ただいま三章<敵と味方>





扉が開く音がした。
古い、さび付いたその扉は土蔵中に、いつもその音を響かせる。

同時に光が差し込み、俺の意識もまどろみの中から覚醒する。


「先輩?……起きてますか」

慣れ親しんだ優しい声。
ああ、今日も桜に起こされちゃったな……

「……ああ、今起きた。
今日も起こさせて済まなかったな、桜」

寝転がっていた体に活を入れ、目の前の少女に挨拶をする。
どうやらまた鍛錬の後、そのまま寝てしまったみたいだ。

その証拠にここはむき出しの床の上だし、
服はいつもの作業着だし、
手の中には黄金に光る剣があるし。

ん?……

おうごんのけん?


起きたばかりの俺の右手には黄金に光る剣がしっかりと握られていた。
黄金色に発光するその剣は、とてもよく切れそうに見える、そう、俺の体なんか簡単に……
うむ、どうやら俺は幻でも見ているらしい。
いくら俺でも剣を持ったまま眠るほど剣が好きってワケじゃないぞっ。

「せ、せ、先輩!?なんで剣を持ったまま寝てるんですかっ!?」

目の前の桜の驚きぶりからすると、どうやらこれは夢ではないらしい。
やっぱり俺は剣を持ったまま眠る
バカ剣オタクだったのか……
慌てる桜とは裏腹に、なぜか冷静な俺は昨夜の記憶を呼び覚ましてみた。


「むーん?」

「せ、先輩?あのー、ちょっとは慌てたほうがいいと思いますけど?」

「あー!思い出した。
寝る前にセイバーの勝利すべき黄金の剣カリバーンの投影に成功したんだった」

俺はポンッと手を打ち、手の中の剣に納得する。

「え?その剣ってセイバーさんの剣なんですか?」

「ああ、セイバーの代名詞みたいな剣だな、もう一本の剣と併せて有名だぞ」

「でも、なんで剣を持ったまま寝てるんですか?
それに投影した剣はすぐに消えてしまうと姉さんが言っていましたけど?」

「ああ、それは普通の剣の場合だ。
俺とセイバーは結び付きが深いからな、その分、他の剣よりも完成度が高いんだろう。
昨夜もセイバーのことがどうしても心から離れなかったから、つい勝利すべき黄金の剣カリバーンに挑戦しようと思ったんだ」

そう、そして嬉しくなってそのまま抱いて寝てしまった、と。
んー、それにしてもこの剣…………初めて投影したにしては見れば見るほどよくできてる。
へへっ、やっぱり俺とセイバーの相性が最高なのは間違いないよな。

薄く黄金に輝く剣を差し込む日光に掲げ、満足げに眺める。


「へぇー、そうだったんですかー。
セイバーさんのことが忘れられないと、先輩はそう言ったんですねー。
それはまた仲のよろしい事で……こう、なんだかうらやましいですねー、セイバーさんが」


言葉尻は冷静だが、なにやら含みのあるセリフ・・・
ん、と桜の顔を見ると、一目で分かるほどの黒いオーラに包まれていた。
なんていうか……逆鱗?

「ち、ちがっ!
それは違うぞっ!桜。
セイバーのことが忘れられなかったわけじゃなくて、セイバーとの稽古が忘れられなかったんだって!
今のセリフ間違いっ。ちょっと言葉足らずなの!!」

「へぇー、でもセイバーさんとは結び付きが深いんですよねー?
いつの間にそんな関係になったんしょうね?先輩」

「そ、それは違うぞっ、桜。
俺とセイバーはだな。あくまで元マスターとサーヴァントとしてだな…………」

「問答無用です!
私が言ってるのは浮気がどうとか、関係がどうとか、結びつきがどうとか、そんなんじゃありません!!
えええっと、ほら、そうですっ―――剣を持って寝たら危ないじゃないですか!
もしここに猫とか犬とか虎とか来たらどうするんです?切り殺しちゃったらどうするんです!?
そうでなくても只でさえ強力なライバルなのに……
っっっ、とにかくっ、もう先輩はセイバーさんの剣の投影禁止ですっ、ええ、禁止ですとも!」



どっかんどっかん、と朝から大音声を張り上げる桜。
興奮しているのか、どれが本音でどれが建前かもわかってないようだ。
突っ込みどころは満載なのだが、あえて突っ込まない方が被害は少ないだろう。
それに、これ以上桜火山を活性化させるわけにもいかない。

「ああ、わかったよ桜。
これからは十分気を付けるから、もうその件はいいだろ。
それに桜に話したい事があるんだ。ほら、朝食の時に話すからさ。
早く朝食作りに行かないと色々とまずいし」

「え?私に話したい事があるんですか……
―――は、はいっ!わかりました、先輩。
早く朝食作ってしまいましょう、さあ、早く」

ぐいぐいと俺の腕を引っ張る桜。
その姿は穏やかで、既にいつもの通りだ。
やれやれ、なんとか火山は治まってくれたみたいだな。

俺は剣を床に置き、少しだけ頬を赤らめる後輩と居間へと向かうのだった。










台所に着きエプロン姿の桜に、着替えてくるからと一言告げて自分の部屋へ向かう。
制服に着替え、顔を洗って、『さて料理を始めるか』と台所に戻ると。


―――果たして朝食は完成していた。

「はやっ!!」

朝食を居間に運び終え、エプロンを外す桜。
ハァハァと息が上がってるのは気のせいか?

「さ、桜。コレは一体!?」

「い、いえ、先輩が遅かったんで、一人で作っちゃいました。
―――では今から朝食の時間ですよね。
それでお話ってなんでしょうか、先輩?」

乱れた息を整え、俺の隣に座る桜。
テーブルに並べられた朝食は見事な日本の朝食であった。
その料理には一切の手抜きは感じられない。
果たして、5分やそこらでこれほどの料理が作れるのだろうか?
女って、怖い―――

「いや、そんなに期待されると話しづらいんだけどな。
―――今日から弓道部の練習に参加させてもらいたいんだ、とりあえず遠坂が帰ってくるまで。
ほら、桜って次期部長だろ? だから意見を聞きたくってさ」

「え?弓道の話ですか?先輩が?
―――はぁ……なーんだ、そんなことだったんですかぁー。
私に話なんていうからてっきり…………」

そこまで言って桜はモゴモゴと口ごもる。

「てっきり……なんだ?桜」

「い、いえ!何でもありません。本当ですっ。
えーっと、部活の事ですよね。
多分問題ないと思います。美綴主将も藤村先生も先輩の射を見たがってましたし」

あたふたと答える桜に余裕はない。

「そうか、なら藤ねえには朝食の時にでも聞いてみる。
美綴のほうは、ホームルームにでも言っときゃいいか」

「ええ、先輩が弓道をやってくれるのなら私も嬉しいです。
でも、何で急に弓道をやる気になったんですか?
どれだけ誘っても絶対『うん』とは言わなかったのに」

「あー、えー、うー、そ、それはだな。ちょーっと言い辛いことなんだが……」

「あー!?先輩、もしかしてまた戦闘に使うつもりですね?
もう、どうして先輩はいつも戦いの事ばかり考えているんですか!?
たまにはもっと平和な事を考えてくださいっ!
稽古だ、訓練だっていくら先輩だって疲れちゃいます」

「あ、ああ、俺を心配してくれるのは嬉しい。
けど、俺はもっと強くならなきゃいけないんだ。
だって強くなければみんなを守れないだろ?
どんな危機からだってみんなを守る―――それが正義の味方俺の目標なんだから」

「……でも、みんなを守って先輩が死んじゃったらどうするんですか?」

「―――大丈夫だ、俺は死なない。桜や遠坂を悲しませるような事はしないと決めたんだ。
それに俺が強くなれば、それだけ生き残る可能性も増えるってものさ?だから大丈夫だよ」



ピンポーン♪
おっと、来たみたいだな。なら、こんな物騒な話はこれで終わりだ。

「よっし、朝飯の準備にしよう、桜。
今日の朝飯も良くできてるし、コレならみんな満足するだろう」

いまだ納得しない桜の頭に手を置き、クシャっとする。
さらさらの髪は少しだけ乱れてしまったが、えへへ、と笑う桜の笑顔は温かった。






その日の朝食は思ったよりも静かに進んでいた。
ポリポリと漬物を食べる藤ねえは、朝から幸せそうだった。

「なあ、藤ねえ。
さっき桜にも話したんだけどさ。
―――今日から遠坂が来るまでの間、弓道部で練習させてもらいたいんだけど」

「んんっと?復帰するの?士郎が?
えー、一体全体どういう風の吹き回しよー。
むむむ、怪しいわね、なんとなく事件のにほい……」


「ぜ、全然怪しくなんかないぞっ。
ただ、ちょっと久しぶりに弓を持ちたくなっただけだぞっ、ほ、ホントだぞっ!」

「むむむ、怪しいけど嘘はない―――か。
うん、士郎がもう一度弓道をしてくれるなら、おねえちゃん大歓迎だよぅ。
今日のご飯が美味しいのと同じくらい嬉しいの」

ガツガツとご飯をかっこむ。
おい、何と同じくらいだって?

