その日は朝から幸運だった―――

起きた時から何となく今日はいい日になる、そう思えた。
そしてその予感の通り、今日は最高の一日だった。


「士郎、今日はありがとうね」

夕焼けの中、目の前には笑顔でスキップをする愛しい少女。


「いや、俺は何もしてないよ。遠坂の日頃の努力のおかげだろう」

俺の返事に、はにかみながらも最高の笑顔を見せてくれる遠坂。
その笑顔だけで俺にとっては最高の対価になり得るのだ。

「うん、でも……ありがとう。今日はそう言わせてほしいの」

こんな風に喜び一杯の遠坂は珍しかった。
しかも素直で可愛い、それだけで今日という日は素晴らしいと感じられた。


そう、その日は本当に幸運だったのだ―――あの交差点に差し掛かるその時までは。





俺は気が付いたら、遠坂に体当たりをしていた。
目の前には避けきれない速度で迫るダンプカー。

なんて間抜け―――俺の頭には遠坂を助けることしか思い浮かばなかったのだ。

だから、ダンプカーに弾き飛ばされたのか、避けきれたのかもわからない。
目に映ったのは道路の隅で呆然とこちらを見つめる遠坂の姿。

―――ああ、遠坂は助かったんだな……


そんな事を考えながら、俺の意識は真っ黒い闇の中に沈んでいった。





その日は確かに幸運だった。 なぜなら、見たことも聞いたこともないような、あの奇跡に巡り合えたのだから―――






もう一人の凛 1章






「おーーーい、生きてますかー?」

まどろむ意識を覚醒させるように響く、慣れ親しんだ声。
その声は間違いなく愛しい彼女のもので、俺は意識を失いながらも微笑みを浮かべていたのかもしれない。


「む、なに笑ってるのよー。ちょっとアナタ大丈夫?」


今度はぺちぺちと頬を叩く音。
際限なく続くそのリズムに俺の意識も徐々に覚醒する。

それにしても―――実はすごく、痛い。


「だーーーーっ、痛いだろっ! 誰だ、そんなにぺちぺち叩くのはーーっ」


完全に意識を取り戻した俺はガバチョと半身を起こし、目の前で俺の頬を叩き続ける少女を見上げる。


「あ、生き返った」


目の前にしゃがみ込んで俺の顔を叩いていた少女。
―――遠坂だった。

「遠坂っ! 無事だったのか!?」


無事どころか、目の前の少女には傷一つない。
慌てて自分の体を動かしてみるがこちらにも異常はない。

アレほどの大事故にあいながらも、俺たちは二人とも無傷だった。


「はぁ? アナタ一体何を言ってるの? それに何でわたしのコト知ってるのよ」

「え?遠坂?」

「それよっ! なんでわたしの苗字を知ってるの?」

「何を言ってるんだお前? 遠坂は遠坂だろ。今の事故で頭でも打ったのか?」

「事故って何よ?どこかで事故があったの?」

「どこって……」

そこで俺は異変に気づく。
ダンプカーが突っ込む程の大事故だ、例え二人とも助かったとしても大騒ぎになっているはずだ。
しかし、目に映るのは平々凡々、カーカーとカラスが鳴くような平和な光景だった。

ダンプカーの姿どころか、自転車一台見えやしない。
この場にいるのは俺と彼女と……

「り〜んちゃん、なにやってるのよー。早く帰ろうよぅ?」

そして、見ず知らずの女の子だけだった。


「あ、ごっめーん。
―――さてと、もうアナタも大丈夫でしょ。わたしもう行くから。
いつまでも、こんなところで寝てると風邪引いちゃうぞ、少年♪」


遠坂は立ち上がり、バイバイと手を振って立ち去ろうとする。

「待ってくれ! 遠坂、一体どうしちゃったんだよ?俺のことが分からないのか?」

「 アナタ、やっぱりわたしのコト知ってるの?
確かにどこかで見たことがあるかもしれないけど…………
うーん、やっぱ見覚えないわ、人違いじゃない?」

「おい、ふざけてるのか!?」

「む、ふざけてなんかないわよ。
アナタのことなんか知らないって言ってるのっ。
こんな所で寝てたらかわいそうかなー、って思って声をかけただけなんだから」

「え?」

「もしかして新手のナンパ?
ならごめんなさいね。わたし、そういうのって
大っ嫌いなの。お分かり?」

冷たく言い放ち俺に背を向ける遠坂を見てハッとした。



リボンがない―――!?

