花見酒(Short Version)
トンネルを抜けるとそこは雪国だった。
とは誰の言葉だったか。
公園に入るとそこは雪ではなく人の山だった。
人、人、人。
冬木市ってこんなに人口多かったっけ?と思うくらいの人ごみ。
「まあ、しょうがないよなー、これだけいい天気なんだし」
暑くもなく寒くもなく、晴天に恵まれた今日は絶好の花見日和。
同じように考える人も、まあ、少なからずいたというわけだ。
「うわー、凄い人ですね。セイバーさんは大丈夫でしょうか?」
あまりの熱気に少し心配そうな桜。
確かにこれじゃあ場所取りもままならないだろう?
「ん、大丈夫よっ。
士郎、私のこと信用してないの?
私が大丈夫って言ったら大丈夫なんだから!わかった!?」
俺達二人の視線の抗議に耐え切れなくなった遠坂は、ふんっ、てな感じで奥を見つめる。
「奥の、一番大きい桜の木があるでしょ。
セイバーがあの木の下に陣取ってるわ。
さ、行きましょ、これだけ人が出てるとさすがに紛れが起きかねないわ」
奥に向かってつかつかと先行する遠坂。
でも、よくあの一等地を確保できたものだ。
だってあの桜の下はどう考えても一番人気だ。
今回は遠坂の努力を褒めてやらなきゃな。
人ごみの中を奥へ向かうと、公園で一番大きな桜の木が見えてきた。
俺の想像通り、その桜の周りは溢れんばかりの人で一杯…………ではなかった。
周りの桜の下はどこも人で一杯。
しかし、お目当ての木の下だけは不自然なほどに人っ子ひとりいなかった。
―――いや、いた。
木の下で静かに正座をする女の子が一人。
「セイバーだ」
その一体感は、近づいて見なければそこにいるのが判らないほど。
桜の花びら舞うその空間は、一種の聖なる神殿のように静かだった。
その神殿の中央に座するセイバーは、閉じていた目をゆっくりと開ける
そして一言。
「遅いです、シロウ」
拗ねたような瞳で俺を睨む。
「は?」
神々しいまでの空間をから漏れたいつもと同じその言葉に
つい俺は情けない声を発してしまった。
「だから、遅いといったのです。
―――シロウ、私は朝食を摂らずにここにいる。
その意味がわかりますか?」
ああ、そうか。
つまりセイバーはお腹が減っている、ゆえに機嫌が悪い。
なんてシンプル。
「もちろんだ、腕によりをかけてたくさん作ってきたからいくらでも食ってくれ
いくらセイバーでもこれだけあれば食い尽くせないぞ」
「むむ、その言いようでは、私が常日頃から食い尽くしているように聴こえる。
それは聞き捨てなりません。即時の撤回を希望します」
俺の言葉が癪に触ったのか、眉をひそめるセイバー。
ぷぷっ、でもここに弁当がある限りセイバーは俺に逆らえないのだー。
「ふぅーーーん、じゃあセイバーは必要ないんだ、朝飯。
俺達も朝飯食ってないから、ここでみんなで食おうと思ったんだけどなー。
ふーん、セイバーさん、お昼までいらないんだー」
「なっ!」
俺の切り返しに明らかに動揺するセイバー。
むむむ、とか言いつつなにやら考え込んでいる。
プライドと食欲の狭間で凌ぎあってるのか。
「シ、シロウ。その話の撤回は希望しますが、その、リンたちも食事を取ってないとのこと。
―――とりあえず、皆で朝食にしようではありませんか。
いえ、シロウもサクラもお腹が空いているでしょうし」
プライドと食欲の戦いは、妥協案でまとまったらしかった。
いつもならもうちょっとセイバーをからかって遊ぶのだが、遠坂と桜もいることだしこの辺で止めておこう。
「ちょっと士郎、私のセイバーをあまりいじめないでよね。
ただでさえ朝からこんなところで場所取りなんてさせてるんだから。
サーヴァントに花見の場所取りさせるなんて聞いたことないわ」
それは俺も聞いたことない。
それにそうだな、確かに朝早くから大変だったと思う。
「ああ、実は俺も腹が減ってしょうがないし、皆でとりあえずご飯にしよう。
遠坂も食べてないんだろ?