「あ、でも一応美綴さんに許可を取っておいてよね」

「ああ、わかってる。美綴なら多分大丈夫だ。今日学校で言っておくよ」

よし藤ねえの許可も取ったし、今日から久しぶりに弓道だな。
これならセイバーとの約束もきっと果たせるだろう。

チラリと左隣を見ると、セイバーは黙々と朝食を食べている。


「…………」


いつも静かなセイバーだが、なんだか様子がおかしいような。

「どうした、セイバー?
今日の朝飯、美味しくないか?それとも納豆は嫌いだったか?」

「別に納豆が嫌いというわけではありません。
今日の朝食も素晴らしいと思います…………
味は

ぶすっと返答するセイバー。
そのままジト目で俺を睨んでくる。
どうやら朝からご機嫌斜めのご様子だ。

「じゃあ先輩。お先に失礼しますね。申し訳ないですけど洗い物お願いします」

弓道部の朝連に向かう二人は、俺たちに一声かけて居間を出て行った。
俺も皿を洗い終えたら、学校に行く準備をしなければならない。


食べ終わったセイバーの食器も一緒に下げ、台所に入る。
四人分の洗い物だが、この程度ならすぐに終わる。
ついでに残り物で弁当と、セイバーの昼飯を作ってしまおう。

居間を覗くと、セイバーは目をつぶり静かに座っている。
その姿はやはりちょっと変だ。
むむむ?俺、何かしたっけかな?なんか怒ってるぞ、セイバー。

じゃぶじゃぶと食器を洗い、そんな事を考えながら弁当を作る。


セイバーの昼飯を作り終えた頃には、そろそろ学校に向かわねばならない時間だった。
とはいえ、このままのセイバーを置いていくのも気分が悪い。
どれどれ、学校に行く前にセイバーの不機嫌の原因を聞いておくか。

「セイバー、どうしたんだよ今日は。
俺が何か悪い事をしたかな?全く思い当たる節がないんだけど……」

「む!シロウが気づいていないのなら教えて差し上げます。
昨夜、別れ際に交わした約束を覚えていないのですか?」

ピシッと背筋を伸ばし、ジト目で俺を見つめるセイバー。

「昨夜の約束?弓道部のこと?」

「違います、もっと後!」

「八連を習得しろ?」

「っっ、違います!もっと後!」

「もっと?
――――――あっ!?」

「思い出していただけましたか。
シロウにとって、私との約束はその程度のモノだったのですか?
昨日あれほど堅く約束したというのに……」

堅かったかな……別れ際にサラッと言っただけのような?
それにしても、確かに忘れてた―――朝食二人分用意しとくって言ったっけ。

「シロウ、貴方は私の事をどう思っているのですか?
今の私にとっては食事は死活問題、いえ、死に直結します。
―――まさかシロウは私に死ねと!?
ああ、コレは正に虐待といっても過言ではありません
日頃の稽古の恨みをこのような形で晴らすとは、シロウも全く人が悪い。
そもそもシロウは………………」


やばっ、長くなりそうだ。
切々と俺の不明を説くセイバーが止まる気配は全くない。
既に時刻にゆとりはない。ここでのタイムロスは命取りだ。

―――それならば強行突破あるのみ!

「ごめんセイバー!これお腹が空いたら食べてくれっ!
俺のせめてもの気持ちだっ」


俺の昼飯を生贄に捧げ、ダッシュで居間から逃走する。

居間から走り去る俺が最後に見たのは、
弁当箱を大事そうに胸に抱き、ふふっと幸せに笑うセイバー。


「いってきまーす!」


そんなセイバーに元気よく挨拶をして、俺の今日一日が始まるのだった。












家から学校までノンストップで走りぬけ、ホームルーム開始前の教室に滑り込んだ。

よしっ、間に合った!

セイバーの機嫌取りに時間がかかったとはいえ、さすがに朝からマラソンは辛かった。
ゼェゼェと吐く息も荒い俺に語りかけてくる我が親友。

「今日はまた一段とギリギリだな。それにしても大丈夫か、随分と息が荒いが」

「だ、大丈夫……ちょ、ちょっと休めばこのくらい……それより先生は?」

「うーん、残念だね、衛宮。どうやら今日に限って遅れてるみたいだ。
―――せっかくそんなに走ってきたってのにねぇ」

意地悪そうに笑う美綴とやれやれと気の毒そうに笑う一成。
今日も今日とて朝からこの二人は元気そうだ。

俺は息を整えて美綴に向き合う。

「いや、間に合えばいいんだ。
それより、美綴に頼みがあるんだ、後でいいから聞いてくれないか?」

告げる間もなく扉が開き、先生が入ってきた。

「―――わかった、昼休みでいいだろ?衛宮があたしに頼みなんて珍しいね、ホント」

いつも男前の友人は素早く自分の席に戻っていく。
俺が弓道をやりたいって言ったら、美綴はきっと驚くだろうな。
ちょっとだけ楽しみだ。早く昼休みが来ないものか・・・








「ダメ」

昼休みの喧騒の中、我が友人の弓道部主将は無慈悲だった。

「ええっ!?なんでだよー、あれだけ俺に弓道やれやれって言ってたのお前だろ?」

「ソレとコレとは話が別だ。あたしが個人的に衛宮に弓道をやらせるのなら問題ない。
だけどコレは弓道部全体の問題だ。あたしの独断じゃ決められないね」

「だから桜と藤ねえには許可を取ってるんだぞっ、何も問題ないじゃないか」

「そりゃあの二人がお前に反対するわけないだろ。
せめてあたしが客観的に判断しなきゃダメってことさね」

やれやれとため息をつき説明を始める美綴。

「まずね、遠坂が帰ってくるまでってのが気に入らない。
そんな中途半端な気持ちで入部されるとみんなが困る」

「ぐっ」

「だってそうだろ?確かに衛宮は弓道に関しては天才かもしれない。
だからって三年間がんばってきた弓道部の奴らの練習時間を奪う権利はないね。
あいつらだって最後の大会に向けて大事な時期なんだ」

「ぐぐっ」

「もし衛宮が一週間といわず、正式入部するならあたしも文句はないさ。
正式な弓道部員に弓を練習させるのは当然のことだからね。
―――衛宮、あたしの言ってること間違ってるかな?」

「ぐぐぐっ―――間違ってないです」

悔しいが美綴の言うとおりだ。
俺は浮かれていたのかもしれない。他の部員の事なんてこれっぽっちも考えていなかった。

しかし、正式入部となるとさすがに無理だ。
遠坂との訓練を削ることはできないし、第一ロンドンに渡るまでの時間は限りなく短い。
―――くっ、ならばとるべき道は一つしかないか……

「ああ、俺が浅はかだった。すまない、美綴。
それなら交換条件にしてくれないか。
練習が終わった後に道場を使わせて欲しい。その代わり、道場の掃除は全部やる。
そうだ!部員の弓の手入れもやったっていいぞ」

これだと俺の練習時間は減ってしまうが仕方がない。要は集中力の問題だ。
弓はつまるところ集中力が全てだ。短い期間で最高の成果を得るコトだってきっと不可能じゃない。

「うーん……確かにそれなら文句はないんだけどな……
それにしても、衛宮。どうして急に心変わりしたんだ?
今までいくら誘っても見向きもしなかったのにさ」

「ええっと……いやー、なんででしょうねー。あ、急にやりたくなったんだよな、なぜか」

―――さすがに連射の練習をしたいとは言えません……

「んー?なんだか怪しいけど、まあいいか。
それにしたって、衛宮に雑用やらせるのももったいないねぇ。
―――だったらこういうのどう?
あたしと勝負して勝ったら弓道部に一週間入部。
負けたら雑用全部の代わりに部活後の練習許可」

これでいいだろ、なんて晴れやかに提案する美綴。

「でも、それじゃあ他の部員に申し訳ないってのは変わらないだろ?」

「いや、あたしに勝つくらいのヤツならみんなも納得するだろう、さすがに。
それにあたしも衛宮の射が見たいしね、こればっかりは仕方がない」

美綴がそう言ってくれるのなら俺としても願ったりだ。
勝負の結果は俺にはそれほど関係ない。
ただ久しぶりに射場に立てると思うと、放課後が待ち遠しくて仕方がなかった。
窓の外は快晴。
今日の放課後は面白くなりそうだ―――









久しぶりの射場は思ったよりも広かった。
目の前に広がる世界は懐かしく、道場で過ごした当時を思い起こさせる。

「さて、部活が始まるまで余り時間もない。何の勝負にしようか、衛宮?」

弓を手に射場に立つ二人に気づき、弓道部員がざわつき始める。

「そうだな、美綴が決めてくれ。全部任せる」

目に見える景色はあの当時のまま、手に持つ弓の手入れを欠かしたこともない。
弓道とは結局は己との戦いだ。勝負の方法などにそれほどの意味はないのである。

「そうだね、あたしとの勝負じゃ時間がかかりすぎるだろうし。
―――それじゃあ、今から四ツ矢を三セット。12射を衛宮に射てもらって全て的中なら衛宮の勝ち、それでどう?」

「み、美綴主将!それは厳しすぎます。三連続皆中なんて全国大会レベルじゃないですかっ。
いくら先輩でも弓を引くのだって久しぶりなんですから」

横で大人しく聞いていた桜が不満を漏らす。
口調は丁寧だが、ちょっと声が荒い。

「いや、気にするな桜。
美綴。本当にその条件でいいのか?
―――お前、俺を落とすつもりなんてないんだろ?実は」

ふふっと不適に笑う弓道部主将。

「それはどうかな?いくら衛宮でも久しぶりで三連続皆中はきついだろ?
一矢でも外したら負けだ。このプレッシャーも相当だと思わないかい」

「そうか、ならやってみるさ。
―――このぐらいのプレッシャーに負けるくらいなら、俺はもう一度弓を持つ必要なんてないんだろう」

木製の弓を構え、部員達の注目の中で射場に立つ。
視線は的の中心に沿えて固定、意識は全て心の奥底に封印。
既に的しか見えなくなった俺は、静かに射法八節を組み上げ、番えた矢をスルリと離す。




