一生に一度の笑顔 <sakura's tear>



「士郎、貴方いつまで隠し通すつもり?」

不機嫌さを隠そうともせず、遠坂はそう言い放った。
腕を胸の前で組み、仁王立ちする遠坂は貫禄十分だ。

「えーっと、機を見て、こう、さらっと、とか、いかがなものでしょうか」

遠坂の不機嫌さに完全に押された俺は、こう、なんとも男らしくないセリフを使ってしまった。
うぅ、男の威厳が・・・

「アンタねー、いつまでもこのままじゃダメだって言ってるでしょ。
あの二人が大事だったら、早めにそれもこちらから言ってあげなきゃダメなの!」

呆れたー、なんてあからさまにため息をつく。

「シロウ、ですがこのままの状態を維持していても
得になる事は何一つありません。
確かに、辛いことだとは思いますが、こちらから言うコトこそが礼儀だと思います」

セイバーは相変わらず真っ直ぐだ。
しかし、その実直さが今の俺には辛い。

―――そう、俺は今まで逃げていた。
あの二人に遠坂と付き合っていることも、一緒にロンドンに行くことも。
だが、そろそろきちんと説明をしなければならない。

二人が大事だからこそ、誠意を持ってロンドン行きを許してもらわなければならないのだ。

「わかった。今日、藤ねえはここには来れないらしいんだ。
俺が桜に説明するから、二人は今日はひとまず帰ってくれないか?」

まずは桜から・・・俺の予想では藤ねえは烈火のごとく怒る。
そりゃーもう、間違いなくタイガー化して、衛宮邸を破壊しつくすだろう。
その点桜は我が家の良心とも言える存在。
反対はするとは思うが、キチンと話せばきっと分かってくれる。

と、俺は思ったのだが
「そう、桜から説明するんだ、士郎。
でも、わざわざ難しい方から挑戦するなんて、ちょっと見直したわ」

「ええ、私も順番からすれば、タイガからだと思ったのですが・・・
先に困難な敵を倒す戦略も悪くはありません」

「んん?」

どうも二人の見解は俺とは違う様子。
二人は桜の方が大変だと思っているみたいだ。

「そんなことは無いと思うぞ。
考えてもみろよ、あの桜が激怒すると思うか?
そりゃ、反対はするだろうけど、最後にはきっと分かってくれるさ」

楽天的に考える俺。
腕を組み、やれやれと首を振る遠坂。
顔色を変えないセイバー。

「そ、貴方がそういうなら何も言わないわ、わたし。
応援してるからがんばって説明してよね。
じゃあ、セイバー。帰りましょ。
そろそろ桜が帰ってくることだし、ここは士郎に任せるのが得策よ」

よいしょっと立ち上がる遠坂。

「そうですね。では一つだけシロウにアドバイスを」

スッと立ち上がり、俺の横まで来たセイバーは
口調は優しげながらも、辛らつな言葉を投げつけた。

「シロウ、気づかないことが罪になる事もあります。貴方はそれを肝に銘じて置いた方がいい」

それを聞いた遠坂も

「そうね、貴方のその鈍感さはきっといつか貴方の痛みとなって帰ってくるわ」

二人が二人、言いたいことを言って帰っていった。

その言葉が胸の奥の端っこの方に引っかかったまま、俺は桜が帰ってくるのを待つことになった。




「今日は遠坂とセイバーは帰ってもらった。
藤ねえも来れないって言ってたから、せっかくだから合わせてもらったんだ」

そう今日は桜と二人で話さなきゃらないコトがある。

「だから今日は二人っきりだ」

そう告げると桜はなぜか険しい顔をした。
しかしそれに気づいていない俺は、自分の言いたい事だけを言い連ねる。

「俺、桜に言わなきゃならないことがあるんだ
―――その、とても大事なことだから、落ち着いて聞いて欲しい」

今まで静かに俺の言葉を聞いていた桜は、スッと後ろを向き

「聞きたくありません」

有無も言わせぬ口調ではっきりと言った。
はっきりと言われた筈のその言葉は、どうやら俺には良く聞き取れなかったみたいだ。

「え?」

思わず声に出た疑問符。

「聞きたくありません、と言ったんです!」

先ほどよりも大きな声で桜は叫んだ。

話も聞かないうちから、何で桜が拒むのかはわからない。
だけど、この話は今日中にしなければならない。
それが遠坂たちとの約束だ。
そう簡単に引くわけにもいかなかった。

「そうか、
ならそのまま聞いてくれればいい、勝手に話すことになるけど」

後を向いている桜は、何も言わなかった。
俺はそれを肯定と受け止めて、話を続けることにした。


「俺、遠坂のことが好きなんだ。
遠坂も俺のことを好きだって言ってくれている。
だから―――卒業したら遠坂と二人でロンドンに渡ろうと思っている」

桜の姿は変わらない。後ろ姿で分からないが、特に変わったところも無いようだ。
ほっと一息ついて、はてと気づく。

なんで、桜は後を向いているんだろう。
考え込む俺を尻目に桜が出した言葉は、内容とは裏腹の優しい声だった。



「ごめんなさい先輩、きっと私、今から先輩を困らせるようなこと言っちゃいます」

後ろ手を組んで、ハンカチを握り締めている。
その姿は儚くて、迷子の子供のように見えた。


「先輩と遠坂先輩が好き合ってるって、私随分前に気づいてました」

ドキッとする。
そんな俺には構いもせず桜は話し続ける。

「ちょうど一ヶ月半前、遠坂先輩がここに来るようになってから、
先輩はとてもよく笑うようになりました。
その笑顔はとても幸せそうで、それを見ているだけで、私も幸せになりました。
でも先輩の視線の先を見て、私、気づいちゃったんです」

桜は震えている。
一メートルほど離れて立っている俺から見ても分かるほどに。

「なぜなら、その先にある遠坂先輩の笑顔も本当に幸せそうだったから・・・
―――あぁ、そうか、って」

そうか、俺、幸せが顔に出てたのか・・・
よく笑うようになったとか、人に言われても分からないもんなんだなー。
などと幼稚で場違いなことを考える俺。

「先輩?初めて会ったとき、私、どんな感じだったか覚えてます?」

桜は本当に穏やかな声でそんな事を尋ねてきた。
それがあまりにも穏やかだったので、最初の緊張感が薄れてしまったのだろうか。
俺は本当に間抜けな答えをしてしまった。

「ああ、間桐の家で慎二に紹介された時だろ?
うーん、おとなしくて、可愛くて・・・
―――そう、綺麗なお人形さんみたいだったな」

人形という言葉に桜はピクッと反応した。
お人形みたいに可愛いなんて褒められて嬉しかったというわけではないのだろう。

「ええ、私お人形だったんです。
でも、私、先輩の家に来るようになって変わったと思います。
―――先輩はそうは思いませんか?」

淡々と話し続ける桜。
ん?桜は何を言いたいのだろう。
それは、、、確かに桜は変わったと思う。

「あぁ、桜はよく笑うようになった。
明るくなって本当に幸せそ・・う・に・・・・・」

え!?
幸せ・・・そうに?

「気づいてなかったんですよね、先輩。
こんなコト言うと、先輩が困るの分かってます。
でも、言っちゃいますね。

―――私、先輩のことずっと好きでした。
好きで好きでたまらなくて、人形でも幸せそうに笑えるようになったんです」

え?えっ?
桜が、俺を・・・好き?
えええぇ!?


