花見酒(前編)




「明日みんなで花見に行かないか?」



唐突な俺の一言にきょとんとして振り向く二人。

「どうしたのよ?
士郎の方から遊びに行きたいなんて珍しいじゃない」

家から持ってきた最高級の中国紅茶を飲みながら答える遠坂。
ちなみにあの紅茶は遠坂専用で、俺たちが飲む事は許されていない。

「ああ、橋の下の公園の桜がすごく綺麗だったんだ。
あんな桜をみんなで見に行ったら楽しいかな、って思ってさ」

手に持つ緑茶をずずっとひと飲み―――うん、今日も緑茶が美味しい。

「セイバーお茶を淹れるのうまくなったな。ホント凄い進歩だぞ、これ」

俺の左隣で姿勢を正し、自らの淹れたお茶を飲むセイバー。
そのセイバーに心からの賛辞を送る。
そう、最近の衛宮邸ではお茶を淹れるのはセイバーの役割なのである。

「いえ、あと僅か……シロウやサクラの淹れるお茶には及ばないような気がします。
まだまだ私も未熟という事でしょうか」

それでも、あくまで自らに厳しいセイバー。
まだまだー! というその前向きな姿勢は、セイバーらしくてちょっと微笑ましい。

近頃のセイバーは日本を学ぶのにご執心だ。
緑茶の淹れ方から始まり、歴史や慣習、語学、更にはことわざまで、ありとあらゆる『古き良き日本』を学んでいる。
もちろん、俺との剣の稽古を怠るような事はないし、空いた時間を使っているのだからむしろ嬉しいぐらいだ。
日本人として少しだけ誇らしくなる。

そんな事をふと考え込んでいると、そのセイバーから早速質問があった。

「シロウ、花見というものは桜の花を見ながらお酒を飲む、ということで良いのでしょうか」

お、さすがにわか日本通、花見のことまで知っているとは。
まあ、一般的にはその見解で間違いないんだけど……

「ああ、大体その通りだ。
ただ俺たちの場合はまだ未成年だから酒はダメかな。
今回は桜の花を見ながら美味しいお弁当を食べる、ってとこかな」



美味しい弁当と言う言葉に反応したセイバーは喜色満面だ。
それを見た俺は心の中でつぶやく。

―――
やっぱりセイバーは色気より食い気だな。
ぷぷっ、と堪えきれず微かに笑い声が出てしまった。


「むむむ、なにやら不穏な事を考えましたね、シロウ」


セイバーは眉をひそめ口を尖らせている。

「正直に白状してください、シロウ。
今の笑いは一体なんでしょうか?
まさかとは思いますが、私を笑ったのではありませんよね?
シロウ、貴方の正直さは人としての美徳といえます。
しかし、そのままではいつかきっと貴方の身を滅ぼす時が来るでしょう。
―――さしあたって今夜の稽古とか」


一息にがーーーーっと言い切って、笑顔で俺にプレッシャーをかけてくる。
こう、サクサクと殺気が体に突き刺さっていく。


どうやらセイバーは『ぷぷっ』を自らへの侮辱と取ったらしい(まあ実際そうなんだが)
だが俺もセイバーと暮らし始めてもう2ヶ月、この程度のプレッシャーにはもう慣れっこなのだ。


「いやあ、何も不穏な事なんか考えてないぞ、セイバー。
俺はただ去年の花見で藤ねえが暴れまわったのを思い出してただけだ。
いやあ、去年は本当に大変だったなあ、うんうん」

ふふん、こういう時は慌ててはいけないのだ。
下手に慌てると自分で自分の首を絞めることになる。

それに、今の言い訳はある意味本当の話でもある。
俺の脳裏に、悪酔いして桜の枝を木っ端微塵にする藤ねえの姿が映し出される。
本当は間違っても『ぷぷっ』なんて笑える光景ではないのだが、その辺は内緒にしておこう。


「そうですか、それならよしです」


目をつぶって、にこやかに手元の緑茶を飲むセイバー。
その姿にもはや疑いは微塵もない。
ふっ―――見事に乗り切った。
心の中で一人満足げに自らの成長を祝う。

そんな俺に向けられる視線が一つ。
じーーーっと見つめられて居心地が悪い。

「な、なんだよ、遠坂。なんか文句あるのか?」


「べっつにー、ただ士郎も成長したものねー、と思ってさ。
―――
こう、間違った方向に


グサッ!