慌てていて今まで気づかなかったが、目の前の遠坂はいつもとは違う髪形だった。
あの聖杯戦争時、俺と初めて……その、魔力の供給をした時と同じ、俺にとっては二度めのストレートロングヘアー。

それに酷く違和感を感じた。
もしかして―――目の前の少女は俺の知る遠坂じゃないのでは?

「待ってくれ! 話を聞いてくれないかっ」

「ふふっ、あんまりしつこいナンパは嫌われるぞ、少年♪」

最後まで俺を知らないと言い張って、遠坂は今度こそ友達と帰っていった。




はっきり言って俺は混乱していた。
あれだけの大事故にあっても俺は無傷。
目が覚めると側にいた遠坂は、俺の事を何一つ知らない。

俺は道路に座りながらも、あごに手をつけて考え続けた。
そしてようやく絞り出たのは、たった一つの最悪の結論。


「もしかして、死んじゃったのか? 俺」


これは死後の世界ってやつなのだろうか。
そう思わねば納得できないことばかりだった。

「でもまあ……遠坂は助かったんだよな、ならあの時の俺の選択は間違いなんかじゃない」

そうさ、それにここが死後の世界と決まったわけじゃない。
ならばここでボーっとしてる暇があるなら前に進まなきゃ。

俺はパンパンとほこりを払い、立ち上がった。

伸びる影は長く、時刻はすでに夕刻だった。
何を考えるにしても、とにかく落ち着ける場所が必要なのは間違いない。

「とりあえず家に向かってみるか……」

俺は交差点から上ってすぐの我が家を目指して歩き始めた。









そこは桜の舞い散る公園だった。


俺は坂を上って衛宮邸に辿り着いて愕然とした。
目の前には屋敷などなく、綺麗に整えられた平地に等間隔に桜の木が立ち並ぶ。


「おいおい、これは一体どうなってるんだ!?」



だって今は秋、桜の咲く季節じゃない。
それにここにある筈の俺の家は、影も形もない。

今まで湧かなかった実感が、ここぞとばかりに湧き溢れてくる。


―――どうやらココは俺の知る世界とは本当に違うらしい。


俺は目の前の桜吹雪に呆然とする。
そして、その幻想的な風景に、楽しかったみんなとの花見を思い出していた。


桜やセイバーはこの世界にいるんだろうか?

遠坂がいるんだ、二人とも存在してもおかしくない。
俺がここまで歩いてきた限り、道路も人も建物も変なところはどこにもなかった。
おかしいのは俺の存在だけ。

そこでふと気づく。
もしかして、この世界は俺が存在しなかった筈のIF世界なのでは?

一般人なら信じられないことだが、これでも俺は魔術師だ。神秘という奇跡があることを知っている。
俺の預かり知らぬ奇跡もあるのかもしれない。

ならばこの事象を相談できるのは俺の知る限りたった一人。


「遠坂に会いに行こう」


俺の事を覚えていなくても、こんな事を相談できるのは遠坂だけだ。
彼女がこの世界でも魔術師なのかはわからない。
―――それでも俺は遠坂に会いたかった。


知らない世界にたった一人、そんな不安が俺の脚を自然と坂の上の洋館に急がせる。


会ったら一から全部説明してみよう。
またナンパと勘違いされるかもしれないが、それならそれで構わない。
誠心誠意、本気で話せばアイツはきっと聞いてくれる。
ここは俺の知る世界とは違うというのに、なぜだかそんな事にだけは自信があった。