呆ける俺を余所に桜の独白は続く。
その身を切るような桜の言葉に、俺は立ち尽くすしか術を持たなかった。


「どうして遠坂先輩なんですか?
どうして気づいてくれなかったんですか!?
どうして私じゃないんですか!!!?どうして!?どうしてなんですか!?」

こちらを振り向き声を張り上げる桜。
振り向いた顔には間断なく涙があふれ、手に持ったハンカチは拭く暇も無い。

「ずっとずっと、ずーっと好きでした。
昔の私は生きているのが辛かった!
楽しい事なんて何もなかったんです!
でも死ぬ勇気もなくて、ただずっと人形のように生きてきました。
それでもいいと思った。人形でいようと思った。

でも、それでも先輩に出会ってしまった
先輩の側にいると温かかった。
―――だから好きになった」

涙は既にポタポタと床に落ち、
興奮した顔は真っ赤。
今まで見たことのない桜の姿に、俺は自分の愚かさを呪うことしか出来なかった。


「分かっていたんです。
私みたいな心の汚い女は、先輩には相応しくないって。
先輩がセイバーさんと楽しそうに話すのが辛かった。
先輩が姉さんと幸せそうに話すのが辛かった。
先輩が先生と親しそうに話すのが辛かった。

ホント笑っちゃいます―――
こんなに嫉妬にまみれて、他の女の人は先輩と話だってして欲しくないのに。
自分はもっともっと一緒にいたいなんて・・・
―――こんなに嫌な女、先輩の側にいる資格なんて最初から無かったのに」


桜の口からは今まで聞いたこともないような熾烈な言葉が飛び出してくる。
その言葉は一つ一つが桜の心の声であり、
それぞれが鋭い杭となって、次々と俺の心に突き刺さった。

心に杭が突き刺さる毎に響きわたる俺の声。

―――なんで俺はこの目の前の女の子を救ってやれなかったのか?
―――何の為にいままで一年半も一緒にいた。
―――誰が彼女をここまで追い詰めた!誰が!

そう・・・全部俺が悪い。


「シロウ、気づかないことが罪になる事もあります。貴方はそれを肝に銘じて置いた方がいい」
その通りだ、セイバー。

「貴方のその鈍感さはきっといつか貴方の痛みとなって帰ってくるわ」
そうだ、遠坂。俺は今、本当に大事な物を失う。

なんだ、二人とも気づいてたんだ。気づいて無いのは俺だけ・・・
なんて、、、未熟!!
心底愚かな俺は、桜の悲痛な叫びを更に聞くことしか出来なかった。
その叫びが、少しずつ桜の心を壊していっていると気づいていながら。


「そうなんです!私は穢れているんです。
身も心も穢れきっているんです!
先輩、、、私、処女じゃないんですよ。
おとなしそうに見えて、やる事はやってるんです!

ほら、笑っちゃうでしょ?先輩」

「やめろ、桜」

「どうしてですか?
先輩も笑ってください。
こんな汚い女、もう会いたくないって!
そう言ってください!先輩!」

「やめるんだ!!」

あらん限りの声を絞り出して、桜を怒鳴りつけた。
あまりの怒声に桜も驚いたのか、それ以上話が続く事はなかった。
少し落ち着いたように見える桜は、俯いて顔がよく見えない。

「俺はそんなことは聞きたくない。
桜だってそんな事を言いたくはない筈だ」

桜は、その言葉に反応するように涙に濡れた目で俺を睨み、


「そんなことありません。
私は汚いんです。身も心も穢れきってるんです。
先輩と遠坂先輩が恋人になるのを止める為ならなんでもします。

―――そうだ、先輩、私のコト抱いてください。
愛してくれなんていいません。犯してください、獣のように犯してください!」


そう言ったが早いか、桜は服を脱ぎ始めた。
涙に濡れる顔は美しく、そこはかとなく淫靡で。
羞恥を帯びた頬は、ほのかに紅い。
ベストを脱ぎ、スカートを脱ぐその手を一瞬躊躇する。
意を決してスカートを脱ぎ捨てる彼女を


―――俺は
――――――優しく抱きしめていた。


「もういい。
―――止めるんだ、桜・・・
俺がお前を嫌いになるなんてコト―――きっと無い。
でも、それをしたら、俺は桜を一生軽蔑する」


泣き崩れる子供を優しく言い諌めるように、そう桜に告げた。
それは俺の紛れも無い本心であり、そしてその事が桜にも伝わったのか、
桜はその体勢のまま動きを止めた。

「ど、どうしてですか?先輩。
私、最後に先輩に抱かれたいんです。
先輩を好きだったことを忘れたくないんです。
それとも、こんな穢れた女は嫌だって言うんですか・・・?」

先ほどの激昂はもうない。
そこにいる少女は、いたずらが見つかって怒られるのを怖がっているかのように、
ただ、怯えている子供のようだった。

そんな桜を見て、俺は


―――優しくキスをした。

今、この瞬間は遠坂のことも関係なかった。

ただ唇を合わせるだけのフレンチキス。
自らを穢れていると言って止まない、桜の心を照らすような清らかなくちづけだった。

ほんの三秒間、唇を合わせただけ。
それでも、桜はほっぺたを林檎のように真っ赤にして、信じられないという驚きの顔をしていた。

「桜は汚くなんかない。身も心も清廉潔白だ。
それに、最後なんて言うな。俺たちはこれからもずっと家族だ」

本心からの言葉を、精一杯の優しさで桜に伝えた。
桜は俺の側が温かい、と言った。
ならば、今の俺の温かさは桜に伝わっているのだろうか?
”俺の心よ桜に届け”とばかりに、今までよりもちょっとだけ「ぎゅ」と抱きしめた。


腕の中の桜は温かくて、柔らかくて、握りつぶせてしまうんじゃないかと思うほど、儚かった。
あぁ、こんなにも儚く、脆い、桜の心を、
なんで今までわかってやれなかったのか?
後悔の念は留まるところを知らないけれど、俺はこの後に言わなければならないことがある。

「俺は、桜のことが好きだ。本当に大事に思っている。
だから、そんな風に自分を貶めるようなことを言うのは止めてくれ」

先ほどと同様、いや、それ以上の心を込めて、桜に優しくそう言った。
俺の胸に顔をうずめる桜には、もう先ほどの影は無い。

「はい、ありがとうございます・・・先輩・・・」

泣いているのだろうか、笑っているのだろうか、桜の顔は俺には分からなかった。

「―――でも、信じちゃいますよ。それでもいいんですか?」

顔を上げ、俺と目を合わせる桜。
俺は、これから一番大事なことを言わなければならない。
きっと桜には辛いこと。そして、俺にとっても辛いことだった。

だからこそ、目をそらすことは出来ず、桜の紫の瞳を見つめながら口を開いた。

「あぁ、もちろん信じていい。俺が桜を好きなことに嘘はない。
―――ただ・・・」

言い淀む。
言わなければならないことなのに、一息で言うためには勇気が足りない。
これを言ってしまったら、桜はきっともうこの家には来ない。
それでも言わなければならないのか―――?
その僅かな逡巡が、桜の先手を許してしまった。

「―――ただ、遠坂先輩のほうがもっと好き・・・ですか?」

ドキッとした。
ドクドクと心音が鳴り響く。
言わなければならないことを先に桜に言われてしまった。

ただ、その答えは俺の答えとは少しだけ違っていた。
それを正さなければならない。

「それは違うぞ、桜。
俺にとっては遠坂も桜も変わらず大事だ。
これに順番とか優劣とかは付けられない。
だからもし、二人が同じ危機に陥って、どちらか一人しか助けられないとしたら、
俺は二人を助けようとして、きっと二人とも助けられないだろう」

そう、これが俺の本心。
情けないことだけど、きっと俺は二人を助けようとして二人ともを犠牲にしてしまうだろう。
もちろん最後まで二人を救うため、この命を代償にして。

「―――ただ、俺は遠坂凛を愛している。
桜との違いは本当にそこだけの違いなんだ」

桜はその差は大きいと思うかもしれない。
でも、俺にとってはたいした差ではない。
二人とも俺にとって大切な存在には違いないのだから。

「言い訳が巧いんですね、先輩」

上げていた顔を再び俺の胸にうずめ、桜は静かに告げた。
それは嬉しそうでもあり、悲しそうな、不思議な言葉だった。

桜を抱きしめながら、俺は言った。まるで懺悔のように・・・

「許してくれないか?桜。
―――俺には桜が必要だ」

それを聞いた桜は、クスっと少しだけ笑い

「はい、許しちゃいます。先輩。
―――でも、条件があります」

「条件?桜の言うことなら大抵OKだぞ、きっと。
―――あ、でも、食事は全部私に作らせろ、とかはやめてくれよな」

料理は俺の一番の趣味だ。それを全部取られるのはさすがに忍びない。

「えへ、じゃあ、一つ目は朝食は毎日私に作らせる、にします。
先輩は朝くらいはゆっくりしてください。家主なんですから、どーんと構えてくれればいいんです」

「あー、了解。私こと衛宮士郎は、朝食を全て桜に任せることを誓います」

俺のくさい芝居に、桜はクスクスと笑っている。
うん、桜にはやっぱり笑顔が一番似合う。
改めてそんな事を思い、桜の次の条件を待った。

「じゃあ、二つ目です。
私、先輩のこと諦め切れません。
だから、卒業までに先輩が遠坂先輩より私のほうを好きになったら
私と一緒に日本に残ってください。
―――私、遠坂先輩に宣戦布告をしちゃいます」