たくさん作ってきたから、まずは朝飯にしようか」
ビニールシートを敷いて、弁当箱をドスッと降ろす。
家から持ってきた紙コップに、保温ポットで持ってきた緑茶を注ぐ。
持ってきた弁当の中からサンドウィッチとポテトサラダを取り出して準備完了。
「藤ねえはまだ来てないみたいだし、俺たちだけで勝手に始めてようか」
最重要優先客のセイバーに、サンドウィッチとお茶を手渡す。
だってセイバー、うずうずしてるし、これは朝から場所取りをさせた報酬みたいなもの。
「そうね、せっかくだからいただきましょ。
―――士郎と桜の本気、見せてもらうんだから」
「ええ、じっくり味わってくださいネ、姉さん。
私と先輩が力をあわせて作った合作ですから」
ほほ、とにこやかに笑う桜。
ふふ、と涼しげに笑う遠坂。
さらには、すでに目の前のサンドウィッチを食べつくし、虎視眈々と次の重箱を狙うセイバー。
……おいセイバー、いくらなんでも食べるの早いぞ。
「シロウ、このサンドウィッチはとても美味しいです。
ですが、いささか量が少ないようだ。
早く次の重箱を開けてください」
おいおい大丈夫か、本当に11箱で足りるのか、このペース。
いつもどおりコクコクと頷きながらも黙々と食べ続けるセイバー。
姉妹仲良く火花を散らす桜と遠坂。
そんな何でもない光景が俺の心を温めていった。
一陣の風が吹き、幾重もの桜の花びらが舞い落ちる。
辺りは妙に静かで周りの喧騒も気にならない。
目を閉じれば外界の音は完全に届いてこないほどだ。
ん?
いくらなんでも静か過ぎないか、これ?
周りにはたくさんの人がいるのに、ここだけは異様に静か。
さすがにこれはおかしい。
「おい、遠坂。
ここってやけに静かだと思わないか?」
んっ?てな顔をして桜との目線バトルを中断する遠坂。
「―――当然でしょ。結界の中なんだから」
さも当然のように答える遠坂凛。
「い!?」
こんなところで魔術!?しかも結界!?
本気か、遠坂。
驚く俺を見て、眉を寄せる遠坂。
むむ、不穏な雰囲気・・・
「ちょっと士郎。貴方まさか気づいてなかった、なんて言わないわよね」
はぁー、なんてあからさまにため息をついてる。
「む、悪いか。こんな白昼往来で魔術を使うなんて思わないぞ、普通。
第一誰か入ってきたらどうするんだよ、
いきなりビリビリとかきたら大問題だろ」
「ビリビリ?
ああ、イリヤの城の結界の事?
この結界はあんなに高度じゃないから、そんな心配は要らないわ。
第一魔力がない普通の人は気づきすらしないもの」
「気づきすらしないってどういうことさ?」
「だからそのままの意味よ。
一般人はここに何かがあることはわかっても、それが桜の木だとは気づかない。
つまり物事を認識させづらくする結界なの。
だからセイバーがいても誰も気づかないし、わざわざ近寄ってくる人もいない。
それにね、士郎。この結界って魔術師にしてみれば基礎の基礎でしょ
魔術の秘匿のためには欠かせない結界なんだから」
ぐっ、悔しいけど確かに遠坂の言う通りだ。
魔術を隠すための結界は、現世に生きる魔術師にとって必修科目に違いない。
だがっ
「でも、俺達は何も感じずにここには入れたし、セイバーも桜の木もちゃんと見えたぞ」
「それは当然よ。
体内で魔力を精製する魔術師にはこの程度の結界じゃ役に立たないわ。
所詮結界はその土地に仕掛けるもの、へっぽこでも魔術師なら効果は薄いものよ。
―――それにしても本当になにも感じなかったの、士郎?
桜だってちゃんと気づいてるっていうのに。
はあー、師匠としてちょっと自信なくしちゃうわね、これは」
顔を抑える遠坂はホントに落胆している。
そういえばここを見た時、なんとなく神殿っぽいかなー、なんて感じたのも当たり前だったんだな。
結界の中だもん、ここ。
ってそれよりも!
「桜!」
桜も気づいてたなんて。
確かに桜も魔術師らしいのだが、その実力を俺は知らない。
遠坂のみならず、桜にまで負けたとなると、先輩としての、いや男としての威厳が・・・
「え、え、先輩?
き、気づいてなんかいませんよっ、はい、ぜんっぜんっ気づきませんでした、私!