・・・

・・






「えー、コイツが今日から六日間だけ弓道部に入部することになった衛宮士郎だ。
実力の方は今の射を見たならわかるだろう。みんな良く見て参考にするように」

「えっと、衛宮です。短い間ですけど雑用から掃除まで全部やります。
皆さんの迷惑にならないようにがんばります」

短い挨拶を終えた俺に、弓道部員の喝采が飛ぶ。
どうやら今のイベントのおかげで部員達は俺を認めてくれたみたいだ。

「美綴。やっぱりお前、最初から俺を負かすつもりなんてなかっただろう?」

「さあね、その辺はご想像にお任せするよ。それより正式に部員になったんだ、好きなだけ練習して来ればいい」

しっしっと俺を角のほうに追いやる。
俺にあてがわれた射場は本座から一番離れた左端、どうやらここは自由に使っていいらしい。

そうと決まれば弓を射ることに躊躇はない。

俺は静かに前に出て、精神を鎮める。
矢を番え無心で的に集中する。
この瞬間俺の体は身も心も空っぽだ。

周囲の雑踏も、視線も、自分以外の世界全てが白く心の隅から消えていく。
ああ、やはりこの感覚は魔術に近い。
例え矢を放ってはいなくても、俺は毎日の鍛錬でこの感覚を経験していた。

的に中るイメージの通りに矢を放つ。
中ったかどうかは関係ない。

―――中ると思わば中り、外るると思わば外るる。

それはかつて届いてしまった領域。
弓の究極『正射必中』に他ならなかった。





果たして何本の矢を射ただろう。
気づくと部活の時間は終わり、周りは片付けを始めている。

俺は美綴の号令に合わせ、ただひたすらに矢を射続けていたのだ。


―――楽しかった。
久しぶりの弓道は時間を忘れるほどに楽しかったのだ。

広々とした射場も、ザラザラとした袴も、そして木の匂いのする道場さえも。
全てが新鮮であり、俺にとっては懐かしかった。
ゆっくりと組む射法八節も、全てを忘れる集中も、そして矢を番えた指の痛みでさえも。
心から楽しいと思える自分がいた。

なんとなく始めたのかもしれない。
当時を思い出してもなぜ弓道を始めたのかは思い出せない。
それでも、自分は弓道を愛していたのだと、今ここに信じられる。

―――弓道が俺の事を好きでいてくれるかは疑問だけどな。

正直な感想を漏らしつつ、額に流れる汗をぬぐう。


「衛宮、今日はこれからどうするんだい?」

「ん?ああ、もう少しやっていきたいんだ。ちょっと納得できなくってな。
鍵の管理はしっかりするから、別にいいだろ?」

「納得してない!?どんな嫌味だい、そりゃ。
―――余りにも衛宮が集中してたおかげで、あたしゃ危うく見惚れるところだったてのに」

きしし、と笑う美綴はまるでアイツみたいだった。

「べ、別に久しぶりだったから集中できただけだ、そんなに大したことじゃないだろ?
でも、それにしても集中しすぎた、補助役の一年生にお礼を言うの忘れてたよ」

「ははっ、それは心配ないね。弓を志す者ならアンタの射を見ただけで勉強になるんだ。
あれだけ間近で見れれば感謝こそすれ、恨まれる事はないよ。
―――時に衛宮。アンタ、今日何本の矢を射たか覚えてるかい?

「ん?さあ、数えてないけど? 百本くらいか?」

「124矢。
一矢の狂いもなく、全て皆中。
―――衛宮、おまえさんやっぱり天才だよ」

手をひらひらさせながら、じゃあね、と美綴は道場を出て行く。






正規の部活動が終わり、部員たちもみんな帰っていった。
道場に残されたのは俺と桜の二人だけ。

「先輩、まだ練習を続けるんですか?」

「ああ、俺にとっては今までのが練習、これからが本番だ」

今までとは異なり、矢を矢筒に入れ射場へ進む。

「桜、今からやることは藤ねえと美綴には内緒だぞ。
―――これは弓道なんかじゃないんだから」

そう、矢を番えるその姿には八節はおろか、礼節すらない。
ただ敵を倒す為の効率を重視した弓術。

俺は息を止め、一息の間に三連を放つ。

次の瞬間、三本の矢は三角を描き、目的の的に突き刺さっていた。

「先輩、それって……!?」

「ああ、弓道じゃないだろ。これはただの殺し合いの技術だ。
―――それにしても和弓に羽のついた矢じゃ、これ以上の束ね矢は辛いな」

アーチャーの弓は、どう見ても洋弓だった。
和弓はどうしても連射性にかける。
しかしそれは構造上仕方のないことである。
弓道の弓はいわゆるロングボウ、遠くを狙う用途に作られているのだから。

それ以外にも弓道と弓術では趣が全く違う。
―――弓道とは己を磨く道、即ち武道である

『弓を改良するよりも、自らの力を磨け』
これは弓道を志す者なら誰でも習う基本。

ならば俺も弓に頼る必要はない。

「四束中を二度続けざまに放つか……
徐々に速度を上げていければ、アーチャーの八連に追いつけるかもしれない」

うん、これならば練習しだいで成果が出るかもしれない。

進む道は決まった。
後は進むだけ。残された時間は限りなく少ない、後たったの六日間しかないのだから。
だが不可能ではない、たとえ一時間でもそれが一日分の鍛錬になるよう集中する。
それが本当の集中力というものだということを俺は知っている。

「先輩。補助、やりますね」

横で見ていた桜がにこりと笑う。

「ん、嬉しいけど、桜は反対してたんじゃなかったのか?」

「もちろん反対です。
でもせっかく先輩と一緒にまた部活ができるんですから、一生懸命お手伝いしちゃおうかと思います」

「そ、そうか。それなら頼む。
あんまり遅くなると、セイバーが暴れるからな。
一時間くらい練習したら一緒に帰ろう」

「はいっ!」

元気良く返事をする桜の姿は、今まで見るどの姿よりも嬉しそうだった。

「ったく……俺が弓道をやるのがそんなに嬉しいのか、桜は」

桜には聞こえないように呟きながら、俺も少しだけ嬉しそうに笑った。
それは果たして嬉しそうに笑う桜への微笑みか、再び弓を持った自分への喜びか。
無心に弓を構える俺には、もうどうでもいいことだった―――







鍵を閉め道場を出ると、外は既に真っ赤だった。
夕焼けの中、桜と二人並んで学校の門をくぐる。

「少し遅くなったかな。
セイバー、怒ってないといいけど……」

「大丈夫です、いくらセイバーさんでも少し待たせただけじゃ怒りませんよ」

「甘いっ、甘いぞ桜。
アイツはある一定の基準に従って、すっごく理不尽になるんだ」

今朝も俺の昼飯を生贄に捧げたんだぞっ、とちょっとぶすっとしてみる。

「はい、確かにそうですね。でもそれはちょっと違うと思います。
セイバーさんは先輩の事を信じているから、怒って見せるだけなんですよ。
本当に心から怒ったりはしません」

「そうかぁー?セイバー、よく怒るぞ、稽古の時もビシビシくるし」

「先輩にはまだ分からないかもしれませんね。
乙女心は複雑なのです♪」

そう言って桜は二三歩前に出る。
足取りは軽くスキップで、目の前の夕日に向かって跳んでいく。

「今日はやけに嬉しそうだな、桜。
学校で何か嬉しいことでもあったのか?」

下り坂を少しだけ先行していた桜は、ピタッと止まりこちらを振り向く。

「はい、ありました。
―――先輩と一緒に部活をして、こうして二人で帰れるんですから」

夕日をバックに臆面もなく言う桜は真っ赤に見えた。
きっと夕日で赤いのだろうが、その桜に少しだけ慌ててしまった。

「そ、そうか……そんな些細なことで嬉しいなんて桜もバカだな」

「はい♪私、バカなんです。だからこんな事で凄く嬉しいんです」

自分でバカといっておきながら桜はとても嬉しそうだった。

―――こんなに喜んでくれるのなら、もっと早くこうしてあげれば良かった。
部活をやることはできなくても、一緒に帰ることくらいはできた筈。

俺は少しだけ後悔をしながらも、それなら今日からの六日間は桜と一緒に帰ろう、と誓うのだった。






戦場のようだった夕食も終わり、桜とセイバーを送り届けた俺は土蔵に入る。
いつもより少し早めの時間だったが、遠坂との魔術講座がない今、少しでも多くの魔術鍛錬を積んでおきたかったのである。
頭に浮かぶのは勝利すべき黄金の剣カリバーン
普段、俺は干将・莫耶を投影することが多い。
一番体に合っているのだから仕方のないことなんだけど、なぜかちょっと悔しい。

昨日初めて挑戦した勝利すべき黄金の剣カリバーンは素晴らしい出来だった。
さすがに今はもう消え去ってしまったようだが、今までで一番の精度だったと言っていい。

今日は約束された勝利の剣エクスカリバーにチャレンジするつもりだった。
頭の中で聖剣を振るうセイバーの姿を思い浮かべる。
手に持つ聖剣は黄金に光輝き、その輝きには勝利すべき黄金の剣カリバーンさえも及ばない。

頭に思い浮かべるのは聖剣の全て。
創造理念、基本骨子、構成材質、製作技術、成長経験、蓄積年月、そしてその全てを心に描き、投影を試みる。

が、その瞬間ブレイカーが落ちる。
目の前が暗転し、強制的に投影停止トレースオフの命令が発せられる。

自慢じゃないが俺の魔力は成長していた。
毎日遠坂に鍛えられた俺の魔力回路マジックサーキットは、あの頃の貧弱だった俺の比ではない。
それでも俺の魔力では不足なのか?それともあの剣は投影してはならないものなのか?