顔を赤くして、そう告げる桜は、とても可愛いのだが、
だが、遠坂に喧嘩を売るのはやめておいたほうがいいと思う。

いや、マジデ。

それにしてもこれはどうなんだろうか?
ここで安易に「はい」と答えると逆に桜を悲しませることになるのではないか?
いや、人の気持ちは移ろいやすいもの。
俺と遠坂がすれ違うことなんて、考えたくもないが、
桜がもっと上の存在になることだってあるかもしれない。
その時は、俺は桜を取って、日本に残るべきではないだろうか?

「あ、ああ、わかった。
―――私こと衛宮士郎は、一年後に遠坂凛と間桐桜のどちらかを選ぶことを誓います。
これでいいかな?」

ちょっと照れくさかったが、仕方ない。
精一杯の誠意を込めたその誓いを、桜は本当に満足そうに聞いていた。

「はい、完璧です。
じゃあ、私も。

―――もし、先輩が遠坂先輩を選んだなら、私は二人に心からの祝福を送ることを誓います

ぺろっと舌を出し、これで対等の条件です。なんて言う桜。

そうだ、俺が知ってる間桐桜はこういう女の子なんだ。
優しくて、慎み深くて、本当にお人好し。
だってその一言は、間違いなく自分に不利になる。
それを言わなければ、俺は遠坂を選びづらくなる、間違いない。
桜はそれをわかっているくせに、いや、わかっているからこそ。
・・・あえて告げたのだ。

そこにいる少女は、とても清らかで、春風のように温かかい。
その名に相応しく、桜のように華やかな笑顔を見せる。
その少女の笑顔をずっと見ていたいなんて、遠坂に失礼なことを思ってしまった。


「最後、三つ目の条件です。

――――――ロンドンに行っても、私のこと、忘れないでください

少し寂しそうに言う桜の顔は、俺の胸に押し付けられて分からない。
これまた妙な条件だ。
先ほどの条件と矛盾してるように思える。
だが、その辺を桜に尋ねるわけにはいかなかった。
俺が聞いてはならない質問であると、わかってしまったから・・・

そしてその意味はともかく、その条件の内容がまた気に入らなかった。
この条件にちょっとだけ不機嫌になった俺は、

「ああ、私こと衛宮士郎は、間桐桜の事を一生忘れないことを誓います」

ちょっとだけ改変してみた。
そう、当然だ、俺が桜のことを忘れる筈が無い。
そんなあたりまえの質問をした桜に対して、少し不機嫌そうな顔をして見せた。

俺の腕の中で下から俺を見上げる桜は、きょとんとしている。
そして、にっこりと笑って

「―――はい、ありがとうございます。
私も先輩のこと、一生忘れたりはしません。」

ああ、忘れてなんかやるもんか。
桜って女の子がいたこと、
桜って女の子が大事だったこと、
桜って女の子が好きだったこと

―――、一生忘れたりなんかするもんか。

目を閉じ心からの誓いを反芻していると
桜が俺から離れていくのを感じた。

「桜?」

疑問に思って目を開けると、熊さんパンツが目の前にあった。

「せ、せ、せ、先輩!目を開けないでください。私スカート脱いでたの忘れてました!」

慌てているのか、後ろ姿でスカートを履こうとする手はなかなか思うように動いてくれないようだった。
それをじっと見る、衛宮士郎。
目の前には熊さんパンツ。
桜って、熊が好きなんだー、とかどうでもいい事を考えていると・・・

「きゃっ!」

スカートのすそを踏んづけたまま履こうとした桜は


―――転んだ。


「せ、先輩!見ないでくださいって言ってるじゃないですかっ!?」

なんで、こういうときの男の目は思うように動かないんだろう。
俺の目は目だけが意識を持つようにその熊さんに固定された。


「きゃー!先輩見ないでったらー。
今日は熊のパンツだから恥ずかしいんです。
な、なんでジーーッと見てるんですかっ!
先輩のエッチ、スケッチ、ワンタッチ!!


いくら言っても見るのをやめない俺に向かって、
桜は次々とテーブルの上の物を投げつけた。

「うぉ、冷てっ!桜、湯飲みは止めてくれい!。
アチッ、お湯もやめれって!アチーーーーーッ!!!火傷するってば、マジで。
お、お、おい、桜落ち着け!!それだけは投げちゃダメだ!!
―――もう見ないから許してください」


ようやく目が覚めた俺は、魔法瓶を抱える桜からようやく目を離し、後を向いた。
ドスッ、と桜が魔法瓶を置く音が響く。
その後、スカートを履き終えた桜が声をかけるまで、後ろを見る勇気は俺には無かった。

「先輩、もういいですよ、こちらを向いても」

十分くらいかかっただろうか?実際は一分ほどのその時間がえらく長く感じるのは修行が足りないせいでしょうか?
もうすっかり落ち着いた桜の声は、いつもの淑やかな桜だった。
その顔が真っ赤なのは、もうしばらくはそのままらしい。

「・・・お見苦しい物をお見せしまして・・・」

俯いたままそんな事を言う桜は、火が出るほどに可愛かった。
い、いかん、俺には遠坂がいるんだ。心の声が響き渡る。
深呼吸、いち、に、さんかい。ふぅーーー。
よし落ち着いた。遠坂ありがとう。

うーん、本当に一年後には桜を選ぶこともあるかもしれない、この調子だと。

「先輩?」


どうしたんですか、という顔で見上げる桜。
ここで遠坂なら「ハハーン」とか言って、邪悪顔がでるところだ。
幸いにも桜にそんなスキルは無い。

「いや、別になんでもないよ。
そういえば聞きたいことがあったんだ。
―――桜、さっき遠坂の事を姉さんって呼ばなかったか?
その、聞き違いかもしれないんだが」

確かにさっきそういったような気がする。桜に姉はいないのだから聞き間違えるとは思えない。

桜は見た目に分かるほど慌てて

「え、え、え?私、そんな事言いました!?」

まったく覚えが無いようだ。
ま、興奮していたし、何かの聞き間違いなのかもしれないな。
とか考えて、この質問はここで打ち止めるつもりだったのだが
桜のほうから答えてきた。

「えーとですね。誰にも言わないでくれますか、先輩。
私と遠坂先輩は、実の姉妹なんです」

目が点とはこのことだろう。
遠坂と桜がシマイ?実の?なんで?うそだろ?
頭の中はハテナマークで一杯。早急に桜からの追加説明が必要だ。

「落ち着いてください先輩。私たちは血縁上は姉妹ですが、
戸籍上は、間桐と遠坂ですから、もう違うんです。
私は11年前、遠坂家から間桐家へ養子に入ったんです。
その時の取り決めで、お互い干渉してはならない、と決められていたんで、遠坂先輩、と呼んでいるんです」

あー、納得した。
世の中、広いようで狭いんだな。
そういえば二人とも美人だし。
そういえば二人ともスタイルいいし(遠坂の方が胸小さいけどな)
そういえば二人とも魔術師だ・・・

あれ?違う。
もしかして、桜も魔術のコトを知っているのか?
遠坂家から間桐家じゃ、魔術師から同じ魔術師の家系へ養子になっただけ。
魔術と無関係なワケがないじゃないか。
だが不用意に聞くわけにもいかない。
全く関係なかったら、桜は知らないままの方が絶対いい。
ここは慎重に聞かねば・・・