色々な事を考えながら足を進める。
辺りは既に真っ暗、坂を上るにつれて俺以外の人影はもう見えなくなっていた。

そして坂の頂点、迸るほとばし魔力に包まれた彼女の洋館がそこにはあった。

「良かった―――こっちの世界でもアイツは魔術師だったんだ」

魔術師なら見ればわかるほどの魔力の猛り。
目の前の屋敷は強力な遠坂の結界で守られているのだ。
遠坂邸は、俺の知る姿と変わらずそこに存在してくれていた。

しかしその時、俺は異変に気づいた。

―――屋敷の門の前から魔力の揺らぎを感じる?

目に魔力を通し、門前を遠視する。
そこには二つの黒い影と戦う少女の姿が見えた。

それに気づいた瞬間、俺は一も二もなく、その戦いの現場へと駆け出していた。








駆け寄った先には、二つの影と一人の少女。
少女は先ほども会った遠坂凛、右手に一振りの細剣レイピア、左手の甲には魔術刻印が光っていた。

影に見えた二つの人型は、近づいても正に影そのものと思える黒さを誇っていた。
黒一色のその姿は、見る人が見れば綺麗とさえ思えるだろう、正に影という呼び名が相応しい。

その影の一人は門の前に陣取り、遠坂が屋敷に入るのを妨げている。
そしてもう一人は遠坂を挟撃するように後方に潜む。

一目でわかるほどに遠坂は劣勢だった。
前と後ろを押さえられ、隙を見せないように集中しているが、一たび斬り合ってしまえば遠坂の敗北は明らかだった。


「遠坂っ!」

突然の侵入者に、遠坂の集中が途切れてしまう。
俺の声に反応して、一瞬だけ隙を見せた遠坂に、後方から影が迫った。

影はその身を人型から刃へと変え、地を駆けた。

「しま……!」

後方に度し難い隙を作った遠坂の敗北である。
しかし吹き飛んだのは、攻撃した筈の影の方だった。

影が遠坂に迫る直前、俺は愛用の弓と無銘剣を投影、そのままの勢いで射放つ。

遠坂に襲い掛かった刃の体は、横から射られた三束中によって、遠坂邸の壁に縫い付けられた。


「ギシャーーーーーッ」


思念体と思われたその影の叫び声が聞こえる。

「コイツ、生きてるのか!?」

そのまま遠坂の側に駆け寄り、背と背を合わせる。

「遠坂っ、無事かっ?」

「アンタ、さっきの!? どうしてここまで来たのよ、ここは一般人が来ていいところじゃないわ!」

「気にするな、俺は一般人じゃない―――それよりも、目の前の敵から目を離すな、精神を集中しろ。隙を見せればやられるぞ」

「ア、アンタに言われたくないわよっ! アンタ一体何者よ?」

目の前の壁に縫い付けた筈の影は、ヌルリとゼリーのように杭から抜け出していた。
どうやら俺を敵として認識してくれたようだな。
―――望むところだ、遠坂の背は俺が守るっ。

