うっ。ま、まだ士郎には早いのよ、もう少ししたら教えてあげるわ」

―――ぐっ、俺の実力が足りないと言われれば仕方がない、事実俺は半人前の魔術師なのだから。

「そう言われると返す言葉もないん……あれ? 遠坂、今日は化粧してるのか?」

「え……ええ、でもちょっとだけよ、多分毎日会ってる士郎以外はわからない程度だし、そのくらいいいでしょ?」

別に校則違反だからといって文句を言うつもりはないが、なんか変だ。
遠坂が化粧をしている姿なんて初めて見た。何で今さら?

「……怪しい」

「え?」

「何で今さら化粧なんだ? まさかとは思うが、遠坂……?」

俺の質問に、遠坂はムッとして、ニヤっとして、プッとした。

「ははーん。アンタもしかしてそんな心配してたの―――?」

ニヤニヤと俺の顔を眺め続ける。

「だ、だって仕方ないじゃないか?
毎日早く帰るし、急に化粧なんて始めるし……そう考えるのも当然だろっ?」

今度はフムといった顔をして俺の顔を眺める。

「そう言われてみればそうとも取れるか……士郎変なトコ鋭いわね。
―――でもありえないわ」

「え?」

「だからありえないのよ」

「遠坂の言う事はわかりづらい、もっとはっきり言ってくれ」

「だから鈍いわねっ!
―――わたしが士郎以外の男を好きになるなんてありえないって言ってるのよ!」

遠坂はプイっと横を向いて少しだけ声を荒げた。
それで俺は理解できた、なんだ、全部俺の杞憂だったんだな、って。

「第一、わたしと士郎の絆はそんなに簡単に切れるものじゃないでしょう?
本気でそんな事を考えてたのなら、そっちの方が私に失礼ってもんよ」

「……確かにその通りだ。俺はもっと遠坂を信じるべきだったんだ。ごめん」

「わかればいいのよ」

「ああ、これからはもっと遠坂を信用する」

「……う、うん」

「俺の手に負えない魔術なら仕方がないさ。俺のことは気にせず集中してくれ」

「……あ、ありがとう」

「今日も早く帰るんだろ? 役に立てないかもしれないけど、何かあったらすぐに呼んでくれよな」

「う……、し、士郎?」

「ん? なんだ、遠坂」

「ご、……な、何でもないわ。そ、そろそろ午後の授業が始まるから、教室に帰ろうか」

テキパキと弁当箱を包みなおし、遠坂は立ち上がった。
急いでいるのかそのままツカツカと出口に向かう。

「ん?」

わずかばかりの違和感を感じつつも、俺は慌てて遠坂の後を追って教室に向かった。





遠坂と並んで教室に戻る。急いできたからだろう、予鈴までにはまだ幾分の時間があった。
後ろのドアをガラリと開けて教室に入ると、教室中の野郎どもの視線が俺に集中する。

遠坂と公認の仲になってから数ヶ月が経つというのに、俺はこの視線にまだ慣れていなかった。

まぁ、遠坂と付き合うということはこういう事なんだと、自らを納得させる。
こんな事で遠坂に気を揉ませるのもばかばかしい。俺は至って平静を装って遠坂に声をかけた。

「遠坂、今日もすぐに帰るんだろ?」

「う、うん。ごめんね」

「いいさ、俺も桜と買い物をして帰る約束をしてるんだ、いいだろ?」

「むっ、よくない。よくないけど、文句も言えない……士郎、まさかとは思うけど、浮気したら許さないんだからね」

ふと疑問に思う。
腕を組むのは浮気なのだろうか?

そんな事を思っていると、後方からクラスメイトに声をかけられた。

「遠坂殿、少しよろしいでござるか?」

「あら、何か御用かしら?」

瞬時に擬態、さすがは遠坂。
それにしても後藤くんが遠坂に話しかけるなんて珍しい。普段は遠慮がちであまり話しかけたりはしないのに。

「実はそれがし、昨日信じられないものを見たでござるよ」

後藤くんとは去年からのクラスメイトだ。親友と呼ぶのは流石にはばかわれるが、仲のよい友達だと思う。

「それはわたしに関係のあることなのかしら?」

遠坂はにっこりと外交用の笑顔を振りまく。
3年になったのだからいい加減に素を出せばいいのに、といつか遠坂に言った覚えがある。
曰く、今まで作ったイメージをそんな簡単に捨てたくない、とのこと。女心はよくわからん。

「もちろんでござる。
遠坂殿と、そこにいる衛宮に関係がある話でござるから」

―――なにっ!?