「桜。もしかして、遠坂の家の事知ってる?」

ちょっと捻って聞いてみた。
後は桜の反応を見て確かめるだけだ。

「あ、魔術のことですね。もちろん知ってますよ、私も魔術師ですし。
その―――
先輩の魔術のことも実は知ってます・・・」

気合を入れて質問した俺とは裏腹に桜はアッサリと言ってのけた。
その、最後の一言だけ少し申し訳なさそうに。

「あのごめんなさい、先輩。別に覗くつもりじゃなかったんです。
偶然土蔵で魔術の鍛錬をしている先輩を見つけてしまって」

なにやら桜が小声で言い訳をしているが、
俺は俺で、桜に気づかれたことすら気づいてないなんて、ホントダメダメだーーーっ、うぉーーーーっ。
ごめんなさい、自己嫌悪で叫んじゃいそうでした、ボク。

「あ、ああ、いや、桜は悪くない。
見られた俺が悪いんだから、ん?桜は魔術師なんだから別に見られたっていいのか」

そういえばそうだな、魔術は秘匿すべきもの。が魔術師の間では常識である。
しかし相手が魔術師ならば問題はないはずだ。

まぁ、その話は置いておいて、とりあえず―――

「桜、とりあえず座ってお茶でも飲まないか?
今日は、遠坂もセイバーもここには来ないって言ったろ。
藤ねえはまだ当分来ないだろうし、二人で納得するまで話をしないか?」

うん、もとよりそのつもりだった筈だし、桜がどの程度まで知っているのか理解しておきたい。
その聖杯戦争のこととか。遠坂のこととか。

「あ、は、はい。じゃあ私お茶を入れますね」

ちょっとだけ顔を赤くした桜は、逃げるように台所に行った。
それを居間で見る俺は、(先ほど桜が投げた)湯呑みを片づけながら、ほぅ、と大きく息をついた。





「お待たせしました先輩。はい、こちらのお茶をどうぞ」

はい、とお茶を手渡す桜に、ありがとうと一言返し、お茶をすする。
うん、美味い。相変わらず桜の淹れてくれるお茶は美味い。

「ん、美味しい。いつもと同じお茶葉の筈なのにな。不思議だ」

少し照れながらもまんざらでもない、といった様子の桜。

「はい、ありがとうございます。
―――それで、この後何をお話しするんでしょうか?」

「ああ、俺はこの数ヶ月で俺の周りに起こったコトを桜に話したい。
桜は話したい事を話してくれればいい。
それでどうだろうか?」

「はい、遠坂先輩のコトもセイバーさんのコトも聞いてみたいです、私」

それを聞いた俺はうん、と頷き、一つ一つを桜に聞かせていった。

八年前から魔術の鍛錬を行っている事。
聖杯戦争に巻き込まれた事。
セイバーを召喚して、遠坂と共に戦った事。
未来の自分と戦って、負けなかった事。
そして最後に聖杯を破壊してしまったこと。

全てを話した。俺が桜に聞いて欲しかった事は全て。

「これで終わりだ。俺は全てを話した、もう話す事はないよ。
桜は何か俺に言っておきたいことは無いのか?」

「え、いえ、その特には・・・」

歯切れの悪い桜の返答。
でも、言いたく無いのなら言わないほうがいい。
桜が隠す事ならば、きっと言ってはならないと判断しているのだろう。

「言いたく無いのなら、もちろん言わなくていいぞ、桜」

「あ、いえ!言います。先輩が全てを話したのに、隠し事とかしたくないんです。

―――私、実はマスターだったんです」

「え!?」

今日は本当に驚くことばかりだ。
一年分の驚きをここで使ってしまうかもしれない。

「はい、実は私はライダーのマスターとして、聖杯戦争に参加しなければならなかった。
でも、その、先輩の手に令呪が浮かんだのが見えて・・・
先輩と戦いたくないから、マスターを放棄したんです。
兄さんが私の代わりに戦ってくれて、その兄さんは今でも病院にいるんですから、私って嫌な女ですよね」

そうか、遠坂の妹なら桜の魔術回路は相当なレベルなんだろう。
魔術回路の無い慎二がマスターに選ばれるのは変だとは思ったんだ。
でも・・・

「でも、桜が気にする事は無い。慎二は自ら戦いに赴いたんだ。
その結果がああであるなら、それは桜の責任ではなく、あいつの責任だ」

「はい、でもやっぱり兄さんの看病は私がやらなきゃいけないんです」

「桜、それはお前の悪い癖だぞ。
私が、私が、って自分の内側に全部溜め込んでたら、その溜め込んだ思いはどこへ行くんだ?
戻ってきて自分を傷つけるに決まってる。
セイバーも言ってたぞ、サクラは自分を傷つけすぎるってな。心配されてるんだぞ、あのセイバーに」

あの自分を傷つけ続けたセイバーにそう言われるんだから、桜も相当ヤバイと思う。

「え?セイバーさんが私を心配してたんですか?」

意外そうに目を丸める桜。
あぁ、そんなことにも気づいてなかったんだな。桜。

「セイバーだけじゃないぞ、藤ねえだって遠坂だって心配してたぞ」

「ええっ!?」

思わず声が出る。
セイバーの時の十倍くらい驚いた桜は、素っ頓狂な声を上げた。

「せ、先輩。それは無いです。藤村先生はともかく遠坂先輩は、、、そんな私の心配なんてしている筈無いです」

おかしなことを言う。だって姉妹だろ二人とも。
心配するのは当然じゃないか。

「遠坂先輩は魔術師なんですよ、それも完璧な。だったら魔術の研鑽が全てでそれ以外のことは些細な事の筈です」

あぁ、桜は知らないんだ、遠坂の本性を。
だって、遠坂は桜の心配をしていた、それもずっと前から。

「なぁ桜は遠坂の事をどのくらい知ってるんだ?ほら性格とか、魔術の実力とか」

「その、多分学校の他の人たちとあまり変わりはありません。
私が養子に出されたのは5歳の頃です。当時の記憶はほとんどありません。
遠坂先輩が先輩の家に来るまでは、本当に優雅で壮麗で完璧な人だと思ってました。
今は、その、ちょっとだけ印象が変わりましたけど・・・

―――ただ魔術師としての遠坂先輩は完璧です。
完璧な魔術師だからこそ、余計なコトに私情を挟むことはありません」

やっぱり桜は勘違いをしている。
学校での遠坂は、本当に表面だけ。まぁ、遠坂が仮面を被ってるんだから、それも当然だ。
我が家で暮らしていた遠坂は、遠慮が無かった。
仮面をはずした遠坂はあかいあくまで、完璧な魔術師。これは遠坂の内面だ。
でも、アイツの本当の本性は違う。


「それはちょっと違うぞ。あいつは本当に完璧な魔術師だが、根っこの部分ではこれ以上無いくらいのお人よしだ。
あいつはきっと最後の最後、本当に大事なところでで私情を殺せない。
魔術師としての遠坂凛は、女の子としての遠坂凛を押さえ続けているに過ぎないんだ」

そう、そんな不器用な生き方をしているあいつを、ずっと守って生きたいって思ったんだ。
だから俺は今も遠坂の側にいる。

桜は信じていない。まぁ、当然だ。そんな遠坂を見ることが出来るのは俺だけの特権だ。
だから、本当は内緒にしておきたい。
俺だけが遠坂の本性を独占して、さりげなくフォローをしてあげる。それが俺の小さな役目。
でも、その遠坂をちょっとだけ、そう、ほんのちょっとだけ桜に見せてあげよう。
あの姉妹はもっと幸せになるべきだ
俺は心からそう願った。