「い、痛いところを突いてくれる……
そ、そりゃあね、今までの俺だったら『セイバーは色気より食い気だな』とか
正直に口にして、セイバーの竹刀でボコボコにされてたよ。
だが、しかしっ!!
日々の遠坂との心理戦のおかげで俺は成長したのだ。
―――ぶっちゃけ、遠坂にからかわれて耐性がついたとも言うのだが
その成長を誇って何が悪い、あかいあくまめー、おうぼうだぞー」

がーーーーっと、勢いに任せて言い放った(心の中で)
うむ、男には言いたくても言えない事がたくさんあるのだ。
こうやって少年は一つ一つ大人になっていくのだ、と自らを慰める。


「ふん、もうその事はいいだろ。
それより美味しい料理をたくさん食べれるんだし、セイバーはもちろん賛成だろ?
遠坂もいいよな?」

「美味しい料理がたくさん食べられるから賛成、とはいささか納得しかねますが、
花見というものには興味があります。良いのではないでしょうか」

「そうね、花見なんて次はいつ出来るかわからないし、たまにはいいかもね。
でもね、やるからには派手にいくわよー。
私、何かに負けるのって大っ嫌いなんだから」

花見に勝つも負けるもないと思うのだが……まあ、遠坂はこういうヤツだし。

「わかった。なら俺もせいぜい負けないようにがんばるとしよう。
となると、あとは桜と藤ねえか……
あの二人には今日の晩飯の時にでも言えばいいか」


まあ二人が反対するとは思えない。
ただ問題は藤ねえの酒癖なんだよなー。
タイガーに酒を飲ませちゃいけない、ってのは今までの俺の経験が物語っている。


そういえば他のみんなが酒を飲んでる姿って見たことないな。
セイバーは酒飲むとどうなるんだろ?
すっごい笑い上戸とかだったら面白いのに。
―――
腹を抱えて笑うセイバー
ぷぷっ、想像できないな。


「むむむ、またもや不穏な雰囲気。
シロウ、今の『ぷぷっ』はなんなのでしょうか?
返答しだいでは、今日の稽古は鎧で行う事になりますが」

「だから、セイバーには関係ないって、こっちの話だよ。
そんなことより、セイバーって酒飲めるの?」

「え?・・・
も、勿論です!
戦の後の宴では、勝利の美酒として酒類は必要不可欠の存在です。
私も王として酒を嗜む必要がありました。
とはいえ必要以上に飲む事はありませんでしたが」

そっかー、見た目は俺と同じくらいでも、セイバーは実際は25歳の立派な大人なんだっけ。

「へぇー、そうよね。王だったらお酒を飲む機会だって多かった筈だもの。
お酒を飲む事に慣れてるのもある意味当然かも……
でも、ちょっと意外よね。セイバーがお酒に強いなんて」

「でも、セイバーが酔っ払ったところなんて想像つかないぞ。
きっとムチャクチャ酒に強くて、酔ったりなんかしないんだろう
俺なんてすぐ酔っ払っちゃうもんなー、ホント凄いよ、尊敬する」

「うーん、そういえばそうかもね。
わたしもお酒に酔ったセイバーなんて想像できないし」

当のセイバーは……ん? なんだか顔色が悪いような……

「どうしたんだセイバー?顔色悪くないか」

「い、いえ!体の調子は問題ありません!顔色が悪いなどシロウの見間違えに他ありません」

むむむ、怪しい。
セイバーがこんな風に動揺するなんて滅多にない。

「どうしたんだよ。本当に調子が悪いんじゃないのか?
遠坂が魔力の供給をケチってるとか」

「んなわけないでしょ!
そんなことより、確かにちょっと顔色悪いわね。セイバーどうかした?」

やっぱり遠坂から見ても、セイバーの顔色は悪いらしい。

「い、いえ、ですから問題はないと。シロウもリンも心配しすぎです」

慌てているのか、いつもの冷静さはないみたいだ。
そんなセイバーとは裏腹に、遠坂は何か思いついたご様子。

「ははーん、セイバー、そういうことなの。
珍しく貴女が慌ててるからわかっちゃったー、わ・た・し♪」

きししし、と笑う遠坂。
ああ、またなんか面白い事でも思いついたんだな、コイツ。
今回は標的が俺じゃないみたいだから、まだいいけど。
セイバー、ご愁傷様……

「なっ!リン、その邪悪な笑顔は私のマスターとして相応しくない!
貴女のサーヴァントとして、すぐさま撤回を要求します」

いえ、無駄ですよセイバーさん。そんなコト言っても。

「あ〜ら、これがわたしの生まれつきの笑顔なの。
いくらセイバーの頼みでも撤回はできないわねぇ」

ふふんっ、と胸を張る遠坂、もといあかいあくま。

「くっ!
―――リン、後で女同士の話し合いがあります。聞いてもらえますか?」

正に苦渋の決断といわんばかりの顔で、遠坂に負けを認めるセイバー。
それを見る遠坂の顔は、喜々としてこれ以上ないくらい楽しそうだ。

「もちろん構わないわ♪
セイバー、後で私の部屋に来てね」

ああ、人が遠坂の毒牙にかかるのを見ていると、普段の自分を見ているようで悲しくなる。
ごめんな、セイバー。俺には助ける事が出来ない……

「セ、セイバー……」

「シロウ、その話しはもう済んだ事だ。
これ以降は女と女の秘密の話。
いくらシロウといえど、それ以上の詮索は無用です。
そんなことよりも、明日の弁当はシロウが作るのですか?」