「あら。それは興味深いですわね、ぜひ聞かせていただきたいものですわ」

「はっ、それは昨日のことでござる。
拙者はHRが終わってすぐに教室を出たのでござる。すると玄関口に一人の美少女が立っているではござらんか。
外は炎天下、汗を流しながら立ち尽くす女性に、拙者はしばし目を奪われてしまったのでござる」

―――おいおいっ、それって。

「ええ、それでどうしたのかしら?」

「はいでござる。
拙者がいたたまれなくなって、その少女に声をかけようとした瞬間、昇降口からある男子生徒が出てきたのでござる。
それを見た美少女は、華のような笑顔を見せて男子生徒に近づいたでござる……そして二人は仲良く…………」

ちょっと待てーーーーーーっ!!

―――コイツ、遠坂の前で一体何を言い出すんだっ!

「士郎は黙ってて」

有無を言わせぬ口調でピシャリと俺の口出しを制止する。

「いや、でもさっ、こう一方的な……」

「黙ってて」

「はい……」

よ、弱い……

「それで、その後はどうなったのかしら?後藤くん」

遠坂に名前を呼ばれたのが心底嬉しかったのか、後藤くんは喜々として続けた。

「その後二人は仲むつまじく、腕を組み合ってデートに向かったでござる。
お互い肩を寄せ合って正に『らぶらぶ』という感じだったでござるな」

「あら、『らぶらぶ』に見えましたの?」

「ええ、『らぶらぶ』だったでござる。
その後二人は、お肉屋さん、八百屋さん、スーパー、八百屋さん、お肉屋さん、とデートしていたでござる。
これは一度値段をチェックしてから、一番安い店へ戻ったのでござる、芸が細かいでござるな」

ちょっと待てーーーーーーっ!! 何で知ってんだ、そんなことーーーーっ!

「忍法、尾行の術でござるよ、にんにん♪」

後藤くんって、もしかしてすごい暇人なのか……テスト期間なのに。
どうやら最近は時代劇じゃなくて忍者映画に凝っていることも判明。

がっくりとうなだれる俺。
勝ち誇ったような顔をしている後藤くん。
見た目冷静さを保っている遠坂。

「それで後藤くん、その美少女ってどんな子だったのかしら?」

「えーっと、紫の瞳で胸が大きくて……」

「リボンとかしちゃってるのかしら?」

「そうそう! あれ? 何で知ってるのでござるか?」

後藤くんの返答を聞くまでもなく、教室内のある一点から極大の殺気が満ち始める。
驚く事にその殺気は全てがある一点だけに叩き込まれていた。

ある一点からある一点、つまり遠坂から俺に向かって……そりゃーもう痛いくらいにザクザクと。


―――こうなったら逃げ道はない。
俺は左正面からの殺気をビシビシと感じながらも、右隣の忍法少年にアイコンタクトを送った。


・後藤〜、俺に何の恨みがあるんだーーーーーっ!

・なんの恨みもないでござる。憧れの遠坂殿と付き合っている衛宮への嫉妬、などと思ってもらっては心外でござるな。

・嫉妬じゃないのか?

・遠坂凛ファンクラブ名誉会長として、遠坂殿を泣かせる輩は全員始末するでござる。


うわっ、正論を装ってるけど、それは嫉妬以外の何物でもないぞっ。本人が気づいてない分さらにたちが悪いし。

俺の呪いの視線を後藤くんは口笛を吹きながら平然と受け流す……以前の友情は一体どこに?

あら、その慌てっぷりからすると事実のようね、衛宮くん。
その辺のお話……じっっっっっくりと聞かせてもらおうかしらぁ?


目の前の遠坂は興奮最高潮、って感じに殺気立っている。
こりゃ素直に謝ったほうが被害が少なそうだ、とか思っていると。

ガッシャーーン


まるでスローモーションのように、目の前の少女が後ろに倒れたのだ。

と、遠坂ーーーーっ!?