「桜、信じてないだろ」

「え、い、いえ、信じてます!はい、先輩が言うなら信じます!」

「嘘付け。バレバレだぞー。
でも、それもしょうがないかなと思う。普段のアイツを見ちゃうとなー」

ははっと笑う俺。
普段のアイツは優等生で学園のアイドル。
俺の前でのアイツはいじめっこであかいあくま。

「だから賭けをしよう、桜」

「賭け?ですか。えーと、一体何を」

「その前に、桜。
―――遠坂のコト、姉さんって呼びたいか?
さっきとっさに姉さんって呼んだんだ、実は呼びたいんだろ?」

ボンッっと音が出るくらい顔を真っ赤にする桜。
うん、とてもわかりやすい。

「そ、そ、そんなことありません!
それに私なんかに姉さんって呼ばれても嫌がられるだけです!」

「そうか、呼びたいんだな。桜。
なら遠慮なんかするな。本当の姉妹だったら遠慮なんかいらないはずだ」

「せ、先輩。呼びたいなんて一言も言ってません!何でそうなるんですか!」

お、ちょっと強気の桜。
こういう桜も珍しいが、悪くない。いやむしろいい傾向だ。
桜には俺とか遠坂とか身内にはもっと気を使わずに話してもらいたい。
うん、これって前進だよな、絶対。

にやにやする俺に業を煮やしたのか

「先輩!なんでニヤニヤしてるんですかっ!
もう、勝手に自己完結しないでくださいー」

「だって、桜。顔に書いてあるぞ、姉さんって」

ボンッっと再び赤化する桜。
だから、そういうところが顔に書いてあるんだって。

頬を押さえ、赤くなった顔を収めようとする桜は
一つため息をついて、ニヤニヤする俺に向かって語りだした。

「はぁ・・・本当は呼びたいんです。
私の唯一の肉親はもう姉さんだけですから。
でも、嫌がられたりしたら、もっと嫌なんです。
だからこのままでいいんです、わたし」

うんっ、なんて頷いて自分の中で完結している桜。
なんて後ろ向きな発言だっ!まぁ、桜らしいといえば桜らしいのだが。

「桜、それじゃ全然進歩が無いんじゃないのか。
ああなったら嫌だから、とか、こうなったら悲しいから、とか。
それじゃ、結局逃げてるだけだ。
怖くったって、悲しくったって、前に進まなきゃ進歩は無い」

そうだ、自分の道が間違ってないって自信があるのなら、
自分を信じて前進するしか道なんて無いんだから。

桜の姿は先生に優しく怒られて反省する生徒、がピッタリだった。
桜は今考えている、
自分から前へ進もうと悩んでいる。
あとたった一歩の後押しだけで、桜は前に進めるようになるだろう。
そして、その後押しは俺の役目に違いない。

「だから桜。一人じゃ辛い道なら俺たちを頼ればいい。
俺は桜を見捨てたりはしない。いつだって頼っていいんだ。
さし当たって、さっきの賭けの話だけど・・・」

軽く深呼吸。
それほど大事なことを言わなきゃならない。

「俺、今日の事を全部遠坂に報告するぞ。
桜を抱きしめた事も、キスしたことも全部」

「っっ!!」

ガタンっと凄い勢いで立ち上がる桜。

「ダ、ダメです先輩。そんな事をしたら遠坂先輩はきっと先輩の事を許しません」

「へー、桜はそう思うんだ。許さないって」

「当たり前です。遠坂先輩じゃなくても許しません。
その・・・
キス・・とか。
私のせいで二人が不幸になるなんて、考えただけでも震えちゃいます」

青い顔をして俯く桜。
―――桜は本当にいい子だ。今更ながら幸せになってもらいたいと、心から思う。

「今日のことは私も絶対口に出しませんから、先輩もおかしなことは言わないでください」

未だ青い顔のまま、桜はそう言い切った。

「桜。お前矛盾してるぞ。
俺が遠坂とうまくいかないほうが、間違いなくお前にとって都合がいいじゃないか」

ハッとした桜は、それ以上何も言わなかった。

やっぱり桜はそういうヤツなのだ。
やっぱりアイツの妹だ。根っこの部分ではとても似ている。

「だから、お前が心配する事は無い。
それで賭けの内容だが・・・
桜は遠坂が怒ると思うんだな?」

コクリと頷く桜。まぁ当然だな。

「じゃあ、俺は怒らないと思う。
これで賭けは成立だ、いいだろ?桜」

「っっっ!やっぱりダメです!私、二人とも大事なんです。
だからそんなことは言わせません」

「あのな、桜。勘違いするなよな。
俺だって別に遠坂と別れたいわけじゃないんだ」

「じゃあ何でそんなコト言うんですか。言わなければそれで済むんじゃないですか?」

ふっ、甘いな桜。大甘だ。

「その答えはシンプルだ。俺は遠坂に隠し事はしたくない。更にもって俺はあいつの事を信じている」

自信満々に胸を張る俺。
そんな俺を見て、桜はふぅとため息一つ。
それで納得したのか

「わかりました。先輩を信じます。
それで私が勝った時は、先輩と遠坂先輩の仲が悪くなる事が報酬で、
私が負けた場合は何をすればいいんでしょうか?」

ニヤリ、遠坂並みの邪悪スマイルを浮かべる。

「ビクッ」

桜の寒気が音になったみたいだ。今、ビクッて聴こえたような気がする。
ふっ、俺のスマイルも遠坂レベルに昇華したか・・・

「俺が勝ったら、望む事は唯一つ!
―――遠坂の事を姉さんと呼んでくれ、桜!

勢い良く言い放った俺だが、桜の反応はイマイチだった。

「・・・でも、それじゃあ、どちらに転んでも先輩に得が無いじゃないですか」

悲しそうにそう言った桜。
ふっ、だからそうでもないんだなー。

「ふふん、甘いな桜。もちろん俺にも得があるさ。
―――俺は喜ぶ桜が見てみたい
どうだ、これって俺の欲求だろ」

それを聞いた桜は呆然としていた。
呆然としていたと思った桜の涙が頬を伝った。
赤い頬をツーーーと伝う透明な涙。

「せ、先輩っ」

「それ以上言うな、桜。
俺は桜が笑っている顔がみたいんだ。
それにな、実はもう一つ見てみたいものもあるんだ、小さい事なんだけど」

左手で涙をぬぐいながら、?を浮かべる桜。

桜に姉さんって呼ばれて、慌てふためく遠坂の姿を見てみたいんだ

本当に小さな声でボソッとささやいた。
こんなこと遠坂に聞かれたら、間違いなく踵落とし一閃だ。


「クスッ」
「ははっ」


二人同時に笑う。

「でも、ホントに慌てますかね、遠坂先輩」

「あぁ、間違いない。俺には自信がある。
こう、顔をボンッと真っ赤にしてな、目を丸くする筈だ」

くっくっくく、と笑いをかみ殺して、桜に告げる。

「―――遠坂先輩が怒らない、の方にも自信があるんですよね」

最後に心配そうにそう聞いてくる桜。
だからその心配を少しでも和らげるため、自信に満ち溢れた言葉を告げた。

「あぁ、間違いない。桜のためって言えば、アイツはきっとこういう。
―――『そう、それじゃ仕方ないわね。でも、次そんなことしたら絶対許さないんだから』ってね」

「わぁ、凄いです、先輩。なんて言うかまで分かっちゃうんですか」

本当に感心したのか、桜は大げさにため息を付いている。

うん、これなら桜は大丈夫だ。
後は・・・

遠坂、お前しだいだぞっ。
いきなりガンドを撃つなよな。
信じてるからな。

天井を見上げて、そう、心に願った。

長かった桜との話し合いは、今日はこれでおしまい。
決戦は明日。今日と同じ時刻に遠坂をここに呼ぶ。
その場で俺の口から告げる、という事で桜は帰っていった。




翌日〜放課後


「どうしたのよ、士郎。いきなり話があるなんて」

急いで来たのか、遠坂の息は少しだけ乱れている。
しかし、機嫌は良いようだ。
うん、条件的には申し分ない。

「ああ、遠坂にちょっと聞いてもらいたいことがあってさ」

「ん?」

遠坂はチラッと台所に目を移した。
台所の桜が気になるのだろう。

「あぁ、桜は気にしないでくれ。
―――証人みたいなものだから」

むむ、ってな顔で俺を睨む。
どうやら怪しい雰囲気を察したようだ、さすがあくま。

「遠坂、お前冷静か?」

「冷静よ。何?士郎、何を企んでるのよ!?」

うん、冷静ならいいんだ。問題ない。

「あぁ、よく聞いてくれ、遠坂。
この前桜に俺たちのことを話すって言っただろ。
それで、この前話したんだ。
俺は遠坂の事が好きで、一緒にロンドンに行くって

あ、遠坂の機嫌がちょっとだけ良くなった気がする。
だが、この後、急転直下で一番下まで行くんだろう。
まぁ、仕方がないことなんだけど。

「それで、桜は納得したの?士郎」

「あぁ、納得した。それでその時
―――桜を抱きしめて、キスをした。
申し開きはしないけど、浮気じゃない。信じて欲しい」

「バンッ!!!」

机も壊れよ、とばかりに遠坂の鉄拳が机を直撃する。
遠坂の顔は早くも怒りで真っ赤だ。
指をこちらに向け、今にでも呪いを撃ってきそうだ。

「ちょ、ちょっと士郎。アンタどういうつもり!!
よりにもよって桜とキス!!?
しかも浮気じゃないけど申し開きはしない!!?
そんなんで私が信じると思うの!!?