多分理由はその両方。

星に鍛えられた神造兵装だという最強の幻想ラストファンタズムは、そう簡単に作り出してはならないものなのだ。
もし俺が投影するのなら、あの魔術―――固有結界の発動が必要になる。

そうでなければ、俺はきっとこの命を賭けねばならないだろう。

「ふぅ―――」

俺は意識を切り替えて、通常の投影の訓練を再開する。

「よしっ、今日も勝利すべき黄金の剣カリバーンだ」

勝利すべき黄金の剣カリバーンといえど、俺には過ぎたる宝、一寸たりとも気を抜くわけにはいかない。

―――今の俺は、しなければならないことを必死にやるだけだ。

そんな意識さえも魔術の行使の為に心の奥底に消えていった。








遠坂がロンドンに渡ってから六日。
再び弓道部に入った俺はそれまで以上に忙しい毎日を過ごしていた。

朝は学校、放課後から部活、夜には剣の稽古、寝る前に魔術鍛錬。

はっきり言えばオーバーワーク。
いや、遠坂がいたときも同じくらいのスケジュールだった筈だが、今は段違いにきつく感じられた。
特に、肉体的な辛さよりも精神的な辛さがきつい。

みんなとは上手くやってるし、不満な点も特にない。
なら、このくらいの忙しさで根をあげる俺じゃないはずだ。

そう感じながら六日間を過ごし、七日目の朝を迎える。





「衛宮、どうしたのだ。朝から天井を見上げてニヤニヤするとは」

俺の席の前には元生徒会長。いや、引継ぎが終わるまでは現生徒会長がいた。
怪しげに俺の顔を訝しがっている。

「ふふん、柳洞。それ以上聞くのは無粋ってもんだよ。
―――なあ、衛宮?」

きしし、と笑いながら俺の背中をバンバン叩く。

「いててっ、何するんだよ、美綴。
それに無粋って何だよ?俺は別に何も言ってないだろ」

「いいからいいから。
もう一週間だもんねー、溜まりに溜まってるんだろ?衛宮くんも〜」

このこの〜と俺の背中をつついてくる美綴。

「な・な・な……んなわけあるかーーーーー!
だからお前は何でそうやって女の子らしからぬ事を平気で言うんだっ?
俺と遠坂はそんなに淫らな関係じゃないって言っただろーーーー!
だめだろっ、そんなんじゃ。日本の未来は?大和撫子はどうなるんだ?」


教室中に響き渡る大音響で言い放ち、ハァハァと乱れた息を整える。


「あれー衛宮クン?遠坂さんと何かするの〜?
私は『溜まってる』って言っただけでしょ?
―――確か明日だよね、燃えないごみの日♪ 衛宮くんちでも溜まってるんでしょ〜?」


な、なんとーーーーーーー!?
高等テクニック!?またもや誘導尋問!?

美綴に完膚なきまでに叩きのめされた俺は机の上に突っ伏して動くこともできない。
教室中からザワザワと話し声が聞こえてくる。

「衛宮くん、遠坂さんと……」
「淫らな関係なんですって……」
「お、おのれ、衛宮……」
「帰り道には……」
「気を付けたほうがいいかもね……」

不思議だ。教室のアチコチで別々のヤツラが別々に話しているのに、繋げると意味が通じる。
本当に不思議だ。

「ふむ、そうか。あれから既に一週間か。過ぎてみると存外早かったと言えるな」

「そうよ、だから衛宮は朝から嬉しそうなんじゃないの。ね、衛宮?」

「ふ、ふんっ。別に嬉しくなんかないぞっ、たった一週間くらい会えなかったぐらいで」

「ほう、その言葉、確かに聞き届けた」

「そうね〜、遠坂が聞いたらなんていうかしら?」

「ぐっ、くぅぅぅぅぅぅぅっっっ!」

「ん、どうした?衛宮よ。遠坂が帰って来ても嬉しくないのであろう?
なぜうねり声を上げているのだ?」

「そうそう、遠坂なんて帰ってくるなー、って伝えておくからさ、ね」

お、お前ら……いつの間にそんなにコンビネーションが良くなった!?
いや、一成は鈍いだけか?美綴に相棒として上手く利用されているのだ。

「どうした衛宮?何か言いたいコトがあるのなら、言ってしまった方がすっきりするぞ」

「そうね〜、今のうちに言っておかないと色々と大変かもね、明日あたり」

負けなのか……?
これは俺の負けなのか?

―――正義が悪に負けるなんて。

「遠坂に会えるから嬉しい……」

「んん!?聞こえないんだけどぉ」

「遠坂が帰ってくるから嬉しいって言ってるんだよ、あくまドモめ!
大体お前らなー、俺をいじめてそんなに楽しいのか?」


「む、俺は別に衛宮をいじめている気はないぞ」
―――確かに、お前は鈍いだけ

「楽しいね。もう最高」
―――確かに、お前は今から俺の中であくま決定。

それはあくま二世の誕生の瞬間だった。


「くそぅ、まぁその話はもういいや、実は昨日遠坂から電話があって、明日予定通り帰るって言ってた」

「あらま、それで久しぶりだから長電話しちゃったのかね?」

「全然、アイツ電話代もったいないから切るわー、って30秒で切りやがった」

「あははっ、アイツらしいねー」

「うむ、アヤツらしいな」

「ああ、アイツらしいだろ?」

期せず同時に大爆笑する俺たち。
俺たち三人にアイツらしいの一言で済まされる遠坂って一体……なに?


「話は変わるけど、一週間って事は弓道は今日までなの、衛宮?」

「ああ、初めからそういう約束だったしな。
その、済まなかったな美綴。それと、ありがとう」

「ん?ああ、お礼をいう必要は全然ないよ。
言ったろ、衛宮の射を見ているだけで勉強になるって
まぁ、つまりソウイウコトさ」

ソウイウコト、か―――
そういってもらえば俺も気が楽だ。
美綴や桜は別にしても、俺の存在は弓道部の部員にとってはイレギュラーだった筈だ。
今日が最後だが、何か謝罪をしたいとさえ思っている。

「今日は最後なんだろ?衛宮。
―――だったら最後は少し趣向を凝らすから、楽しんでくれよな」

美綴の言うことは分からないが、最後だから楽しんでいけ、ってことか?
今までだって十分楽しかったんだけどな……








その日の部活もいつも通りに始まった。
ただ俺はなぜか本座に一番近い右奥をあてがわれた。

そしていつものように美綴の号令の元、一斉に射を始める。

この通常の弓道の練習が俺にとって全然プラスじゃなかったかと言えば、実はそうでもない。

やはり弓道の練習は魔術のソレと良く似ている。
こうして集中力を鍛えることは、魔術師にとってもきっとプラスに働くに違いない。




果たして無心で何本の矢を射続けたのだろう。

ふと気づくと、もうすぐ部活動終了の時間だ。

だが、周りの様子がどうもおかしい。
弓道場の視線全てがどこかに集まっているように感じるのだ。


「お、俺!?」

「あら、気づいちゃった?衛宮。
―――そうさ、今日で最後だから、みんなでお前の射を見続けていたのさ」

そうか、だから今日は右奥なのか。
こちらからは後ろが見えず、皆は矢を射ながらも俺を見ることができる。

俺は急に恥ずかしくなって、矢を射る体勢を崩す。

「おっと衛宮。ここでやめるのはなしだよ。
もう今日の部活も終わりだ、最後の一射―――私たちの目に焼き付けさせてみな」

ニコッと笑う美綴に邪気はない。
その顔は心底真面目で、弓道部部長としての頼もしい顔だった。

俺はスッと的に向き合い、足踏みからの八節を組み上げる。


―――この矢は外せない。

今までで一番大事な矢を今までと全く同じように射る。

頭に残るのは中るイメージだけ。
ならばこの矢が外れてしまうことはない。

―――果たして、瞬きの後その矢は的の中心に突き刺さっていた。

わぁっと上がる歓声と万感の拍手。
弓道部員全員の温かな拍手の下、俺の最後の弓道は終わった。







騒がしかった道場には今は俺と桜の二人だけ。
桜との秘密特訓も今日で終わりだ。

「先輩?どうしたんですか」

「……いや、ちょっと照れたなーってさ」

「でもみんな感心してましたよ、あれほど上手い人は見たことがないって」

桜は自分のことのように喜ぶ。
だが、俺に取ってはその笑顔は辛い……

「どうしたんですか、あんまり嬉しそうじゃないですね?」

「そりゃ俺だって褒められれば嬉しいさ。
でも、桜は知ってるだろ?
魔術の鍛錬と弓は酷似してるって。
確かに俺は人よりも弓が成っているとは思う。
でも、それは俺の実力じゃない。だから俺に褒められる資格は無いよ」