「キャーーっ!」
「遠坂さん!」
「だ、大丈夫かーっ!!」


教室中は大パニック。
いつの間にか俺たちは3年B組全員の視線を集めていたらしい。その中心にいた少女がいきなり倒れたのだから当然だ。

「遠坂殿!?どうしたでござるか!?
あ、わ、あ、わ、え、え、衛宮殿! ど、ど、ど、どうするでござるか!?」

一番パニックになってるのは後藤くんだった。なにやらわけのわからない踊りを踊っている。
もしかしたら責任を感じているのかも知れないけど、今考えるのはそんなことなんかじゃないはずだ。

俺は遠坂の元に駆け寄ると、素早くその体を抱き起こした。

「遠坂っ」

返事がない、意識がないようだ。
なら―――

俺は右手を首の下に、左手を膝の下に滑り込ませ、そのままの勢いで立ち上がった。
いわゆるお姫様抱っこというやつだ。

キャーーーーーーっ!!
ウォーーーーーーっ!!
え、衛宮ーーーーっ!!
羨ましいぞーーーっ!!


とたんに湧き上がる歓声と罵倒。

ええい!うるさい、うるさい。
目の前で遠坂が倒れたんだぞ、こんなことで騒ぐなっ!

俺は遠坂を抱きかかえ、教室のドアに向かって走り始める。

「一成! 保健室に行って来る、後は任せたっ!」

今までの騒ぎを傍観していただろう一成は、ニコッと笑って言い放った。

「うむ、お前もそばについていてやれ。先生には俺から言っておく」


ウォーーーーーーっ!!
キャーーーーーーっ!!



一成の爆弾発言に更にヒートアップしたクラスメイト達は、学校中に響き渡るような大歓声を上げている。

俺はそのままドアの前まで走りぬけた。

俺の前のドアがガラっと開く、美綴だ。
両手がふさがっている俺のためにドアを開けてくれたのだ。

「サンキュ、美綴」

「衛宮、保健室で『あ〜んなこと』とか『こ〜んなこと』とかしないようにね」


ウォーーーーーーっ!!
キャーーーーーーっ!!



もうどうにでもしてくれよ……
泣きたくなる様な大歓声に見送られて、教室を出た俺を待っていたのは、教室内よりも更に人が多い廊下だった。

「まだ昼休みだった……」

昼休みが終わるまで、3年中の廊下から歓声が止む事はなかったそうな……







「先生っ! 遠坂の具合はどうなんですか!?」

「しーっ、遠坂さん寝てるのよ、静かにしてね」

「は、はい、すみません……」

とはいえ、いきなり倒れてそのままなのだ、さすがに気になるのは当然だろう。
俺は声を出せない分、目線で保健の先生に訴えた。

「そうねぇ、衛宮くんって遠坂さんと付き合ってるのよね?」

「なっ! そ、それとこれとは関係ないでしょう?」

「関係あるんだなー、これが。 ほらほら職員室でも有名なのよー、ネタは上がってるんだから」

この保健の先生は生徒の信頼も厚い素晴らしい先生なのだが、実はちょっとお茶目なところがあるのだ。
「ウリウリ」と俺の横腹をひじでつつくその姿はとても先生とは思えない。

それにしても俺と遠坂の仲って職員室でも有名だったのか……発信源はアイツに違いない。
頭の中に虎を思い浮かべつつ、ハハッと乾いた笑いをこぼす。が、そんなことで目の前のお茶目さんは見逃してはくれなかった。
この質問に答えない限り、次への進展はないぞ、って顔で俺を見ている。