ホ、ホントですよ」
―――男の威厳なんて既に無かったらしい。
むしろ桜の温かい心遣いが、胸に突き刺さる。こうグサグサって感じで。
桜、お前はこれからウソ禁止。
俺にさえ見抜かれるようじゃ、きっとこの世で騙される奴なんていないぞ。
それにしても俺の8年間って一体・・・
常に死と隣り合わせの修行って実は意味ないんだな。
そう思うと身も心もダークネスに染まっていった。
ふーーーーーんだ、どうせ俺には魔術の才能なんて有りませんよーだ。
どうせ俺は剣しか能がないんだから、毎日剣だけ作ってればいいんですよーーーーだ。
いじいじ。
「えっと、士郎?
あの、いいじゃない、それでも!
士郎には剣があるんだし、他の魔術は私がいるんだし
一応魔術だって少しずつ進歩してるんだから、その、普通の魔術師の50分の1くらいは」
俺のグレ気味な気配が伝わったのか、世にも珍しい遠坂のフォロー。
ていうか全然フォローになってないし。
「おーおー、さすが五大元素様は言うことが違いますねー。
ところで五大元素様。
魔術師しか気づかない結界だったら、藤ねえはどうなるんでございましょうかね?」
ピクッ!
その言葉に反応したかと思うと、あからさまに『やっばぁ〜』って顔をする遠坂。
「おい、五大元素。
まさか忘れてたとか言わないだろうな」
あっちゃー、こいつ本当に忘れてたらしい。
さすが大事な事ほど良く忘れるのが特技だけある。
「そこ!五大元素言うなっ!
わたしだって悪いと思ってるんだから。
あー、なんで今まで気づかなかったんだろ、迂闊だったわ」
どうやら反省はしてるみたいだ。
「ってそんなこと言ってる場合じゃないだろ。
遠坂、俺ちょっと探してくるよ」
「いえ、わたしの責任だもの。
わたしが探してくるわ。
すぐ戻るからここで3人で待ってて」
言うが早いか、立ち上がる俺を制して、足早に藤ねえを捜しに行った。
相変わらずの決断の早さだ。
駆けて行った遠坂は真剣で、アレならきっと心配はないだろう。
立ち上がりかけた腰を下ろし、目の前に置かれるお茶を飲む。
「シロウ、お話は終わりましたか」
「ああ、セイバー。遠坂に任せればだいじょ・・・」
俺は目の前の惨状を見て愕然とした。
空の弁当箱が3つーーー!?
この短時間に3つもの重箱が食い尽くされてるーーーっ!?
空になった重箱の前でコクコクと頷きながら更に捕食を続ける金髪の少女。
おい、お前のことだ、食欲大魔神一号。
「シロウ、このローストビーフはとても美味しい。
ですが、いささか量が少ないようだ」
先ほどと似たようなセリフを吐きながらも、微塵も食スピードを落とす気配が無い。
「セイバーさん、そのローストビーフは私が作ったんですよ。
美味しいって言ってくれて嬉しいです、私」
ニコッと笑い、セイバーと共に弁当に立ち向かう桜。
その姿は正に食欲大魔神二号。
おい―――お前ら二人して花より団子ですか。
いいんですか、花も恥らう乙女がそんなことで。
「さすがサクラ。これ程の料理ならもはや神の領域といえるでしょう。
貴方達二人に料理を作ってもらえるなどとは、私はとても幸せものです」
「いえ、そんなセイバーさん。
それに私はまだ先輩には及びません。これからも修行あるのみです。
―――でも、姉さんには負けませんけどね、意地でも」
「そうですか、リンの料理はいつも美味しいのですが、いかんせん不安定です。
忙しい時などは『かっぷらーめん』というモノでごまかされた事もあります。
アレはもはや料理とはいえないシロモノだった・・・」
無念そうに肩を落とすセイバー。
その表情には『コノウラミハラサズデオクベキカー』みたいな怨念が宿っている。
それを見て、ああ、遠坂も苦労してるんだなー、とわかってしまった。
そんな事を考えつつセイバーを見ると
「ん、シロウ?どうしました、嬉しそうな顔をして。
―――それにしても、この鳥の唐揚げはとても美味しい。
ですが、いささか量が少ないようだ」
もぎゅもぎゅと唐揚げを頬張るセイバーの顔がとても幸せそうだったからだろうか。
先ほどの些細な考えなんてどこかに消え失せてしまった。
セイバーのその笑顔に、俺も少しだけ幸せを分けてもらえたみたいだ。
「うーーーーっん」
ドサッ
精一杯の背伸びをしつつ、シートにごろっと寝転ぶ。
そういえば聖杯戦争から今日まで、気の休まる時なんて無かったな。
魔術や剣術の鍛錬、勉強や慣れない新クラス、やらなきゃならない事は山積みだった。
こんなふうにのんびりするのはいつ以来だろう・・・
そんな風に考える俺の顔を上から遮る影が一つ。
「先輩。何を考えてるんです?