こんなに怒っている遠坂は初めて見る。
目の前の遠坂を見ると、今までの遠坂の怒りは全部たいしたことなかったって思える。
そうか、俺はこんなにも怒るほど遠坂に愛されていたんだな、と今更に理解し、
ちょっとだけ頬が緩んだ。

「っっっ!!!
アンタ、何で笑ってんのよ。あったま来たーーーーーーっ。
あと3秒!それまでに事の真相を言わなかったら、ここで撃つ!



俺に向けている指先に魔力がともる。
きっと三秒後に遠坂は俺に向かってガンドを撃つだろう。
台所では心配そうに俺たちを見つめる桜の姿があった。

桜、心配しなくてもいいんだ。
まだ、あとひとつだけ、俺は遠坂に言ってない言葉がある。

「遠坂、言い訳はしない。信じて欲しい。
唯一つだけ言うのならば」

遠坂の指の魔力は臨界点だ。
きっと一秒のあと、あの指からは呪いが放たれ、俺は瀕死の重症を負う事になるだろう。
でも、慌てる必要はない。俺は遠坂を信じるだけ。

俺は遠坂の目から決して逃げず、
全ての思いを次の言葉に乗せて、遠坂に向けて告げた。


「だって、それが桜の為に必要だったんだ」


今にも放たれそうなガンドの魔力は、その言葉によって霧散した。
先ほどまで遠坂の体に、猛り狂っていた膨大な魔力も消えかけている。
遠坂の顔はまだ少し赤いが、それでも理性を取り戻しているように見えた。

「―――桜のためって何よ?その辺説明しなさいよね、士郎」

ああ、やっぱり遠坂は分かってくれたようだ。
俺に向けていた指を下ろし、腕を組んで口を結んでいる。


「それは言えない。二人の約束だから。
―――でも、俺は遠坂に嘘はつかない。信じて欲しい」


あくまで、信じて欲しい、の一点張りの俺に大きなため息をついて
やれやれしょうがない、なんて顔をした遠坂は
俺と桜が待ち望んだ勝利の言葉をやっと言ってくれた。

「そう、それじゃあ仕方ないわね。でも、次そんなことしたら絶対許さないんだから―――」

ふんっ、なんてそっぽを向いたままそう告げる遠坂。
その頬はまだほのかに赤く、怒りは完全に抜け切っていないようだ。
だが、一度そう言ったからには、遠坂がこのことで怒ることはもう絶対ない。

な、桜。言った通りだろ。台所で覗く桜に目線を送る。

この賭けは俺の勝ちだ。

でもそんなの、俺にとってはわかりきっていたこと。

だって

遠坂は桜のことを本当に大切に思っているんだから―――。





エピローグ1 <sister>



「じゃあお茶でも入れようか」

先輩は席を立って、台所に来る。
それと入れ替わり、私は居間に行かなければならない。
すれ違う先輩と目が合う

―――がんばれよ

口に出さなくても伝わる心。
先輩が応援してくれている。
あんな何の得もない約束を私の為に果たしてくれたのだ。
ここで勇気を振り絞らなきゃ、私は先輩の隣にいる資格なんてない。
がんばれ、私の心。
一生分の勇気を使っても良いから、前に一歩踏み出さなきゃ。


静々と遠坂先輩の側に座る私。
きっと顔は真っ赤で、見るからに怪しいんだろうなー。
とか、こんな事考えるなんて、結構余裕あるみたい。
これなら何とかなるかも。うん。


「あら、桜。やっぱりさっきの話、桜も一枚かんでたのよね」

「はい、遠坂先輩。」―――失敗

「そう、それでやっぱり桜に聞いても教えてもらえないのかしら」

「はい、ごめんなさい。遠坂先輩。そういう約束なんです」―――失敗

「そう、それにしても桜。貴方変わったわね。なんか、明るくなったみたい」

「はい、姉さん。全部先輩のおかげです」―――よしっ成功。

「はいはい、頼りない姉さんは桜のこ――――――」

はて?なんて顔をした姉さんは、
手に持ったお茶を口に含み、

音が出るほど顔をボンッと真っ赤にして、目を丸くしたまま

「ぶーーーーーーーーっ」

盛大に机の上に吹き出した。

くっくっく、
あ、先輩の笑い声が聞こえる。

「さ、さ、さ、さくらーーーーーっ、なによ、今の

『姉さん』って言ったの!!?



口からだらだらこぼれる緑茶も構わず、遠坂は桜に向かって大声を上げた。

ホントだ。私、今まで姉さんのこんな姿見たことない。
この姉さんはいつもの姉さんじゃなくて、年相応の一人の女の子だ。
・・・このことを先輩は分かってたんだ。

「はい、姉さん。これからは姉さんって呼びたいんです。
―――ダメですか?」

ダメですか、と聞きながら、私には姉さんの出す答えが分かっていた。
そう、こんなにも姉さんの事を知っている先輩が、ああいったんだもの。

「ばかっ!そんなの・・・ダメなわけないでしょ。
―――その、貴方は私の妹なんだから」


ふんっと横を向き、鼻息も荒くそんな事を言う姉さん。
うん、きっとこう言ってくれるに決まってる。
私にも読めましたよ、姉さん。

ふふっ、とかすかに笑った私は、ずっと望んで止まなかった姉さんの胸に抱きついた。

「はい、私、姉さんの妹です。だから、これからずっと姉さんって呼びますね」

あぁ、姉さんの体、柔らかい。
私のただ一人の肉親。
ずっと遠くで見てただけだった。でも、今私たちは抱き合っている。

「ごめんね、桜。こんな頼りない姉で。
本当はいっつも貴女の事見てたの。弓道部によく行ってたのもそのせい。
―――でも、それ以上のことは私には出来なかった・・・
7歳の時、父さんを亡くして、私、自分のことで精一杯だったみたい」

うん、今分かった姉さん。
7歳の時からずっとずっとひとりぽっち。
それでも遠坂の跡取りとして、魔術も勉強も運動も手を抜くことは出来ない。
そんな姉さんを羨んでいただけの今までの自分が恥ずかしい。

「うん、わかってる。姉さん。
でも、きっと悪いのは私。だからごめんなさい」

それを聞いた姉さんは、私の髪を優しくなでながら言った。

「そう、なら一つ約束しなさい、桜。
これからは遠坂先輩って呼ばない事。一度でもそう呼んだら怒るからね」

「はい、もちろんです。姉さん」

にこやかに笑う私を見て

「うん、やっぱり桜が笑ってくれると私も嬉しい。
ね、これからはずっと笑ってなさい。そうすればみんな幸せになれるから」

「はい、私がんばります、だから姉さんも手伝ってくださいね」

「当たり前でしょう。わた―――」


そこで急に姉さんの雰囲気が変わった。
こう、なんていうか、殺気が漲っている?