「う、えっと……一般的に見るとそうなるのではないかと」

「―――うん、よろしい。
実は先生は午後から出張なんだな、これが。 遠坂さんはここに寝かせておくから、衛宮クンそばにいてあげてね♪」

「せ、先生。
遠坂の容態は大丈夫なんですか? 救急車とか呼んだ方がいいんじゃ……」

「あー、それなら大丈夫。衛宮クン、遠坂さんの目の下の化粧をぬぐってみて」

? 俺には先生が何を言いたいのかわからなかった。
確かに今日の遠坂は化粧をしているけど、それに遠坂の顔に手をかざすのはちょっと恥ずかしい。

「恋人なんでしょー、いいからほっぺたの所を触ってみなさいっ」

俺は渋々遠坂の顔に指を這わす。
遠坂とはHまでした仲だが、こうして顔をなでるのは初めてだった。
少し緊張しつつも化粧を落としてみる。

「これは……ドーラン? おしろい?」

化粧の種類なんてわからない。ただ、肌を白くする用途のこの化粧はこのためだったのだと瞬時にわかった。

遠坂の目の下には化粧をしなければ誰でもわかるほどのクマがあった。

「そうよ、遠坂さん、寝不足なのよ。何が原因なのかはわからないけど。
これほど酷いクマが出来るんだから、何日間も寝てないのは確実ね」

だから寝かせておけば大丈夫、とのこと。
俺は一気に気が抜けて、近くにあった椅子に座り込んだ。

「ホント、冗談きついですよ―――」

「ホント、冗談きついわよね」

そう返答しつつも、先生は着ている白衣を壁に掛け、イソイソと鞄に何かを詰めている。

「先生?」

「あら、午後から出張って言ったでしょ?
もう行かなきゃならないの。遠坂さんひとりを寝かせておくわけにもいかないから、衛宮クン隣で見ていてあげてね♪」

ウインクなんかしちゃって、先生はもう準備完了して保健室から出て行こうとしている。

「せ、先生。俺も授業があるんですけど」

「あらあら。遠坂さんより授業の方が大切ならそれでもいいわね〜。
わたしはどちらでもいいから、自分で決めなさいな。あー、先生もう行くから」

じゃ、と手を上げて、先生は保健室を出て行った。
残されたのは静かな吐息を続ける遠坂と俺だけ。保健室は急に静かな静寂に包まれてしまった。

「くそっ、あんな事言われたら残らないわけにはいかないじゃないか」

俺は座っていた椅子に向きを変えて座りなおし、遠坂の寝顔を見つめた。
左の目の下には黒ずんだクマが見える。
そのまま右の方も化粧を落としてみる。当然クマがある。

やはり遠坂は寝不足を悟られない為に、普段は使わない化粧なんて使ったのだ。
そして、それに全く気づかなかった俺。

「ごめんな―――遠坂」

遠坂は変わらず静かに寝息をこぼしている。
俺は、遠坂の顔に置いた手をそのまま頬に回し、サラサラとなでた。
のんきに寝ている遠坂の顔は可愛かった。

「遠坂……」

俺はきょろきょろと辺りを見回す。
―――誰もいない。

保健室で二人っきりというシチュエーションが男心に火をつけた。
せっかくだからキスくらいしてもいいよな、眠り姫を起こすのは王子様のキスというのが昔からの定番だし。

などとなんだかわけのわからない理由で自らを納得させ、俺は顔を遠坂の小さな唇に近づける。


「衛宮クン♪」


突然の乱入者に、俺はズササーーーーッとベッドから遠のく。

「忘れ物、忘れ物」

俺は自分でもわかるほど真っ赤な顔で、パクパクと口を開く。
―――み、見られたっ!?