「ちょ、ちょっと! アンタ一体何者って聞いてるのよ!」

黒い影は奇妙な金切り声を上げて威嚇してくる。
その身は既に刃、どうやら伸縮自在の厄介な体を持ってるらしい。


「俺は、正義の味方で……お前の味方だっ!!」

既に、俺の両手には最も手馴れた二対の剣が握られていた。
目の前の影からは二本の刃が伸びてくる。

その突きは言うなれば槍。
黒い刃は、黒い点となって俺の額と胸を正確に狙って伸びてくる。

―――逃げるわけにはいかない

俺の背には遠坂がいる。ならば俺に許された選択肢は弾き返すことのみ。

セイバーとの修行を続けている俺にとって、その黒い点を弾き返すなど造作もない事だった。

俺は敵の槍を受け止め、弾き返す。敵との間合いが広がり、俺は追撃を試みる。


「きゃっ」

その瞬間、俺の左腕は背後からの槍によって貫かれていた。

「ぐっ!」

どうやら、遠坂にとってはその黒い槍は十分脅威だったらしい。
俺が簡単に弾き返せた黒の槍を、遠坂の細剣は弾き返す事が出来ず、避けてしまったのだ。

「ご、ごめん、大丈夫っ?」

「くっ、このぐらいなら問題ないっ」

だがいつまでも戦いを長引かせるわけにはいかない戦況に違いはなかった。

「こいつら、魔術が効かないの!
打撃で叩き伏せるしかないんだけど、私の剣術じゃ……」

悔しげな歯軋りの音が聞こえる。
遠坂にはこいつ等は倒せない、なら俺のやる事は一つだけ。
こいつら二体とも俺が切り伏せてやる!

「遠坂、30秒だけでいい、お前の正面の影を引き止めてくれ」

「30秒!? そりゃいいけど、アンタどうするのよ!?」

「こっちの敵を倒す、その後、二人でそっちを倒す。
シンプルだろ? いくぞっ、30秒だ、無理するなよ!」

やる事が決まったなら即座に実行に移す。セイバーに叩き込まれた戦闘の大原則だ。

俺は二対の剣を構え、目の前の影に駆け迫る。
その俺に対して迎え撃つのは、またしても黒い槍。
かなりの速度だ、以前の俺なら弾く事すら難しかったろう。だがっ。

「甘いっ」

その速度はセイバーにもランサーにも及ばぬ人の速度。
ならばもはや今の俺の敵ではない。
迫る黒い点を紙一重で見切り、目の前の本体に迫る。
懐に飛び込んだら躊躇はしない、即座に鼻の先にある影を陽剣・干将が一刀両断した。


「ンギャーーーーッ」


影の断末魔が響き渡る。
ドロドロと溶けるように崩れ落ちる黒い脅威。
そのままコールタールのように地面に染み込んでいくその姿に、すでに魔力は感じなかった。

「よしっ、まずは一つ!」


30秒は経ってない筈だ。
正に瞬殺。セイバーと蓄えた俺の力は、既にこの程度の魔なら敵ではなかった。

俺は遠坂に助太刀する為に振り返る。

遠坂との間合いは10メートル。
一息で走りきれないその先で、遠坂は明らかに苦戦していた。
影の伸縮自在の槍に徐々に追い詰められていく。

―――やばいっ

そう感じた俺は、考えるより先に走り寄ろうとした。
だが、それよりも早く、遠坂は手に持つ剣を弾き飛ばされてしまった。
同時に体勢を崩し、瞬きの後には敵に貫かれるのは間違いない。