それを聞いた桜はきょとんとした後、ニコッと微笑んだ。

「それは……知ってます。
確かに私だって魔力を通せば少しは身体能力が上がりますし、
姉さんなんて百メートルを七秒とかで走れちゃうんですよ」

化け物みたいでしょ、と自嘲気味に笑う桜。

「でも、だからって先輩の今の射が実力じゃないなんて思いません。
だって私だって魔力の鍛錬はしているんですよ、小さい頃からずっとずっと。
それでも先輩には程遠いです…………全部実力なんですよ、先輩の」

優しげに微笑む桜の話は続く。

「ちょっとだけ嫉妬も感じるんです。
―――だって先輩ほど弓の神に愛された人は、絶対この世にはいないんですから」

そういって締めくくった桜の顔には嫉妬など微塵もなかった。

「そうか、そんなことはない、とは言えないな……
ありがとう、桜。少しだけ楽になった気がするよ。
それとよかった、一週間とはいえまた弓道をやれて」

少しだけ迷いの消えた俺は、桜に心ばかりのお礼を述べた。

「先輩♪
弓の神って女性なんですよ、知ってますか?
そんな神様にまで愛されちゃうんですから、先輩の『女たらし』も相当なレベルですよね〜」

クスクスと笑う桜、別に怒ってはいないようだ。

「む、そんなことはない、ないけど……少しだけ、その『弓の神様』の力を貸してもらおうかな」

矢筒とともに射場に立ち弓を構える。
意識を集中して今日で終わりとなる鍛錬を始めた。







空が赤くなってきた。
少し早いが、そろそろ家に帰らなければならない時間だ。
少しだけ名残惜しいけど、それも仕方のないこと。

弓を片付け、桜に終了の合図をする。

「あ、終わりですね。なら片付け手伝います」

「いや、今日はいつもよりちょっと早いだろ。
最後だから少し掃除していこうか、と思ってさ。
桜はその辺で休んでてくれていいぞ」

「掃除ですか?それならもちろん私も手伝います」

「俺は今日で最後だから綺麗にしたいんだぞ。
桜は明日からもここに来るんだろ?なら俺に任せておけばいいんだって」

「えっと、先輩はその理由で私が納得すると思ってるんですか?」

「思ってない。分かったよ、一緒に綺麗にしてしまおう。
二人でやればすぐだろ、きっと」

「はい、ピッカピカにして、みんなを驚かせちゃいましょうね」

「俺はそういうの嫌だ。普段みんなが見えないところを掃除するのがいいんだろ」

「ふふっ、分かりました。じゃあ私は見えるところを掃除しますね、先輩」

桜はモップを持って元気に走っていった。

道場の掃除が終わったのは二人がかりでも30分後の事だった。




「先輩、何をしてるんですか?早く帰らないとセイバーさんが怒り出しますよ?」

「ああ、今行く。ちょっと忘れ物を取ってくるから先に外に出ててくれ」

桜が外に出たのを確認して
たった一週間の短い間お世話になった道場に、ありがとう、と深々と礼をした。

「先輩ー?」

外で待つ後輩の声に頷き、俺は夕焼けも沈みつつある外に出た。





桜と二人の帰り道、今日で最後だった。
そう思うと寂しいのか、桜も余り話しかけてはこない。

だが、俺は一言言っておきたかった。

「桜、一週間色々ありがとうな。
遠坂がいない分、桜にも負担をかけたな」

「いえ、そんなことありませんよ。
私は何もしてません。
ただ……」

「ただ?なんだ」

「先輩と一緒に帰るのもこれで最後だなー、と思いまして」

ちょっとだけ俯く桜。
そうだっけ、弓道を始めた初日、桜は凄く喜んでた。

「なら、これからも一緒に帰ろう。
ま、毎日は無理だぞっ、
ほら、遠坂と帰る事もあるし、あと急ぐ時も有るだろうし。
でも、なるべくなら俺も桜と一緒に帰りたいな」

そういうと桜は顔を真っ赤にして更に俯いた。

「は、はいっ!毎日じゃなくてもいいですっ。
たまには一緒に帰ってもらえますか?先輩」

「もちろんだ。約束だぞっ」

「はい、約束です―――」

人から見たら他愛のない約束かもしれない。
遠坂に見られたら怒られるかもしれない。

でも、もうすぐお別れになる桜と一緒にいたいと思うことは悪いことなのだろうか?

―――俺と遠坂の大事な妹。
せめて日本にいる間くらいは、もっともっと幸せに笑ってもらいたい。

それが、偽らざる俺の本心だった。








四人での夕食も終わり、桜とセイバーを連れて遠坂邸に向かう。

二人に少し待ってもらって俺は土蔵に入った。
そこには今日までの部活に使った俺の弓―――和弓があった。

俺はその弓を取り、基本骨子を読み取る。
今日はセイバーに成果を見せる日だ。
この前のような見せ掛けだけの弓じゃだめだ。

弓の端々までを解析リードし、頭の中に設計図を読み出す。

―――これならいけるかな。

剣以外を投影するのは初めてだが、この程度なら問題はなさそうだ。
多少魔力は使うかもしれないが、それでも宝具に比べれば少ない方だ。

「シロウ?何をしているのです?」

なかなか帰ってこない俺を心配したのか、セイバーが土蔵に入ってきた。

「それは?弓ですか。その弓を持って行くのですか?」

「いや、もう全て理解した。この弓は俺の中にある。いつでも取り出せるから持って行く必要はないさ」

そう言ってセイバーを促し、土蔵を出た。



暗い夜道を三人で歩く。
いつぞや三人で歩いた時のように、空には満点の星空が覗く。

「先輩。いよいよ明日ですね、姉さん元気でしたか?」

桜は夕べの電話に出ていない。
国際電話だからという理由で、妹とも話さないというのもいくらなんでもケチだと思う。

「ああ、元気そうだった。明日の朝には到着するって言ってたぞ」

「そうですか。じゃあ今のうちに宣言しておきますけど、
明日からは姉さんに遠慮はしませんよ。本気で行きますからそのつもりで覚悟してくださいネ」

何を本気なのかは定かではないが、ちょっとだけブルッと来た。
―――女って怖い。

「そうですね、リンが帰ってくれば私もようやく今の不自由から開放される」

「なんだ、やっぱり辛かったのか、セイバー」

「それはもちろんです。眠くないのに眠るのはやはり辛い。食事も普段より少しだけ多めに取りましたし」

少しだけ―――?あれが?ウソだろ?

どうやらセイバーの『少しだけ』は幅広い意味を持つようだ。
だって遠坂のいないこの一週間、食事代は普段より全然多かったんだから。
……つまり五人の時より四人の今のほうが食べているということ。

もし明日からのセイバーが、今と同じだけ食べたらと思うと心底身震いする。

「それに今はリンからの魔力提供はゼロです。
ラインは繋がっていますが、あちら側で供給を絶っています。
例えリンが側に来ても分からないくらいに、今の私とリンの繋がりは薄いのです」

「そうか、どうせ殆ど魔力を送れないなら無駄なことはしないんだろうな、アイツそういうヤツだから」

「はい、リンはそういう人ですから」

二人して、はぁーーっとため息をつく。
なんだか仲間を見つけた感じ。セイバーも苦労してるんだな。

間桐の屋敷で桜と別れ、セイバーと二人で遠坂邸に向かう。

「シロウ、今日は約束の日です。
特訓の成果を見せてもらいましょうか」

「もちろんだ、弓の神の力ってヤツをみせてやるぜ」

「ほう、この剣の精霊である私に向かって、弓の神アフロディテとはよくぞ言いました。
十年早いことを教えて差し上げましょう」

「ふっ、今夜俺はセイバーを越える―――」

「ふっ、言いましたね、シロウ」


二人して怪しげに笑いつつ、坂を上る。
徐々に遠坂の屋敷に近づくに連れて、どんどんあたりが暗くなるような気がする。
これは、魔力?

「シロウ!気づいていますか?これは結界から溢れる魔力の猛りです」

瞬時に騎士の顔となるセイバー。
ただ事ではない気配を感じ取ったようだ。

「ああ、わかってる。
この黒いオーラは間違いない、あの時のヤツだ。
あれからずっと大人しくしてたから、こっちとしても動くに動けなかったけど、
遂に向こうから出てきやがったか」

ちぃ、それにしてもタイミングが悪い。
明日になれば遠坂が帰ってくるというのに、何もこの時期に来なくたって……

周囲に漂う魔力はもう瘴気といっても過言ではなく、あたり一面に闇を振りまいていた。

遠坂の家に近づけば近づくほど、あたりは闇に包まれ、もはや空には星など見えなかった。

そして遠坂の家の前、背の高い見覚えのある人物が俺たちを待っていた。




「言峰っ!」



「久しぶりだな、衛宮士郎よ、それにセイバー。
サーヴァントが存命しているのには驚いたぞ」

「言峰ぇっ!
何でお前が生きている。お前はランサーに胸を貫かれて死んだんじゃなかったのか!」

「ふむ、確かに私は死んだ筈かも知れぬ。だが、それをお前は、いや凛は確認したのか?
この身が業火に焼かれて塵となったその瞬間を見届けたのかね?」

「うっ、そ、それは……」

俺は遠坂に聞いたことくらいしか知らない。
でも遠坂は言った。ランサーの呪いの槍に心臓を貫かれれば生きていることはありえない、って。

「そうだな、もう一つ教えておけば『私の体には元々心臓などない』
心臓らしきモノはあるがな、それが生きている原因かも知れぬな」

くっくっ、と笑う神父は教会であった時と同じく俺にとっては敵であった。

「事実です、シロウ。コトミネの心臓は確かにキリツグによって打ち抜かれた。
なぜ生きているのかは分かりませんが、それが十年前の真実です」

「それで?
言峰、お前は何がしたいんだ!また聖杯戦争なんてくだらない事を始めようなんて思ってないだろうな!」

「ふむ、それも一興かもしれんな。
なぜ私が生き残ったのかは分からん。
だが、これも主の思し召しに寄るものだろう。
だから私は私のやりたいことをやりたいようにするだけだ」