何を言っていいかわからない。穴があったら入りたい、というヤツだ。

「お楽しみのところゴメンねぇ。でも、いくら恋人だからって保健室でHな事したらしたらダメだからね」

じゃ、と手を上げて、先生は再び保健室を出て行った。

言い訳をする暇すらなかった―――。

呆然と立ち尽くす俺に、ベッドから声がかかった。

「……士郎?」

「と、遠坂っ。起きたのか!?」

「ここ、何処? わたし、どうしたの?」

どうやら遠坂は自分が倒れた事に気づいてなかったらしい。
俺はベッドに近づき、隣の椅子に座って説明を始めた。

「ここは保健室。
遠坂は昼休みに俺と話している時に倒れたんだ、それで今まで寝ていた」

要点だけをかいつまんで説明してみた。

「そう、倒れちゃったんだ、わたし。
―――それで士郎がここまで運んでくれたの?」

「ああ、すまないが緊急事態だったから、周りの目を気にしている暇がなかった。後で冷やかされても怒るなよ」

遠坂はそれを聞いて察してくれたようだ。

「いいのよ、わたしたち恋人同士でしょ? 今さら学校中に冷やかされたって気にしないもの。
―――それより、倒れた理由、わかっちゃった?」

「ああ、寝てないんだろ? 遠坂。
魔術の研究もいいけど、倒れるまで寝ないのは、俺の寿命が縮まるからできれば勘弁してくれ」

「う、うん」

「と言っても、遠坂が大人しく言う事を聞くはずもないんだよな、当然。
だからさ、今日からお前の家の家事を手伝ってやるよ、俺と桜で」

「な」と、俺は出来る限りの笑顔を遠坂に見せる。

遠坂の仕事から炊事・洗濯・掃除がなくなるだけでもかなり余裕が持てるだろう。
俺としても久しぶりにみんなで夕飯を食べたいし。

「え……で、でも、それはさすがに悪いわよ」

「はぁ? 遠坂が遠慮するなんてどうしたんだよ、一体。
いつもみたいに、当然よね〜、くらい言ってもいいんだぞ、こういう時くらい」

「うん、そうなんだけど……」

「歯切れが悪いな、魔術の事じゃあ役立たずかもしれないけど、家事の手伝いくらいできるぞ。
俺だって一応弟子だから、遠坂の魔術の完成を手伝いたいんだ」


「…………」

遠坂はバツが悪そうに布団で顔を隠してしまった。

「どうした?」

「魔術じゃないの」

「はぁ、 なにが?」

「だから、魔術の研究って嘘なのよっ」

布団で顔を隠し続けているところを見るとどうやら本当に嘘らしい。


「はぁ? でもどうしてそんなことで嘘をつく必要があるんだ?」

「別に……ただ、士郎に知られたくなかっただけよ。
わたしがやってることって、ただの自己満足で幼稚だし」

遠坂は、モゴモゴとはっきりとは聞き取れない声で話し続ける。キッパリハッキリが信条の遠坂にとっては珍しい。

「で。遠坂は何をしていたんだ? わざわざ自分から言い出したんだから教えてくれるんだろう」

「そ、それは! 士郎が優しいから、このままごまかしているのが嫌になったのっ!」

「ふんふん、それで? 俺に隠してたのってのは?」

「……きょう、よ」

「聞こえないぞ」

「……んきょう、よ」

「だから聞こえないって」

「だからっ、テスト勉強って言ってるでしょ!!」

そんなやり取りがよほど恥ずかしかったのか、遠坂はガバチョと起き上がり声を荒げて宣言した。
それにしてもテスト勉強とは……

「なんで? 俺もお前も勉強なんて必要ないだろ?」

一度起き上がってしまえば、顔を隠す必要はないのか、遠坂は少しだけ赤い顔をしたまま話を続けた。

「……中間テストの事、覚えてる?」

「ん、ああ、遠坂は相変わらずトップクラスで、俺は相変わらず平均点、いつもどおりじゃないか」

「全然いつもどおりじゃないのっ!!
わたし2番だったの、負けたのよっ! 高校に入ってから一成に負けたの初めてだったんだから!」

そういえば……

1.柳洞一成 442点
2.遠坂凛  441点
3.山田太郎 422点
4.水野蓉子 419点
5.田中花子 416点……

「たった1点じゃないか」

「たった1点でも気にするのっ。
その結果発表を見た後なんて悔しくって悔しくってたまらなかったんだから、しかも一成ったら鼻で「フンッ」なんて見下してたのよっ」

思い出しても腹が立つー、と遠坂はワナワナと震えている。

まぁ一成が見下して鼻で笑うなんてありえないけど、敗北感に満ちていた遠坂にはそう見えたんだろうなー。と冷静に分析してみる。
しかし、そう言われてみると、昨日話した時も一成はかなり嬉しそうだったな。

俺の知らない中学時代から、きっとこの二人は特別なライバル関係なんだろう。

「聞いてるの?士郎。
鼻で「フンッ」よ「フンッ」。わたしがどれだけ屈辱だったか……士郎にだってわかるでしょ!?」

「はいはい、わかります。遠坂さんの仰るとおりです」

「それで、その時誓ったのよね。
―――期末テストでギッタギタにしてやるんだから。って」

遠坂は「フンッ」「フンッ」と鼻息も荒く熱弁している。
まぁつまり……子供のけんかってわけだ、しかも遠坂からの一方的な。

「士郎? アンタ今、大人げない、とか思わなかったでしょうね?」

ぎくっ。

「思ってない、思ってない。
それよりも、一成はテスト勉強なんてしてないって言ってたぞ、遠坂だけ一方的に勉強するのはフェアじゃないだろう?」

「はんっ、関係ないわね。
フェアじゃない? 結構じゃない。勝負は結果が全てよ。
アナタも魔術師なら覚えておきなさい。完全なる事前準備を施して、確実に勝つ。これが魔術師の戦いのルールよ」

一成は魔術師じゃないんだけどな、と心の中で呟く。

「それで、なんで俺には内緒だったんだ? 別にそのくらいなら教えてくれてもいいだろうに」

「うっ、し、士郎にだけは教えたくなかったのよ……
あ、あのね、この前の中間テストって、3年になってから最初のテストだったでしょ。
士郎と付き合いだしたから成績が落ちた、なんて意地でも思われたくなかったの、特にアイツに。
―――ふんっ、それに、実際士郎の魔術を見てあげなきゃならないから、勉強する時間は減ってるんだけどね」