「あ、ああ。俺と桜で作ろうかと思ってるんだ。
食べきれないほどたくさん作るから、セイバーでも安心だぞ」

何せ我が家には、食欲三大魔神がいるからな。
足りなくなる事はあっても、作りすぎて困るということはあるまい。

「むむ、その言い回しも納得しかねますが、シロウの作る弁当に免じて不問とします。
―――ところで、それならば私にもなにか仕事はないのですか。
シロウとサクラだけに押し付けるのは申し訳なく思います」

さすがお弁当がかかってるだけにセイバーも真剣だ。
その言葉、俺の右隣で紅茶を飲みながら、我関せずとクッキーを食べてる女にも教えてあげたいよ。
はぁ……

だがセイバーに料理を作らせるわけにはいかない、いろいろな意味で。

「そうだ! それなら場所を取っておいてくれないか?
日曜の公園なら、朝から場所を取らないといい席は取れないだろうし」

と、言ってみてから気づいてしまった。
その提案はまずい。
いやなにがまずいって、セイバーを行かせるのがまずい。

「ふむ、場所取りとは、陣地制圧のことですね。
制圧した陣地をシロウ達が来るまで確保しておけば良いと。
それならば私に相応しい任務だ。この身に変えても成し遂げる事を誓いましょう」

胸に手を当てて真摯に言うセイバー。
その言葉には気合が満ち溢れ、久しぶりの戦いに心躍るようだ。

「悪い、今のなし。
セイバーに場所取りをやらせるわけにはいかないや」

「なっ!なんとシロウ。それは何故ですか!?
まさか、私のことが信用ならないと……
ええい、シロウ。この身は十二の大戦を勝ち抜いた誇りある騎士。
花見の陣地取りなどで、遅れを取ることがあろう筈もない
さあ、私に陣地を確保しろと指示を……さあ!」

いたく騎士のプライドを傷つけられたのか、セイバーは俺に詰め寄ってきた。
とは言っても、気づいちゃったものはしょうがない。

「だって考えてもみろよ。
当日はきっと凄い人ごみだし、酔っ払いだっているだろう。
そんな中セイバーが一人で桜の木の下に陣取っていたら、そこら辺の男どもが黙っちゃいないぞ。
俺が側にいれば守ってやれるけど、セイバー一人だったら断りきれないだろ」

そう、こうして一緒にいると忘れてしまうけど、セイバーは人間離れした美人なのだ。
あんなところに一人で放置しては置けない。
でも、場所は取っておかないと昼から出張ってもいい場所は取れないだろうし……

「あら、それなら私に任せておいて。
セイバーと私で一番いい席を取っておくから。
士郎と桜はお弁当作り、私とセイバーは場所取り、でいいでしょ」


「確かにその申し出は頼もしいけど……
遠坂が一緒でも結局は女の子二人だ、火に油じゃないのか?
おまえ、自分がどれだけ目立つか忘れてるだろ」

遠坂とセイバーなら危険という事はないだろうけど、
違う意味で怖い。ほら、やりすぎて桜の木を全壊とか。

「その辺は私に任せてもらうわ。
大丈夫よ、最高の場所を確保しておくから。
さて、じゃあセイバーも協力してよね」

静かに頷くセイバー。
なんだかんだ言ってもセイバーは遠坂を信頼しているのだ。
もちろんそれは俺だって一緒、遠坂はやるといったらやる奴だ。
だから俺の役割は最高の弁当を作るだけ。

「でも、遠坂……」

「なによ、今さら信用できない、とかはなしだからね」

「いや、そういうわけじゃなくて。
その……お前もナンパとかには気をつけろよ。
お前とセイバーじゃ目立つなって方が無理なんだから」

とか心配してみる。
ほら、俺達って一応付き合ってるわけだし。

「あら、士郎心配してくれるの? 珍しいわね。
でも大丈夫よ、私はもちろん、セイバーにだって指一本触れさせないんだから」

自信たっぷりに言ってのける遠坂は、本当にいつもどおりで、俺の小さな不安なんてどこかに消し去ってくれた。

「なら任せた。
俺は今までにない豪華な弁当を作るよ。
あとは藤ねえには飲み物でも買ってきてもらうとして……
うん、きっと楽しくなりそうだ。
よーしセイバー、日本の花見ってヤツを見せてやるからな」

「はい、楽しみにしています。特に士郎と桜の役目は重大です。がんばってもらわねば」

満面の笑みを浮かべるセイバー。
まんざらでもない様子の遠坂。
ここにはいないけど、桜と藤ねえもきっと喜んでくれる筈だ。


日本の桜もこれで当分の間は見納め。
快晴の青空、舞い散る桜吹雪、そしてみんなの笑顔。
目をつぶれば浮かんでくるその光景
―――きっと最高だろうな
俺の顔も自然と笑顔になるのであった。



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