―――楽しいことですか?それとも苦しい事ですか?」
風に舞う髪を手ですくい、穏やかな顔で俺を覗く桜。
その幸せそうな桜の顔を見て、
「もちろん楽しい事だよ、桜。
今、この時の俺は幸せだなって」
桜吹雪をバックに映える桜の顔は、とても魅力的だった。
そう考えた瞬間、桜の顔は徐々に俺に近づいてくる。
動けない俺。
花びら散るその幻想的な空間が、まるで俺を縫い付けてしまったのか。
「先輩・・・」
「桜」
近づいてくる桜の顔は、もうすぐ目の前。
鼻と鼻がぶつかり、唇と唇が触れようとした時。
「そこまでです、シロウ」
ビックーーーーーン!
俺と桜は同時に跳ね上がり、一秒で元の席に戻った。
そんな俺に向けられる箸のさきっぽ。
「セ、セイバーさんっ」
「セイバー、いたのか」
ビシッと箸を俺につきつけ、冷ややかに睨むセイバー。
「ええ、いましたとも。
シロウは覚えてないかもしれませんが、それはもう最初から」
先ほどまでの上機嫌から、急転直下の不機嫌モードのセイバーさん。
失念していた、そういえばさっきからセイバーはそこにいたっけな。
「シロウ。サクラとリンの宣戦布告の話は聞いています。
ですが、私はシロウとリンの子供を今か今かと待つ身なのです。
この私の目の黒いうちは『はれんち』な事は許しませんので、そのつもりで」
「セ、セイバーさん。『はれんち』なことって、そんな・・・私」
「サクラ、今二人がやろうとしたことです。
この事をリンに話すと、きっと数日はリンの機嫌は直らないでしょう。
それは私とて不本意な事。
今のことは私の心の内に秘めておきますので、ご安心を」
そ、そうか、セイバーは食糧事情を心配してるのか。
いくら最強のサーヴァントでも『かっぷらーめん』は怖いのだろう。
「チッ」
響く舌打ちに俺はバッと桜の方を向く。
「え、えーっと、先輩?
どうしたんですか、急に。
っ!まさか私が姉さんに今のことを言う、とか思ってるんですか。
そんなことはしません!信じてください。
こういう事は私の口から姉さんに言っても、あまり効果はないんです
セイバーさんに言ってもらうからこそ、姉さんも疑心暗鬼に陥るんです」
桜さん、まず今の舌打ちはナニ?
次にその釈明っぷりはどういうことよ?
最後に遠坂を疑心暗鬼にしてどうするの?
女の権謀術数を目の当たりにして、セイバーの潔白さが尊い物だとわかった今日この頃。
―――女って怖い。
「そう、桜。
貴女、常日頃から既成事実を狙ってるのね。
しかもそれを策略に使おうとするなんて・・・我が妹ながら末恐ろしいわね」
あれ、なんかここにはいる筈のない人の声がする。
幻聴かな?それとも空耳?