「姉さん?どうしたんですか」

私の後、姉さんの見ている方を見ると・・・
物陰から覗いている先輩の顔が見えた。

やばいっ、そう顔に書いてある先輩は、ダッシュで逃げ出した。

「遠坂、桜。ちょっと夕飯の買い物に行って来るから―――!」

それを追いかける姉さん。
私はそれを見て、テーブルの前に座り姉さんの噴出した緑茶の掃除を始めた。

「チッ、アイツ、最近逃げ足速くなったわね」


なんて、ガニ股でドスッ、ドスッと歩いてくる姉さんが来る頃には、テーブルは元通り。
新しいお茶まで準備万端、うん、完璧。

「姉さん、お茶でも飲みませんか?」

姉さんは、そうね、と座って私が注いだお茶を飲んだ。

私もずずっとお茶を一口。うん、なかなかのお手前で。

「そういえば桜、さっき私のこと姉さんって呼べって言ったけど、学校ではやめたほうが良いかもしれないわ。
ほら、あとどうせ私も後一年だし。いきなり変わるのはよくないと思うのよね、多分桜が」

そうか、姉さんは私の心配をしているんだ。
学校一のアイドルの姉さんに実の妹がいたなんて知られたら、確かに色々と面倒かもしれない。

「はい、姉さんがそう言うならそうします。学校では遠坂先輩ですね」

「そうそう、その代わりここではそう呼んじゃダメよ」

あぐらをかいて、あーおいし、なんてお茶を飲む姉さん。
ちょっとお行儀が悪いです。

「あ、そうだ。私、姉さんに言わなきゃならない事があったんでした」

ソレを思い出して、ポンと手を叩いた。

「ん、なに?大切な事なの?」

ソレを聞く姉さんに気合はない。はっきり言ってだらけている。
その隙を―――突く―――。

「はい、姉さんと先輩は来年の春にロンドンに魔術留学するんですよね?」

「え、ああ、士郎に聞いたの、魔術の事。まあ、桜も魔術師だし、問題ないけど」

「はい、先輩に聞きました。それで
―――来年の春。先輩は私か姉さんの好きなほうと一緒にいてくれると、約束してくれました」


「ぶーーーーーーーーーーっ」
姉さん、今日二度目の緑茶ブー。

「あー、姉さん。粗相は止めてください。せっかく拭いたんですから」

とはいえ、実はこうなるんじゃないかなと思っていたんだけど。
ちゃあんと布巾も用意してあります。

「さ、さ、さ、桜ーー!それホントなのーーーー!!?」

またも、口からこぼれる緑茶を吹きもせず、叫ぶ姉さん。
姉さん、女としてのたしなみはどこへ・・・

「はい、本当です、姉さん。
来年の春。先輩は私と姉さんのどちらかを選んで、
私を選んだ場合はロンドンに行くのをやめて日本に残ってくれるそうです」

最上の笑顔でにこやかにそう言った。

「―――そう、桜、その意味分かって言ってるのよね、やっぱり」

瞬時に判断したのか、姉さんは既に冷静だ。
先ほどの慌てぶりは影ほどみせず、その顔は正に魔術師としての顔だった。

「はい、私、先輩を諦め切れません。だから
―――ここで姉さんに宣戦布告をしちゃいます
正々堂々と先輩を奪って、この家で一緒に暮らします。
だから、姉さんは一人でロンドンに行ってください」

ああ、自分でもこんな事を言っているのが信じられない。
間桐桜はこんなコト言える人間じゃなかった・・・少なくとも一昨日までは。


「そう、桜、貴方随分変わったわね。
ホント、どうしちゃったのかしら。そんな前向きさ、貴方にはなかったはずだけど」

でも、姉さんは怒ってない。むしろ、喜んでるように見えるのは私の気のせいだろうか。
ふふん、と不適に笑うあの顔は、先輩に対する絶対の自信と、自分に対する絶対の誇り。
私の姉さんはホントに凄い人だ。

「はい、先輩のおかげです。
でも、
―――もし私が負けちゃったら、お二人に心からの祝福を送りますね

うん、今の笑顔は良く出来た。
きっと、私の人生の中で一番の笑顔だ。
こんな場面で、最高の笑顔が出来るなんて、私もなかなか捨てたもんじゃないかもしれない。

「桜・・・」

ちょっとだけ悲しそうに目を伏せた姉さんは、次の瞬間

「そう!貴女には負けないからね、桜。士郎は私のモノだもの。
私に喧嘩を売ったこと、必ず後悔させてやるんだから」

そういって私のことを抱きしめた。
それは力が入りすぎて、ちょっと痛かったけど。
本当に幸せな、そう、幸せな・・・たった二人の肉親の抱擁だったのでした。





エピローグ2 <sakura's tear>


「あら、何で二人とも抱き合ってるの?



それを聞いた私たちは、ガバッと飛びのき、お茶をすする。

「お帰りなさい、藤村先生」
「お帰りなさい、藤村先生」

見事にハモるその返答。

それを聞いて、むむむむっ、と顔をしかめる藤村先生。
なにか怪しい雰囲気を感じたのだろう。
さすがに野生、鋭い。

あ、でも。藤村先生に内緒にする必要はないんだ。
だって一緒にこの家に住んでるんですもの。
そうだそうだ。うん、そうと決まれば、すぐ実行。

「あのー、藤村先生。実は私と、姉さん、遠坂先輩は実の姉妹でして。
今日から、姉さん、って呼ぶことにしたんです」

正直にそのまま言ってみた。藤村先生は何て言ってくれるだろう。
驚くかな、やっぱり普通そうだよね。
今まで只の先輩、後輩だったのが、実はいきなり『姉妹でした』だもん。

そんな私の予想を覆すのが野生の虎、もとい藤村大河という人物だった。

「あー、そうなんだー。
でも、良かったねー。これからは桜ちゃんも頼りになるおねえちゃんができて。
でも、頼りにならないおねえちゃんはちょっと悲しいよぅ」

よよよ、と泣き崩れる真似をする藤村先生。
そう、確かに藤村先生は私にとっての姉そのものだった。
色々相談もしたし、いつも頼りにしていたおっきな姉さん。
この衛宮邸において、私と藤村先生は正に妹と姉の役割を担っていたのだ。