ジロッと俺の方を冷ややかな目で覗き見る遠坂。
俺が半人前なのは事実だけに返す言葉もございません。

縮こまってる俺を見て、遠坂はニコッと笑った。

「嫌ねぇ、冗談よ。士郎は気にする必要はないの、わたしが好きでやってることなんだから。
それに理由は他にもあるのよ。
セイバーに魔力を供給しているから、以前より睡眠を多く取らなきゃならなくなった、とか。
ロンドンに渡った後のために、以前より魔術訓練の割合を増やしたから、とか。
後は、そうね……毎日が幸せで、少し油断したってのもあるかもね」

「幸せ……?」

「と、とにかく!
これはわたしの意地とプライドを賭けた決戦なのっ! 戦いなのっ! 一騎打ちなのっ! 総得点はもちろん、一教科たりとも負けは許されないわ。
―――わたしは誰にも負けたくないのっ」

幸せ発言は失言だったのか、遠坂は息も継がずに、がぁーっと言いたいコトを言いまくった。

「事情は説明したんだから士郎にも協力して貰うわよ。
大人げないとか、俺には関係ないとか、そういうのは無しっ!嫌でも協力して貰うからね」

遠坂は俺のことが負担なんかじゃないって証明したかったから俺に内緒にしてたらしい。

ふふっ、相変わらず遠坂は不器用で真っ直ぐだ、でも悪くない。そんな意地っ張りなところも本当に遠坂らしい。

「な、何よ。何で笑ってるのよ士郎? 今さら嫌だって言っても無駄だからね」

「俺が遠坂の申し出を断るわけないだろ。むしろ俺の方からお願いするよ。
―――遠坂の手伝いをさせてくれ、俺だってお前が誰かに負ける所なんて見たくないんだから」

本当だ。
俺は遠坂が負ける所なんてみたくない。
一成にだって、美綴にだって、そしてまだ見ぬロンドンのライバル達にだって、遠坂が負けるわけないんだから。
そんな遠坂をずっとフォローしていくのが俺の役目―――あの墓場で誓った俺の思い。

「そ、そう。じゃあ士郎にも手伝って貰うわね」

少し冷静になったのか、遠坂は再び布団に包まって向こう側を向いてしまった。

「ああ、それはいいけど、俺は具体的に何をすればいいんだ」

向こうを向いたまま、遠坂はモゴモゴと答える。

「今日から士郎の家に泊まりこむわ。
炊事とか掃除とか洗濯とか、そういう時間がかかるの、お願いしていい?」

「もちろんだ、桜にも手伝って貰おう」

「それと、セイバーの相手もよろしくね。
士郎のご飯が食べたいって文句ばっかり言うのよ、思う存分食べさせてあげて」

「了解」

あのセイバーが文句を言うなんて、勉強に集中した遠坂は食事の手を抜いたんだろうな。
こりゃ今日の夕食は大変だぞっ。

遠坂はそこまで言うと、向こうを向いていた体を上に向けた。

「士郎、放課後までここで寝ててもいい?」

「ああ、俺も遠坂が起きるまでここにいるから安心して寝てていいぞ」

「うん、じゃあこの部屋に結界を張ってちょうだい。この前教えたことの復習よ、問題ないでしょ」

「が、学校で結界使うのか? 多分誰も来ないと思うんだが」

「誰か来るかもしれないでしょ? な〜に、それとも自信ないの?」

むっ、自信がないわけじゃないぞ、一部屋くらいならもうほとんど失敗しないんだからな。

俺はアッサリと挑発に乗って保健室に魔力を展開する。

―――トレース・オン

この部屋は土蔵よりも狭い、この程度なら毎日の練習よりも楽なくらいだ。
四隅に広げた魔力で部屋を包み、不可視の結界は完成した。

「ほら、士郎もちゃんと成長してるじゃない。
不肖の弟子でも少しずつ前に進んでいるのよ、頼りにしてるんだからもっと自信を持ちなさい」

遠坂は「寝るわ」と最後に言って目を閉じた。

「わたしの寝顔を見ていいのは士郎だけなんだからね」

寝言のつもりだったのか、はたまた本当に寝言だったのか。
少しだけ紅くなった遠坂の頬を軽くなでながら俺は言った。

「ああ、俺だけの特権だ」

放課後までの数時間、俺は飽きずに遠坂の寝顔を見続けたのだった。

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