考えている暇はなかった。



「遠坂っ、伏せろーーーーっ!」


俺は走り寄るのをやめて、呪文を唱える。


投影開始トレースオン―――

次の瞬間、全ての工程をすっ飛ばして、俺の左手には愛用の弓が顕現する。
そして番えられた矢は螺旋を描く美しい剣―――偽・螺旋剣カラドボルグ

この位置関係では遠坂に当たってしまうかもしれない。
だが俺には、遠坂がきっと伏せてくれるとわかっていた。

目の前のアイツは、確かに俺の知る遠坂じゃないかもしれない、それでも信頼できるパートナーであると感じられたのだ。

俺が螺旋剣を射ると同時に、遠坂は地面に伏せた。
もちろん影の槍も伏せる遠坂に向かって攻撃を加える

しかし槍が遠坂を貫くより早く、俺の壊れた幻想ブロークンファンタズムが影の中心を貫いた。
影に突き刺さった螺旋剣は、そのまま影を貫通し、遠坂邸の壁に突き刺さった。


響く爆音と煌く閃光。
一瞬にして目の前は光の洪水に満たされ、耳はその機能を麻痺させられる。

爆風が収まった後に残ったのは、地面にうずくまる遠坂と、黒い水溜りのような影の残骸であった。

「遠坂っ、無事か!?」

俺は急ぎ駆け寄り、遠坂を助け起こす。
影は螺旋剣に貫かれた瞬間に死に絶え、その姿を何の力もない魔力塊に変えていた。

遠坂は無言で立ち上がり、パンパンとスカートについた泥を払っている。

―――あ、コイツ怒ってる。

長年の経験でわかってしまった、3秒後に絶対爆発するぞ、コイツ。

遠坂はすぅーと深呼吸した後。


「アンタねー!!、あんな危ない技を使って私が巻き込まれたらどうすんのよっ!」


耳がキーンとします。
事前に心の準備が出来てなかったら鼓膜が破けてますよ、遠坂さん。


「落ち着け、遠坂。声が大きいぞ」


「これが落ち着いていられますかっ、
アンタ、私が伏せなかったらどうするつもりだったの?
もし、あの影を貫かないで今の矢が爆発したらどうするつもりだったの?」



「俺は遠坂が伏せてくれると信じていたし、
あの影に質量の概念がないことは、こっちの一体を切り伏せた時に気づいていた」


「うっ」


「でも遠坂が無事で良かった。もう間に合わないかと思ったよ」


「うぅ……そうよね、アンタが来てくれなかったらやばかったわ。
その、あ、ありがとう」

お礼を言うのがよっぼど恥ずかしかったのだろう。
そっぽを向いて照れる遠坂は可愛かった。

俺はふふっと僅かに笑顔を見せ、遠坂に向かって右手を差し出した。

その意図が通じたのか、ちょっとだけ迷った後、しっかりと俺の右手を握り返してくれた。

「実は遠坂に相談があってここまで来たんだ。
図々しいかも知れないけど、聞いてもらえないか?」

ちょっとムッとしたのか、遠坂は握っている手にちょっとだけ力を込めた。

「アンタね、命を救われたわたしが断るとでも思ってるの?
魔術の基本は等価交換―――アナタも魔術師の端くれならわかってるでしょう」

そう言って遠坂はズカズカと屋敷の敷地に入っていった。

「お茶くらい出すわ。アナタがどこの誰だか知らないけど、その左腕ぐらいは治療させてもらうから」

先ほど影に貫かれた左腕からは未だに血が滴り落ちている。
俺には奇妙な治癒能力があるのだが、この世界ではその効果はないようだ。
その事実はつまり、この世界にはセイバーがいないという証明でもあった。

「ほらっ、この家の中なら安全だから早く来て!」

俺は先行する遠坂の後に続いて、懐かしい屋敷に足を踏み入れた。







「はい、じゃあ腕の傷を見せて」

俺は大人しく血に濡れた左腕を差し出した。

「あっちゃー、結構深いわよ、この傷。
これじゃいくらこの薬を使っても、治るまで一週間ぐらいはかかるわね……」

なにやら怪しいゼラチン状の薬を傷に塗りつけた後、遠坂は器用にグルグルと包帯を巻きつけた。

「はいっ、終わり。後は安静にしてれば問題ないわよ。
―――それで、次はアナタの方の話だけど、わたしに相談があるの?」

「ああ、その前に言っておくけど、俺は魔術師だ。
だから遠坂も魔術師として感じる事を言って欲しいんだ」

「うん、それはわかってるわ。
さっきの投影魔術でしょ? 投影であのレベルの剣を創り出すなんて凄いわね」

「ああ、よく言われる。『アナタの投影はムチャクチャよ、他の魔術師の前で使ったら、脳だけホルマリン漬けにされちゃうんだから』ってね」

「む、なんだか私みたいな言い方ね、それ」

「ああ、だってお前だよ、あっちの世界の」

「アナタ、最初会った時から変なコト言ってるわね……それに何でわたしのコト知ってるのよ?」

「それは……これから話す。ちょっと長くなるけど我慢してくれよな」

遠坂は黙って俺と自分の前に用意されたカップに紅茶を注いでくれた。

「俺にもよく分からないんだが、どうやら俺はココとは違う世界から来たらしい。
俺のいた世界で、遠坂を庇ってダンプに跳ねられたと思ったら、次の瞬間にはさっきの交差点で寝てた。
んで、お前にペチペチと起こされたってワケだ」