「そんな、藤村先生は頼りになりますよ。ね、姉さん」

私に続いて姉さんは胸を張ってこう言った。

「そうですね。士郎も桜も幸せ者です。藤村先生のような姉がいるんですから」

ちょっと照れくさかったのか、僅かに頬が赤い姉さん。

ありがとう、姉さん。
今一番言いたかったことを言ってくれて。

でも、ごめんなさい。姉さん、ちょっとこれから
意地悪しちゃいます。

「そういえば士郎はどこに行ったの?」
きょろきょろとあたりを見回す藤村先生。

「あ、士郎はかいもの」
「あ、先輩は遠坂先輩と付き合っているらしいです。
そして、卒業したら二人一緒にロンドンに行くって言ってました」


「なっ!」
硬直する姉さん

そして

「そ、そんなのゆるしませーーーーーーーーん!!」
がぉーーーーーーーっとタイガー化する藤村先生。

あ、すごい。火が出そう。
でも、先輩のいないこの状況だとどうなるんだろう。
なんて、不謹慎な事を考えてしまった。

「ちょっと遠坂さん。それってどういうことよーーーーーー!!!」

あ、姉さんに行った。
がーーーっと姉さんに喰らいつく藤村先生。
いつもなら圧倒できる筈の姉さんは、いつものようにタイガーの急所を的確に突くことが出来ない。

いきなりの展開に不意を突かれたみたいだ。
ふむ、姉さんは不意打ちに弱い、と。
心に刻み付けました。
以後ご注意ください。姉さん。


「ちょ、ちょっと藤村先生、落ち着いて。
いや、私のせいじゃないです、士郎が勝手についてくるって・・・
って、話を聞いてくださーーーーーーーい」

うん、互角の攻防だ。
そろそろ助け舟を出さないと、私が姉さんに恨まれてしまう。

やれやれと腰を上げて二人に近づく

「藤村先生。その事は直接先輩に聞かないとあまり意味がないと思います。
姉さんも先輩が勝手についてくるって言ってますし」

「そ、それもそうね。さすが桜ちゃん。
で、肝心の士郎は何処に行ったの?夕飯の買い物でも行ったの?」

さぁ、ここが正念場。
タイミングを誤るわけにはいかない。

私の予想では、多分先輩はあと少しで帰ってくるはず。
夕食の買い物なら、そうは時間はかからない。

なら。

「えっと、たぶん道場じゃないかと思います」

もちろん嘘。だけど、タイミング的にはこれでちょうどいいはず。

「そう、道場ね。待ってなさいよー、士郎ーーーー!!」

タイガーとなっている藤村先生は、飛ぶように道場に向かっていった。

藤村先生から逃れられた姉さんは、はぁ、と大きく息をつき

「どういうつもり、桜?何であんな嘘をついたの?」

助けられただけに文句は言えない。
でも、当然の疑問だった。

「それは、もちろん。姉さんに伝えたいことがあるからですよ」

狼狽する姉さん。
私は気づかなかったけど、このときの私の顔は姉さん並みの邪悪っぷりだったそうな。

・・・

・・





「ただいまー」

先輩が帰ってきた。
グッドタイミング。私もなかなかやるわね。

ビニール袋一杯の夕飯の食材を持って、居間に入ってくる先輩。
その瞳はいつもどおり穏やかで、これから起こる惨事を微塵も感じてないようだ。

その瞳に私の決心も鈍るが、もう遅い。だって、姉さんにはもう言ってしまったもの

私は先輩に近づいて買い物をねぎらう

「先輩、お疲れ様でした。
荷物預かりますよ」

ビニール袋をつかむ私。

「いや、いいよ。今日の晩飯は俺が作るからさ。
桜はゆっくり休んでてくれよ、遠坂もいることだし」

先輩はビニール袋を離さない。
な、と、姉さんの方を向く先輩。

「ピキーーーン」

あまりの殺気に先輩の手が緩む。
その隙に私がその袋を奪い取ってひとこと

「だめですよ、先輩。そのままだとせっかくの食材がぐっちゃぐちゃになっちゃうじゃないですか」

にっこりと笑って先輩にそう告げた。

「さ、桜。俺がいない間になにがあったんだ?」

あまりの殺気に居間の空気は凝縮され、その空気は肌をも切り裂きそうな密度を持っていた。
そんな中近寄ってくるあかいあくまに、先輩の本能がニゲローニゲローと叫んでいる。

「ソウ、ソレジャシカタナイワネ。デモ、ツギソンナコトシタラゼッタイユルサナインダカラ」

「と、遠坂。何を言ってるんだお前。落ち着け、とりあえず落ち着けって、な」

「ソウ、ソレジャシカタナイワネ。デモ、ツギソンナコトシタラゼッタイユルサナインダカラ」

先輩の手をつかむ姉さん。逃げることなど出来ないと悟ったのか、先輩は私に助けを求めてきた。

「さ、桜。何で遠坂こんなに怒ってるんだ!なんか言ったのか」

先輩の顔は真っ青でちょっとだけ胸が痛んだ。
でも、私はその痛みを我慢して

「はい、さっきの賭けのことを話しました、もちろん、全部。
先輩。姉さんには隠し事はしたくないんですよね」

「っっっ!」


ガクガクブルブル!

「衛宮クン。貴方、私を賭けのネタにするなんて偉くなったものね・・・」

す、すごい。あそこまで殺気を凝縮できるなんて、姉さんはやはり一流の魔術師だわ。


だだだだっだっだーーーーー!

あ、足音がする。そろそろだわ。

もう既にこれ以上無いって程震えてる先輩に向かって、更に追い討ちに一言。

「あと、先輩。藤村先生にも、先輩と姉さんが一緒にロンドンに行くって言っておきましたから」


バターン


「士郎ーーーーーーー!!
アンタ一体どういうことよーーーーー!!
ことと次第によっちゃー、おねえちゃん、ゆるさないわよーーーーー!!!


がーーーーーーっと火を吐く藤村先生に、意識を失う直前の先輩は

「さ、桜さ〜ん。何で怒ってるの?俺、なんか悪いコトしましたっけ?」

蚊の鳴くような声を私にかけてきた。

「いえ、先輩は何も。ですからこれは、私のワガママです。ごめんなさい、先輩」

そこで意識を失ったのか、ズルズルと引かれていく先輩。
右手は姉さん。
左手は藤村先生がしっかりと握っている。

「じゃあ、道場にする遠坂さん」
「いえ、道場だとボロボロにしちゃうかもしれません。庭にしましょう」

とか、料理の仕方を相談している。





嵐が去った後の居間

私は買い物袋の中身を確認して、台所に移った。

―――だってあまりにも先輩と姉さんが信じあってるから

中身はちょっとお値段高めのステーキ肉だった。うん、おいしそう。

―――ちょっと妬いちゃったんです、私

先輩は夕食をステーキにするつもりだったんですね。贅沢です。

―――だから、これは完全に私の八つ当たり

先輩が解放されるまで、だいたい一時間くらいはかかるかな。

―――あとで先輩に謝っておこう

ボロボロになった先輩と、疲れきってる二人の為に、最高においしい夕飯を作って待っていよう。

―――私にとっては、姉さんも先輩も大事な人

そうだ!せっかくだから冷蔵庫の中身も全部使ってしまえー。

―――二人の幸せそうなその姿に

どうせ、セイバーさんも来るだろうし、今日は記念に最高に豪華な夕食にするんだ

―――私の入る隙間なんて

むんっと気合を入れて、私専用のエプロンを着ける。

―――もう何処にも無いって分かってしまったんだから


まな板をだして、じゃが芋と玉ねぎをリズム良く刻む。

トントントン、
ポタ

トントントン
ポタポタ

トントントン
ポタポタポタ

あれ、何で涙がこぼれてるんだろう?

これじゃあ、せっかくの料理が涙まみれになってしまう。

ポタポタポタ

止まらない。
まぁいいか、これも今日だけの大サービス。



今までごめんね、私のきもち。
ずっとこんな事すら言えなくて、
きっと一年前にちょっとだけ勇気を出していたら結果は違ったんだろうな・・・

でも、いいよね、ゆるしてよ、私のこころ。
だってあんなにも先輩も姉さんも幸せそうなんだから・・・
私の出る幕なんてないもんね。

だから、今日だけ
今日だけは泣くのを許してあげる。

明日からは涙を流すのは禁止。


だって先輩は私に笑って欲しいって言ったから

だって姉さんは私の笑顔が嬉しいって言ってくれたから。


来年の春までには、二人に言われたように前向きな桜になって、

絶対絶対言ってあげるんだから・・・


一生で一番の笑顔を先輩と姉さんの晴れの門出にあげるの。



「ふたりとも、ずっとお幸せに―――」 って





後書き

まず最初にごめんなさい。
「桜はこんな性格じゃねーーーー」とか言わないでください。
いつも後ろ向きな桜を、ちょっとだけ前向きにしてあげたかった。
そして、ちょっとだけ救ってあげたかったんです。


でも、私の力ではこれ以上桜を幸せには出来ませんでした。
桜の心臓の虫を取り除く方法が考え及ばなかったのが現実です。
いつか、時間が合って、良いアイディアがあったら、、、
士郎と凛とセイバーと桜の四人であのじじいを倒す本当の幸せストーリーが書けたらな、って思ってます。


一応、このお話は前作「春に咲いた紫陽花の華」の直前のお話になります。
そうです、実は続き物なんです。うおーーー、なんて無謀。
このお話が3月末。「春に咲いた紫陽花の華」は4月の頭が舞台になっています。
5月、6月と続けば楽しいかもしれませんね。


さて、これが私にとって2作目のSSになります。
1作目が思ったより好評だったので、再びギャグ路線のほのぼの系で書こうかと思ったのですが、
今回の話を思いついちゃったので、ちょっとシリアス路線のほのぼの系を書いてみました。
実は一番最初に思いついたのは最後のエピローグ<sakura's tear>です。
桜の心の声と表面上の声をクロスさせたら面白いかなーなんて思ったんですけど、
どうだったでしょうか?
私はこのSSを書いたおかげで、以前よりちょっとだけ桜の事を好きになりました。


と、言うわけで、無事2作目のSSを書き終えました。
皆様の温かくも厳しい批評を力に変えて、もう少しがんばってみたいと思います。


この長いSSを最後まで読んでくださった皆様に心からの感謝をいたします。