「セ、セイバー、今遠坂の声が聞こえたような気がするんだけど、幻聴だよな?」
「いえ、シロウの後ろで赤い殺気を振りまいているのは、間違いなく私のマスターです。
シロウ、現実逃避とは貴方もまだまだ修行が足りない」
やっぱりそうかー。この殺気は遠坂だったのか……
いやね、俺も薄々わかってはいたんだけどね。
こう、心が認めたがらなかったというか、耳が信じられなかったというか。
さて、現実を認めたからには、それに立ち向かってこそ男というもの。
まずはアソコで仁王立ちしているヤツにビシッと言ってやらねばなるまい。
「あのー、遠坂さん?一体いつごろからそこにいらっしゃったのでしょうか?」
ニヤリと凄みを利かせつつ、俺に近寄ってくる遠坂。
「そうね。実は藤村先生はすぐそこで見つけたの。
『うーーーーっん ドサッ』って寝転がったあたりかしら」
そう言いつつ俺の隣に座る遠坂。
その笑顔は極上で、それがまた俺の恐怖をあおる。
「士郎ー。お姉ちゃん疲れちゃったよぅ。
全然見つからないんだもん、帰ろうかと思っちゃった。
あれ?どうかしたの」
ダンボール一杯のジュースを抱えてこちらに来る藤ねえ。
なんと間の悪いことか・・・
「藤村先生。今、士郎の不明を問いただしていた所です。
先生も見ていたでしょう。今の士郎と桜を」
「ん、それなんだけど、なんか私にはよく見えなかったのよねー。
目には自信があるんだけど」
どうやら結界のおかげで藤ねえには見えてなかったらしい、
何とかダブル糾弾という最悪の事態は免れたみたいだな・・・
「そんなことよりとりあえず皆で乾杯しようよぅ。
せっかくこんなに綺麗な桜があるんだから、今日はそういう物騒な事はなしなし。
ね、遠坂さんも、今日はこの桜に免じて許してあげたら」
ああ、、、なんて神々しいお言葉。
いつもなら遅れてなるものか、とばかりに攻め立ててくるのに。
「はあ、それもそうですね・・・分かりました。
せっかくのお花見ですし、そういうのは無しにしましょう。
―――でも!
士郎にはあとできっちりワケを話してもらうからね」
ぎろりと俺を一睨みして、遠坂の中でこの件は終わった。
どうやらこの場だけは助かったらしい。
「とりあえずジュースをい〜っぱい買ってきたから、好きなのを選んでくれる?
みんなに行き渡ったら乾杯しましょー。
あ、セイバーちゃんはお酒ね。ビールでいい?」
ビールの缶を手渡され、両手で大事そうに抱えるセイバー。
チラッと遠坂を目配せをした後、缶のプルトップをプシュと開けた。
「ほらほら士郎たちも早く選んで。
せっかくの桜が待ってるわよん」
見るとテレビで宣伝しているような有名なジュースばかり。
藤ねえ、ポケットマネーで買ってきてくれたのか。
ちょっと悪かったかな、後でお礼くらいは言わないとな。
藤ねえを疑った事を心中で謝りながら、俺は飲み物を選ぶ。
「うーん、さっきからお茶ばかり飲んでるからさっぱり系がいいかな」
「私はオレンジジュースでいいです」
「わたしはウーロン茶でいいわ。あまりカロリー摂りたくないし」
それぞれのジュースを紙コップに注ぎ、席に着く。
ジュースで乾杯ってのも情けないが、このほうが俺たちらしいとも言える。
セイバーに捕食されたとはいえ、料理はまだまだたくさんある。
「んじゃあ、この見事な桜と晴れ渡った空に・・・かんぱーい!」
「「「かんぱーい」」」
藤ねえの音頭で皆が乾杯をする。
やっと全員揃った俺の家族達。
ちょっと遅くなったけど、今から楽しめるといいな。
一息ついて手に持つジュースを流し込む。
疲れた体に爽やかなグレープフルーツの喉越しがまた……
「っ!!げふっ!ごふっ!これグレープフルーツサワーだぞ!」
……むせました。
「やったー。ジュースとお酒の中身を入れ替える作戦なのだー。
コングラッチュレーション♪見事ミッションコンプリートでーす
これで私もお酒が飲めるというものよねー」
「ふ、藤ねえ。まさかこれ全部入れ替えたのか!?
なんて無駄な努力を・・・
2ヶ月前から全然進歩してないじゃないか」
えっへんと胸を張り、喜々としてはしゃぎまわる藤ねえ。
「だってさー、士郎、私だけお酒禁止ーとか言うんだもん。
これはやるしかない、と思ったわけよ。うんうん」
わーい、と喜ぶ藤ねえはもう留まるところを知らない。
すっごい手間暇だぞ、これ。
遠坂と桜は大丈夫なのか?
「全然。わたしお酒大好きだもん」
「先輩、私もお花見はお酒のほうがいいと思います」
―――二人とも酒豪だった。
「おいおい!二人とも未成年がお酒飲んでいいと思ってるのか。
藤ねえも藤ねえだ。一応教師だろ。こういうのまずいだろ。
おい、みんな俺の話を聞けぇーーーーー!!」
そっぽを向いて酒を飲み続ける三人。
こいつら、根っからの酒好きだ。
くそー、ここでも少数意見かよ。俺に誰か味方はいないのか!?