ずずっと上品に紅茶を飲んでいた遠坂は、思ったよりも冷静のようだ。

「ふーん、全然長くないけど、そういう可能性もあるかな、って思ってたわ。
あなたが嘘を言ってるようには見えないし、それに何よりわたしの事を知ってるのが証拠だもんね。
恐らくそれは並行世界キシュア・ゼルレッチってヤツよ。
わたしの大師父の魔法だもん、そういう現象が可能かどうかはともかく、『在る』ってのは信じるわ」

「ああ、俺の知る遠坂とお前は正に瓜二つだ、この世界がどんな世界かはわからないけど、
多分、俺のいない世界ってのが正解なんだろう」

「あなたの世界のわたしと今のわたし、違うところはないの?」

「そうだな……髪型が違う、俺の知る遠坂はいつもリボンで髪を止めていた。
滅多にストレートロングの姿は見せてくれない。
そうだな、あれの時だけかな」

「リボン、ね……そういえば古いリボンがあるけど、わたしは着けないわね。
それより、あれの時ってなによ?」

「えーっと、あれって言ったらアレだろ。皆まで言わすなよ、恥ずかしいじゃないか」

「…………?
そんな説明じゃわからないんだけど」

「だからさ、俺の世界では俺と遠坂は恋人だったわけで……
ほら、恋人同士が夜にベッドの上でする例のヤツだって」

そこまで聞いてようやく気づいたのか、目の前の遠坂はあっという間に真っ赤になって、わなわなと震えだした。

「ア、アンタねー、レディの前でそういうこと言うの止めてくれない……
しかもわたしとアナタが恋人? 冗談きついわ、アナタ本当は嘘ついてるんじゃないの?」

「むむむ、失礼な、嘘なんかついてないぞっ」

「へー、まあ口だけならなんとでも言えるもんねー」

「ほう、そういうこと言いますか。
じゃあ言っちゃうぞー、お前のあーんな事とか、こーんな事とか、ぜーんぶ」

ちょっとムッときた俺は、ニヤニヤって感じでプレッシャーをかけてみた。

「な、なによ? 『あーんな事』って!」

「そうだな、どれから話そうかなー。
例えば、遠坂は朝が弱かったな、朝は隙だらけで目覚しに必ず牛乳を飲むんだ」

「そ、それがどうしたのよっ。別にいいじゃない、そのくらいっ」

「そうだなー、じゃあ次は
遠坂はおへそが弱いんだ、えっちの時に舐めるだけでいっちゃ……」

「ごめんなさい、わたしが悪かったわ。もう疑わないからその辺で勘弁して、いや、それ以上言ったら
殺すから」

「ふふっ、わかってくれればいいんだよ、俺だってこの事は秘密にしておきたい」

負けを認めた遠坂は、やれやれといった顔で俺の顔を覗き込んできた。

「ふぅ……どうやら認めなきゃならないみたいね。 そっちのわたしはアナタなんかのどこが良かったのかしら」

「さあな、俺もよく分からん。でも俺が遠坂を愛していたのは間違いない」

「ア、アンタ!良くそんな恥ずかしい事を真正面から言えるわねっ!」

「なんでさ、別に恥ずかしい事なんかじゃないぞ」

「アンタね、ここに同じ存在がもう一人いるっての、わかって言ってる?」

あ、そうか、こっちの遠坂にしてみればこんな事を言われても困るだけだな。
自分に告白されたかのような言葉に、遠坂は顔を真っ赤にしてそっぽを向いてしまった。

「それで、アナタ、名前なんていうのよ?」

「え?」

「名前よ、な・ま・え! もしかしたらどこかで聞いたことあるかもしれないでしょ」

「ああ、俺の名前は衛宮士郎。ここに来る前に俺の家を見てきたら、桜並木がいっぱいだったよ」