コイツにやりたいことをやらせるなんて許すわけにはいかない。
それに

「残念だったな、聖杯はセイバーが木っ端微塵に破壊した。
この地で聖杯戦争なんて馬鹿げた戦いは、もう二度と起こることはない」

「それは本気で言っているのか?
お前はともかく凛さえも気づかないとはな、遠坂の血も落ちたモノだな」

「な、何を言っている!聖杯はぶっ壊したって言ってるだろ!」

「衛宮士郎よ。気づいてないなら教えてやろう。
―――聖杯はまだ生きている。
お前たちが壊した聖杯はいわば表の聖杯。柳洞寺の地下には聖杯の本体ともいえる大聖杯が今なお生きているのだ」

「な、なに!」
「!」

「今は結界のおかげで中に入ることはできん。後で見に行ってみるのだな。
―――もっともここから生きては帰すつもりはないのだが」


瞬間、当たりは完全なる闇に包まれる。
音も光もない闇の世界。
目に見えるのは言峰とセイバーだけ。
耳に聞こえるのは俺とセイバーの呼吸だけ。

どんな魔術なのかは分からない。
だけど、このままじゃまずいのは俺でもわかる。

「セイバー!」

隣にいるセイバーに合図を送る。
戦いになったなら躊躇はできない。

「はい、私にお任せください、シロウ」

セイバーは瞬時に鎧化し、剣を構える。

「ほう、その剣で私を切るというのか?
それはさすがに剣の精霊といえども厳しいのではないかな」

なんとセイバーの持つ剣は竹刀だった。
元から俺との稽古しか考えていなかったのだから当然なんだけど。
なら

「セイバー、ちょっと待て!
今、俺がセイバーの使える剣を造るから」

だが、その声を聞かずセイバーは目前の言峰に切りかかった。

「心配は無用です、シロウ。
遠坂の結界の中には入れば、この竹刀でも私の負けはありません」

言うが早いか、セイバーは竹刀に魔力を込め、目の前の何もない空間に叩き付けた。

次の瞬間、ガラスが砕け散るような音と共に黒の世界は砕け散り、満天の星空が顔を出す。

「この程度の結界、私に通じると思ったか!」

着地と同時に反転、そのまま言峰に向かって跳ぶ。
そのセイバーの動きは雷光そのもの、俺との稽古ですら見せぬセイバーの本気だった。

遠坂の屋敷の領地に入った為だろう、多少の魔力は使えるようになったみたいだ。

ならば、接近したセイバーに切り伏せられぬモノはない。
たとえ手に持つ武器が竹刀であろうと、魔力を通したその剣は言峰の体を真っ二つにするだろう。


「ほう、ではこの結界ならどうかな?」


言峰はニヤリと笑ったかと思うと、少しも慌てず右手で自らの左の手首を切った。
目の前にはセイバー。
左手の手首からは血が止めどなく溢れている。

言峰の体の魔力が青白く反応する。
魔力刻印に魔力を通した!?

くっ、やばい!

「セイバー、戻れーーーーー!」

だがセイバーは止まろうとはしない。

「心配は無用です。如何なる魔術であろうと、この身には効きません!」

違うっ、そんなんじゃない!
だってその言峰の魔術は……


告げるセット―――」

言峰の短い呪文により、世界自体が一変する。

一工程シングルアクション!?

その呪文の余りの短さに俺もどのように反応していいかわからない。

そしてセイバーの動きが止まる。
いや、セイバーだけじゃなく既に俺も動けない。
この瞬間、遠坂の屋敷は出口のない迷路のように閉ざされてしまったのだ。

セイバーを追いかけて屋敷の門をくぐってしまった俺。
その体は重く、普通に歩くのも不可能に近い。
体からは徐々に力が抜け、魔力の消費も通常の比ではない。

セイバーは言峰の目の前で片膝を突いて苦しんでいる。
顔面は蒼白で、その脂汗の量がセイバーのダメージを表現している。
俺よりも数倍はキツイ呪い、それが今セイバーを潰しているのか。

「言峰っ!
何だ今の魔術は!?一工程シングルアクションでこれほどの魔術がこの世に存在する筈がないっ」

十メートルは離れているだろうか、膝を突くセイバーの前に立つ神父はつまらなそうに口を開いた。


「だからお前は未熟だというのだ。今のは干渉魔術ではない。
そしてもちろん今の一工程シングルアクションが全ての魔術でもない。
私がこの地に舞い戻ってから、今日までの七日間に少しずつ固めてきた魔術発動のきっかけに過ぎん」

「!!?
七日日間もかけて固めた魔術だって!?」

そんな長い期間をかけて発動する魔術。
この体の力を奪われるような呪い。
そして、セイバーの魔力切れのような苦しみ様。

「まさかっ!」


「ようやく気づいたか。
ココはこの地の龍脈。そして遠坂の支配地。
七日間の解呪ディスペルにより、この地の結界は今私が書き換えた。
この意味が分かるかな。衛宮士郎よ」

分かるに決まってる!
魔術師にとって、ホームグラウンドで戦うことはイコール勝利。
俺の家には進入検知くらいの結界しか張ってないが、
冬木の管理者たる遠坂の屋敷には強力な結界が張ってあるはず。

その結界が主を代えたというのならば、ここで戦う限り俺たちに勝利はない。

「やっと理解したか。
私がこの地に帰ってくると、好都合な事に凛は不在だった。
しかもお前の話を覗き聞くと一週間帰ってこないなどと、愚かにも言う。
いくら遠坂の結界とはいえ、私は元遠坂の弟子。七日も有れば十分だったのだよ」

この男がこれほど嬉しそうに笑う姿を見たことがない。
それほど、今の俺は情けない顔をしているということか。

「はぅっっ!」

うめき声を上げるセイバー。アイツがあんな声を出すなんて……
死ぬほど苦しいということか。

こうしている時間はない。すぐにでも助けないと。

「うむ、苦しいのかセイバー。
それも当然だ。今のこの地はお前に魔力を供給するどころか、奪おうとしているのだからな。
まぁ放っておいても一時間もすれば消えてしまうだろうが、せっかくだ、止めを刺してやろう」

言峰は胸から剣の柄のような物を取り出した。
その柄に一息の魔力を通すと、柄には黒光りする刃が編まれた。

「な、何だあの剣は!?それに今のは・・・投影?」

「それは違うな、衛宮よ。この剣は教会の代行者が使う『黒鍵』という剣だ。
代行者のレベルにもよるが、この通り柄に魔力を通すだけで剣となる。
見ての通り、とても扱いづらい剣だ」


言峰の言うとおりその剣は余りよくできた剣ではなかった。
刀身はレイピアのように細く、重心は前に傾いている。
俺は即座に解析リードし、その武器の特徴を掴んだ。

「投擲用の剣……!?」

「その通りだ、よく見ただけで理解できた。
ただ、この剣にはそれ以外にも一つだけ優れた点がある」

言峰は嬉しそうに、剣を逆手に持ち替え、下にいるセイバーに突き刺した。

「なっ!!」

剣はセイバーの右肩を深く貫いた。

「このように、対霊体に関してのみ素晴らしい効果を発揮する。
教会の代行者が使う剣であるからそれも当然なのだが」

言い終えると言峰は一気に剣を引き抜く。
剣についた血のりをつまらなそうに振り払い、再びセイバーに向けて振り下ろす。
セイバーは自らの消滅を抑えるのに必死で、痛みすら感じていないようだ。
言峰の剣が狙うのは肩ではなく、次はセイバーの頭―――

その姿を見ても俺の体はまとわりつく呪いを振り払えない。
どれだけの力を込めても、手についた鎖は千切れず、足についた重りも壊せない。

そんな俺をあざ笑うように剣を振り下ろす言峰。
チラリと俺のほうを見て、心底つまらなそうに笑みを浮かべる。


「――――――!!!!!」


このままだとセイバーが死ぬ。
後一秒後には死んでしまう。
それをこんなところで見ているのか!?
俺はみんなを守ると誓ったんじゃないのか?

目の前に浮かぶのはセイバーの笑顔。
コクコクと美味しそうにご飯を食べるセイバーの幸せそうな笑顔。
ライオンのぬいぐるみを大事そうに抱えるセイバーの笑顔。
俺の進歩を我が身のように喜んでくれるセイバーの笑顔。


俺はソレを守る為に今まで鍛え続けてきたんじゃないのか?
こんな結界の呪いにいつまでも捕らえられている場合じゃない!!



―――セイバーの笑顔を失いたくないんだっ!!!!


体を流れる魔力に全力疾走を命じ、俺の体中を走りまわせる。
遠坂は言った。
結界は所詮はその土地に働きかけるだけ、体内で魔術を作る魔術師には効果は薄い、と。
俺だって魔術師の端くれだ。

あれからずっと鍛えてきたこの力、今使えなかったら衛宮士郎は只のバカだ!!!