そうだっ、セイバーだ。
セイバーならきっと俺の味方になってくれるに違いない。
そのセイバーは、正座のままチビチビとビールを飲んでいた。
ちょっとだけ赤い頬がかわいい。
「セイバー、みんな止めなくていいのかよ。
未成年がお酒飲んでるんだぞ、規律を守らなきゃダメだろー」
「15歳から成人です」
ビシッと一言。
だめだ、セイバーにとっては酒は15の時から飲むモノなんだな。
はぅー、なんか一人で騒ぎ立てるのがアホらしくなってきた。
どうせ結界張ってあるし、藤ねえが回りに迷惑をかけることもない。
ならもう気にするのは止めて、せっかくだから無礼講にしてしまおう。
そうと決めれば行動は早い。
手に持つコップに再びサワーを注ぎ、グビグビッと飲み干して桜の木に寄りかかる。
火照った顔に春の風が気持ちいい。
皆は皆で勝手気ままに酒と桜を楽しんでいる。
二人一緒に酒を飲んでいる桜と遠坂は好対照だ。
桜がチビっと飲む間に、遠坂はガバガバ。
―――アイツざるだ。
あいつと一緒に酒を飲む時は気をつけよう。
二人は盛り上がっているのか、怒鳴り声まで聞こえる。
あれはあれで仲がいいのだ。お互いの遠慮がなくなった証拠なのだから。
姉妹に戻って、以前より二人が親しくなったのは間違いない。
それは俺にとっても嬉しい事だった。
これからもあの二人はずっと仲の良い姉妹であってほしい。
藤ねえは手酌で酒を飲み続けている。
今はまだ大人しいが、酔いが回ってくると周りに被害が出始めるのだ。
多分標的は俺、もしくはセイバーか。
なにやらハイテンションだが、俺に近づいてくる気配は無いので良しとしよう。
セイバーは、相変わらずチビチビ飲み続けている。
どうやら酒に強いというのは本当のようだ。
もうかなり飲んでいるのに、一向にペースが落ちない。
セイバーの前には既にいくつもの空き缶が並べられている。
平和そうな顔をしてビールを飲むセイバーにいつもの緊張感はない。
桜を見るセイバーの顔は本当に穏やかで、平和そうだ。
さて!
ここで一人で飲んでいても始まらない。
俺の選択肢は……
1.平穏無事。セイバーと二人でのほほーんと桜を眺める
2.ある意味チャレンジャー。酒好き姉妹とのあまーいひと時。
3.虎穴にいらずんば虎児を得ず。藤ねえとタイマン一本勝負。
3は論外。即死の選択肢だ。
2も激しく身の危険を感じる、トラップだ。
正解は1、セイバーと二人でのほほーんと桜を眺める、だ!
いそいそとセイバーの側に歩み寄る。
相変わらずセイバーは正座をしたままビールを飲んでいる。
セイバーの目の前に並ぶビールの缶は既に10本を超えている。
「おいおいセイバー。いくらなんでも飲みすぎじゃないのか
たとえ酒に強くてもあんまり飲みすぎると体に悪いぞ」
セイバーの隣に腰を下ろしつつ、軽く忠告をする。
「大丈夫です、シロウ。私にとってこの程度の酒は水のようなものです。
ですがご忠告には感謝いたします。ありがとうございまふ」
ん?
なんか今違和感が・・・
「それにしても見事な桜でふ。
英国にも桜はあるのですが、種類が違うのでしょう。
これほど見事には咲き誇りまへん」
んん?
「んー、二人でなぁに話しちゃってるのかなー。
怪しいぞぉー。危険な香りがぷんぷん♪
ね、ね。おねえちゃんも混ぜて欲しいよぅ。
セイバーちゃん、一緒に飲むって約束だもんねー
―――士郎はその辺で素振りでもして来なさい、とりあえず百万回」
ねー、って感じで俺達の間に現れたタイガー。
もう既にかなり酔ってるらしく、その言動のそこかしこが理不尽だ。
「セイバーちゃん。これこれ。
セイバーちゃんへのプレゼント。
大変だったんだからー、お爺様の蔵から持ち出してくるの。
ジャジャジャジャーン♪
―――秘蔵、とらぎんじょうーーー♪
すっごい美味しいんだって、一緒に飲もうよぅ」
なぜにドラ○もん効果音!?