「え……みや、し……ろう?」

それを聞いた遠坂の顔色が一瞬だけ変わった。

「ん?もしかして何か知ってるのか?遠坂」

遠坂は俺の質問に答えず、何かを思い出すようにブンブンと頭を振った。

「うーん、ごめん。なんだか聞いたことあるんだけど、どうしても思い出せないの。
思い出したら教えてあげるから、もう少し待っててくれる?」

「ああ、構わないよ」

「じゃあ次はわたしの番ね。
わたしの名前は……」

「遠坂凛だろ? 俺の世界にはお前がいるんだから知ってるってば」

「そ、そう、知ってるのよね。なら自己紹介の必要はないわね」

「…?まあいいか。それより遠坂、あ、遠坂って呼んでいいよな」

「あなたの呼びやすい呼び名でいいわ。それで?」

「ああ、これから俺はどうすればいいのかなって。
もちろん元の世界に戻るのが目的なんだけど、俺には手がかりも拠点もないし……」

「あら、それなら簡単よ。
アナタ、今日からここに住みなさい。それが一番でしょ?」

「は、はぁーーー!?
ここに住めってのか?」

「そう、わたしがアナタの事を何か思い出すかもしれないし、腕のケガもあるでしょ?
あなた強そうだから、さっきの影が来ても安心だしねー」

「おいおい、いいのか、お前一人暮らしだろう?
俺だって一応男だし、その、お前は見た目は遠坂だから、俺だってイロイロと我慢できるか……」

「大丈夫でしょ。もしあなたに襲われそうになったら、わたし、泣くから。
泣き叫んで『いやっ、やめてっ、いやーーーーー』って」

「そ、それはナイスアイディア……」

「でしょー。アナタそういうのに弱そうだもんねー」

きしし、と笑う遠坂は、なにやら楽しそうだ。会ったばかりなのに俺の弱点なんかお見通しらしい。

「ああ、やっぱりお前は遠坂だよ、その辺全然変わってない……」

「そう? 褒め言葉として受け取っておくわ。
それより、あなたのことなんて呼べばいいのかしら、希望ある?」

「そうだな、衛宮でも士郎でもなんでもいいぞ、好きなように呼んでくれ」

「そう、それなら『士郎』と、うん、この名前はアナタに合ってるわ」

俺は正直ドキリとした。
目の前の遠坂は髪型以外は全く一緒。でも別人だ。
そんな遠坂が初めて俺の事を『士郎』と呼んだ。

「ん?どうしたのよ、士郎。急にぼけっとしちゃって」

急に黙り込んだ俺が不思議だったのだろう、髪をかきあげつつ問いかけてきた。

「ふふっ、アイツが俺の事を初めて『士郎』って呼んだ時もこんな風にビックリしたなーって思い出してさ」


「ちょ、ちょっと!勘違いしないでよ、わたしは別にアナタの事なんか何とも思ってないのっ。
ただ、名前で呼んだだけなんだから、変な勘違いしないでよねっ。
―――っっ、だーかーら、何でアンタはニヤニヤしてるのっ!」


嬉しかった。
目の前の俺の知らない遠坂が俺の名前を呼んでくれたことが。
これから俺と共に暮らしてくれる事が。

本当に、嬉しかった―――


俺は元の世界に戻る事ができるのか?
これからココでどれだけの苦労をするのだろう?
正直、そんなコトはどうでも良かった。

目の前には俺の愛した遠坂がいる。
それだけで十分だ。
この異世界に呼ばれてから初めて、俺の心は温かく優しい気持ちに包まれていたのだから。





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