その瞬間、手に絡む呪いも足をつかむ重りも全てが消え去った。
それと同時に呪文を唱える。



投影開始トレースオン―――」




誰の目から見ても明らかだった。
後一秒の後にセイバーは串刺しにされる。

黒鍵がセイバーに触れる瞬間、その剣は何か鋭い物によって弾き飛ばされた。


間に合った―――

俺の手には投影した弓。
そして言峰の剣を弾いたのは投影した無銘の剣だった。


「ほう、結界の呪縛を解いたか。
それでなくては面白くない。
だが、お前はこの娘を始末した後にゆっくりと相手をしてやる。
今しばらく待っていろ」

俺の姿には一瞥もくれず、胸から新たな柄を取り出し魔力で剣を編む。
そして、そのまま再びセイバーに振り下ろす。

「このやろうっ!
俺が狙ってるのをわかってるのか!?」

俺は素早く三本の矢を弓に番えた。
作り出した矢は三本の剣。
無銘の剣だが、魔力を乗せてあるだけに殺傷力は十分だ。
これより強い剣を使うとセイバーまで殺してしまうかもしれない。

―――狙うは三点!

こちらに横を向ける言峰を狙う。
部活の訓練のおかげか、その射は滑らかで少しの淀みもなく発射された。

ガツンと黒鍵を弾く音と同時に、言峰の側頭部と肩に突き刺さった。

三本の矢の威力で、言峰は十メートルほど弾き飛ばされ、木の根元にうずくまった。

「セイバー!」

その隙に急ぎセイバーに駆け寄り、抱きかかえる。

「セイバー、とりあえず逃げるぞ。
この結界の中でヤツと戦うのは自殺行為だ」

有無を言わせず門に向かう。
セイバーには既に答える余裕はない。

だが、俺は門の前まで来て絶望した。
強力な結界によって俺たちは阻まれているのだ。

「無駄だ、この地を長い年月守ってきた結界だと言っただろう。
一度捕らえた敵を逃がす筈もあるまい」

セイバーをその場に下ろし、言峰に振り向く

「そうか、つまり―――」

「そう、私を倒さぬ限りココから帰ることはできない」


それで覚悟が決まった。
倒さなければ死ぬのなら、倒すしかない。

足元の大事な人の顔を刻み付けて、俺は言峰に向けて一歩を踏み出す。

「やっと覚悟が決まったか。
今更私を殺したくない、などとは言わないだろうな」

「ああ、お前は今ココで俺が殺す。
―――お前、もう人間じゃないだろ?」

先ほど言峰に突き刺さった側頭部と肩の傷はでたらめな魔術によって治りつつある。

「何を失礼な。私はいまだ人間だ。
私は元々『創り出す』魔術師だ。魔力が無限にあるのなら、この程度の治癒は容易い」

そうか、つまりやつを殺すには治癒が起こらぬように即死サドンデスさせるか、
治癒が間に合わないほど殺し尽くすオーバーキル、ってことか。


あの言峰を相手に即死サドンデスは正直辛い。
だがあの技ならきっとコイツを殺すことができる。

問題はその隙をどうやって創り出すか、だな。

「セイバー、あと少しだけ我慢してくれ。すぐに終わらしてくるから」

「シ、シロゥ……」

もう返事をするのも辛いセイバーを置いて俺は言峰と相対する。


言峰との距離は約10メートル。
今はもう結界の呪いもさほど影響はない。
一息では走り切れない距離、って事か。

手には先ほどの弓。
この弓で隙を作り出して、言峰を殺し尽くす!

フッと息を吐き、瞬きの間に三連を放つ。
セイバーの時の魔力塊とは違う。
十分に魔力を載せた無銘の剣を言峰の胸の高さに水平に放つ。
放つ速度は正に弾丸バレット
狙う精度は正に狙撃銃ライフル

「効かぬな」

その三発の弾丸ですら、余裕を持って黒鍵で弾く言峰。
一振りで三本の矢を振り払う言峰には、実際の拳銃ですら効きはしないだろう。

だが俺は怯まない。

再び弓を構える姿すら見せぬ早撃ち。
先ほどと同じ三本の無銘の剣。
今度は胸を中心に三角の軌跡で放つ。

「効かぬ」

三発の弾丸はまたもや、一振りで弾かれ音もなく地面を転がる。

「どうした衛宮士郎よ。その程度だったか、お前の実力は。
お前の養父はそんなものではなかったぞ」


皮肉を言う言峰の言葉なんて聞こえない。
更に俺は弓を構える。
その手には三度目の三本の無銘の剣。
一度目、二度目とは違う。ねらうは只一点―――ヤツの心臓。


束ねられた三本の矢を一点に集中させる。
一本なら折れても三本なら折れないってヤツだっ。
少し長めの時間をかけて、三つ束ねられた一本の矢を放つ。

先ほどまでの矢が鉄砲だとすれば、今度の矢はミサイルだ。
―――中ると思わば中り、外るると思わば外れる。

弓の究極『正射必中』を籠めて、俺は二本・・の矢を討ち放った。


言峰の胸に迫るその矢は正にミサイル。
いくら言峰でも、この矢はそう簡単に弾くことはできまい―――

と思われた三束中もたった一本の黒い剣に弾かれてしまった。
今までの二度と同じように只の一振りで矢を弾く。
三本束ねられているだけに、それまでよりも少しだけ力を込めて。


―――その隙を突く。

右手に持つ剣で僅かに力を込めて矢を弾いた言峰の隙を、
―――本命の矢が射抜く

「なっ、二連射!?」

束ねられた三本の矢の後ろに隠れたその螺旋剣はさぞ見えにくかっただろう。
そう三度目の今度だけは、二回に分けて四本の矢を放ったのだ。
しかもその矢は宝具、威力は言うまでもなく最強。

気づいたとしてももう遅い。
それまでの二回の矢と同じと侮ったお前の負けだ。

続けて放った螺旋剣は敵に近づくに連れて加速する。
それは弾丸やミサイルがいくら努力しても決して追いつけない領域。
空から流れ落ちる流星シューティングアローとなって、黒の神父に襲い掛かった。

流星が言峰の胸に吸い込まれる直前に


―――耳をつんざく爆音と、目もくらむ閃光が結界内を満たしつくした。


それは正にあの時の墓場の再現だった。
目の前にはもくもくと煙が上がり、飛び火した火は庭の木を燃やす。
遠坂の庭は一瞬にして戦場となり、破壊しつくされた。

あの時のバーサーカーは耐え切ったが、人間の言峰に耐える術はない。
間違いなく木っ端微塵だ。


戦いの勝利を確信した俺は、急ぎセイバーの元へ戻って無事を確認する。

「よかった、まだ大丈夫みたいだな、セイバー。
よし、家に帰ってとりあえず眠ろう。
明日には遠坂も帰ってくるし、それまでの辛抱だ」

「……シ、シロ……」

「うん?どうした、セイバー。辛いのか?俺がどうしたんだ?」

「……シ、……ウ、シ、ロ」

「後ろ?」

ハッと気づく。
見るまでもなかった、後ろにはまだアイツの禍々しい魔力が猛っているのだから。
今更ながら自分の詰めの甘さを呪った。

「甘いな、衛宮士郎。
今、止めをさしていればお前の勝ちだったろうに―――」

急ぎ後ろを振り向き、剣を投影する。
目の前には血みどろになり、左手のない言峰がこちらに黒鍵を投擲しようとしていた。

―――投影開始トレースオン

言峰が黒鍵を投げる、全ての工程をすっ飛ばして最速で二対の剣は完成する。
俺の両手には最も扱い慣れた干将・莫耶が握られていた。

しかし、それでは間に合わない。
剣は完成しても、俺の体は反応してくれなかった。

確実に俺の胸を狙ったその黒鍵は、はっきりとした殺意を持って俺の心臓を貫いた。

筈であった。

「―――Anfangセット

爆風とともに生まれた風が黒鍵を弾き飛ばす。
瞬時に放たれたその風の魔術によって、俺の命は救われたのである。


「ちょっとあんたたち! 人の庭で一体何やってんのよ!?」

声は後ろの門のほうから聞こえる。
ああ、姿を見なくても分かるその愛しい声。
でもなぜ?帰ってくるのは明日の筈なのに?

「リン……」

遠坂は持っていたボストンバッグを投げ捨て、駆け足で俺に近寄ってくる。

それと同時にセイバーの顔にもみるみる生気が蘇ってくる。

「ハァハァ……っ、シ、シロウ、ご迷惑をおかけしました。
リンからの魔力補助が始まりました。これでいきなり消えるということはありません」

その体はなおもふらついているが、そういって立ち上がるセイバーには力強さがあった。
肩を貫かれた傷も修復を始めたようだ。

「ちょっと士郎、一体誰と戦ってるの?何をしたら私の家の庭がこんなになるの?
なんで遠坂の結界は破られてるの?どうしてセイバーがこんなに弱ってるのよ?」


がぁーーーーと俺に噛み付くあかいあくま。

こいつには、久しぶりに会った感動とか無いのか!?
この戦いが生死を賭けたモノだとわかってくれい!

俺は黙って指をで示す。
十メートル奥に立つ片手の男―――黒い神父を。

「き、綺礼っ!!!
なんでアンタがココにいるのよっ!?
いやっ、そんなことより、何でアンタ生きてるワケ!!!?」


言峰はさして慌てた様子も見せず、悠々と立ち上がり俺たちを見下ろす。

「さてな、実のところ私もよく分からないのだよ。
―――ただ生きているのだから私は私のやりたいようにやるだけだ」

「そう、確かにアンタならこの土地の結界を塗り替えることも可能よね。
―――これはわたしのミス。この地を迂闊に離れてしまったわたしのミスよ」

「そう、お前は昔からそうだ。ここ一番で致命的なミスを犯す。
これはもう遠坂の血の呪いのようなモノだな」

「それはどうかしら?確かにミスだったけど、致命的ってワケじゃないわ。
それよりどうするの?こっちは三人、そっちは致命傷が一人。
大人しく殺されなさい、綺礼」

「ふっ、だからお前は詰めが甘いと言われるのだ。
―――そら、戻ってくるぞ」

戻る?なにが?

その時俺は嫌な音を聞いた。
ズブリと、トマトが潰れるような嫌な音。


「――――――っ!!!」


俺の隣には黒鍵に腹を貫かれる遠坂の姿があった。

「と、遠坂ーーーーーーーっ!!」

「リン!!?」



苦しそうに地面に膝を突く遠坂。
背中から貫通した剣が腹から見える。
言葉どおり串刺しにされた遠坂の口から止めどなく血が溢れ出す。

「と、遠坂っ!!!おい、大丈夫か!!!!」


「っっっ、大丈夫よ、おっきな声出さないで。
ズキズキお腹に響くでしょ……
セイバー、後ろからこの剣抜いてちょうだい。そしたら治療するから」

その言葉に習い、セイバーは後ろに回る。
では、と一言残し、一気に黒鍵を引き抜く。

「ぐっ……
いったー」

ちょっと涙目でそんな事言えるぐらいだ、命に別状はないみたいだ。

「遠坂、本当に大丈夫なのか?」

「大丈夫って言ってるでしょ。この程度なら遠坂の魔力が……今はダメか。
とにかく命に別状はないわ」

そこまで言って遠坂は立ち上がり、言峰に向きなおる。

「せこい真似してくれるじゃない、綺礼。
何時の間に後ろに剣を放ったの?わたしの気づかないうちにそんな事できるなんてね。
さすが、わたしの兄弟子だっただけはあるわ」

言葉尻は冷静なのだが、遠坂はすっごく怒ってる。
いつも怒られてる俺が言うんだから、間違いない。

それは今の剣に対する痛みなのか、言峰自身に対する恨みなのか。
恐らく両方だろう。

「ふんっ、お前はまだまだ甘い、その程度のことに気づかなかったのか。
その剣は最初に衛宮士郎に放った剣だ。私が一度放った剣は私の意のままにコントロールできるのだ。
お前が弾き返した剣が、再び宙を舞いお前自身に突き刺さったというわけだ」

「そう、でも私は致命傷を負ったわけじゃないわ。
この三対一の状況をどう覆すのかしら」

言峰はニヤリと笑うと、自信満々に言い捨てた。

「別にどうもせん。
お前たち三人を持ってしても、俺一人にすら敵わないのだからな」

「そう、それなら試してみる?」

遠坂は腹を押さえながら、俺たちに合図を送る。

俺は無傷だし、セイバーの方の傷も治りつつある。
遠坂は辛そうだけど、あいつが大丈夫だって言うならきっと大丈夫だ。

その合図に答え、俺とセイバーはいつでも戦えるように身構える。
遠坂も腰を落とし、いつでも呪文の詠唱に入れるように準備している。

ただ、その姿を見ても言峰は少しも動じるところはない。
それが俺にとっては不吉だった。

「そうだな。
負けはしないが、さすがに片腕では面倒か。
お前たちには今日は帰ってもらうとするか」

言峰はそんな都合のいいことを言って、千切れた左手の蘇生にはいった。

「ふざけないで!
今この隙を、わたしたちが逃すと思う!そんなに甘くはないわよ」

「ふむ、その腹で私と戦うというのか。
それこそ私の事を甘く見ているのではないかな?」

「くっ!」

遠坂が急に地面に膝を突いた。

「遠坂!?」
「リン!」

俺たちは二人揃って遠坂の顔色を見る。

遠坂の顔は真っ青だ。
顔中に脂汗が滴り、蒼白の顔面は痛々しい。

そして、何より遠坂の腹部が……


「―――石化している!?」

そう遠坂の腹は傷口から徐々に石化しているのだ。
どういう原理かは分からない。
ただ現実として、遠坂の腹は徐々に石化している。

「くっ……石化の魔術?剣に仕込んであったの?」

「土葬式典……と呼んで欲しいな」

血みどろのクセに言峰は嬉しそうだ。

「さあ、衛宮士郎よ。急ぎこの土地を離れないと凛が石化してしまうぞ。
この土地はいまや私のものだからな、いくら凛とて10分は持つまい」

遠坂の腹は徐々に石化範囲を広げている、このままなら確かに10分程で全身に行き渡るだろう。


「ちょ、ちょっと士郎。なに迷ってるの!?
ココで綺礼を倒しておかないと、もうチャンスはないわよ。
今のアイツの魔力、悔しいけど私たち三人じゃ勝機はないわ。
だから今、倒さないと!ココで倒さないとまずいの!!」

遠坂は青い顔で必死に俺を説得する。
でも俺の心は―――

「無理だ。今のアイツを10分以内に倒すことはできない。
ココはいったん引くべきだ。引いて体勢を立て直す」

「ばっ、ばかぁー。なんでわたしの事を気にしてるの?
魔術師ならちょっとの犠牲くらいは我慢しなさいよね!」

困ったような怒ったような顔で俺に怒鳴りついてくる。

ダメだ、俺には遠坂が必要なんだ。
こいつを失うなんて考えるのも嫌だ。

「ちょ、ちょっとセイバー、貴女もなんか言ってやって。
ここで言峰を倒しておかないと、チャンスはもうないんだから」

「セイバー」

俺はセイバーにアイコンタクトを送る。
静かにセイバーは頷き、遠坂の前に回る。

「御免っ!」

石になりつつある、遠坂の腹に気合一閃当身を当てる。

「ちょ、セイバ、あんたね……」

ふぅ、やっと静かになったな。
気を失った遠坂をセイバーに任せ、俺は言峰に向き直る。


「言峰、この勝負預けておく。近いうちに必ず倒しに来る。
だからそれまでは町の人には手を出さないでくれ。
―――無駄か、こんな事頼んでも?」

「私は私のやりたいことをやるといった筈だ。
今の私は特にお前たち以外を傷つけたいとは思っていない」

「そうか、なら俺がお前を倒しに来るまで大人しく待っていろ。
この屋敷もそれまでお前に預けておく」

俺はセイバーに合図をして、言峰に背を向け歩き出す。

「そうだ、一つ教えておこう、衛宮士郎よ。
明日の夜が明けると、この地の結界は完全に私のものになる。
―――その後、大聖杯に張られた結界を破り、私は聖杯に潜む魔を呼び起こす事になるだろう」

俺はピタリと歩みを止め、その姿勢のまま言峰に話しかける。

「そうか、そうなるとどうなっちまうんだ」

「そうだな、少なくともこの町は全滅だな、せいぜい急ぐことだな」

「そうか、明日中には必ずココに来る、そして必ずお前を倒す」

それを最後に俺とセイバーは言峰の結界を抜け、家に向かって歩き出した。











後書き(04/04/03)


まず一言。「長かった」そして「ごめんなさい」

私のSSの中で最長になってしまいました。
なんと27000文字、原稿用紙に直すと67.5枚!?
しかもこれは連載の一つの章だというのですから、また酷いです。
おかげで四日毎に一つの章を公開するというノルマを果たせませんでした。
(今日は、二章を公開してから五日目です)
本当に申し訳ありませんでした。

さて、ここまで読んで下さった皆様、『ただいま』三章はどうでしたか?
一応は中だるみをしないように気をつけて書いたつもりです。
もうちょっと時間があったら、更に少しだけレベルが上がったかもとは思いますが、
現状ではこれが私の精一杯です。

内容としては、色々突っ込みどころもあるでしょうが、一応ほとんどが伏線となっています。
ですから今の時点では、なるべく突っ込まないでくれると嬉しいです。
終章となる四章で残ってる謎をいくらかは書くつもりですので。
つっこみ、疑問点などはその後にまとめて聞いてもらえると、私としても答えやすいのです。
弓の投影はいいですよね?できても。アーチャーはどうやって弓を出しているのかゲーム内では語られていませんから。

あ、もちろん感想・批判は大歓迎ですよー。
感想が多いと、少しだけ次の公開が早くなります(やる気が出る為)

というわけで何とか三章も書き終えてちょっとだけホッとしています。
でも続けて終章を書かなければならないのですね……
やっぱり連載って辛い!他の連載SSを書いている方を尊敬してしまいます。

とはいえ終章は3分の一くらいは二章の時に書いてしまったんですけどね。


ではでは、皆様。今回も温かくも厳しい批評をお待ちしております。
少しでも『良かった』と思ってくれれば幸いです。


最後に
弓道の事に関しては私は全くの素人です。
私のの高校には弓道部がありましたが、中に入ったことすらありません。
ですから、文中の弓道の知識は全てネットで調べたものです。
それらの資料を見て、弓道という武道の奥深さを知りました。

参考にしたサイト
KyudoWeb -弓道ウェブ- http://www.kyudo-web.com/
アーチェリーと弓道を比較しよう  http://freett.com/4649archery/news/news11.htm


一応両方のサイトをかなり読み込みました。
その辺の事情を察して、突っ込みなどは少し手加減してくれると嬉しいです。

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