しかもアレが幻の虎吟醸だって!?
名酒中の名酒と呼ばれる虎吟醸は、一年に一本しか作られないと言う貴重酒。
まさかライガ爺さんが持っていたとは。
しかもそれを孫に盗まれるなんて・・・不憫。
それを聞いた遠坂と桜も集まってきた。
「それほど美味しいなら是非いただいてみたい。
タイガ、よろしくお願いしまふ」
もしかしてセイバー、酔ってるんじゃないのか?
さっきから口調がちょっと変だ。
だとするとヤバイ。
確か虎吟醸のアルコール分はかなり高かった筈。
コップに注がれた虎吟醸は超高級日本酒の名の通りに見事に澄み切っていた。
その酒を一息に、んぐんぐっと飲み干すセイバー。
止める暇もありゃしない。
「あ、あ、ああ!セイバーちゃん、高いんだから一気飲みとかしないで味わって飲んでよぅ」
藤ねえが買ったわけじゃないだろ。
「藤村先生。わたしにもちょっと飲ませてくれませんか。
わたし、日本酒ってダメなんですけど、そんなに美味しいならいけるかも」
「ダメです。遠坂さんは未成年でしょ。
―――それにこれは私とセイバーちゃんの為に盗んできたのっ」
ハフハフと鼻息も荒く遠坂の申し出を却下する藤ねえ。
元々酒を飲ませたのはアンタだろう!
しかも盗んできてえばるな!
さすが理不尽大王は伊達じゃない。
そうこうしてるうちにセイバーは一息に虎吟醸を飲み干していた。
ぷはーって親父かい!
「素晴らしいです!
こんな酒が存在するなんて・・・
これが本当の酒だというのなら、私の今まで飲んでいた酒はなんだったのでしょう」
食事の時もそうだったけど、セイバーって恵まれてないよな、そういうの。
仮にも王様だろ・・・
「でしょでしょでしょー。これはねーお爺様の秘蔵の一本で、
いっつも分けてくれないから、いつか奪い取ってやろうと思ってたの。
セイバーちゃんと一緒に飲める今日が勝負―――って思ってたのよぅ」
人懐っこい笑顔を浮かべる藤ねえ。
その笑顔に邪気はなく、まぁ、悪いと思ってないんだろうな、きっと。
ライガ爺さんお気の毒・・・
「もう一杯いただけまふか?タイガ」
「もちろんよー、セイバーちゃん。
セイバーちゃんと一緒するために持ってきたんだから」
コポコポと紙コップに注がれる虎吟醸。
それを羨ましげに見る遠坂。
おい、そんなに飲みたかったのかおまえは。
コップに並々と注がれた酒を、セイバーは一度だけ覗き見る
腰に手をあて、これから飲みます、なんてポーズで
セイバーは一気に飲み干した。
「んぐっんぐっんぐっ―――」
おいおい、また一気かよ。日本酒だぞ、ヤバイだろそれは。
隣で心配する俺を余所目にセイバーはコップ一杯の酒を飲みきる。
「ふー、おいしいれす。さすがタイガら、このおうなすはらしい酒をもっていおうとは」
おい、騎士王。呂律が回ってないぞ、そんなんでいいのか。
行儀良く正座はしているが、頭はふらふらと揺れている。
完全に酔ってるなこりゃ。
「セイバー、そのくらいで止めとけって、日本酒は後でまとめて酔いが来るんだから」
「しろう、だいじょうぶれす。このていろの酒にのまえるわらしであありませ・ん・・・」
こてん
言うが早いかそのままセイバーは倒れこんだ、その……隣にいた俺の胸に。
―――そりゃ許しませんよ。
誰って、今にも叫びだしそうな雰囲気で俺に迫ってくる二人の姉妹が。
ズンズンズンと効果音を伴って一歩一歩迫ってくる。
二人の息はまるで二人三脚のようにピッタリだー。
「しろ―――」
「せんぱ―――」
俺は二人の目の前に手の平を広げ、大声を制す。
「待った。騒ぐとセイバーが起きちゃうだろ。
文句なら後でいくらでも聞くから、とりあえず静かにしてくれ」
二人揃って俺の胸で静かに眠るセイバーの顔を覗く。
その寝顔があまりに幸せそうだったからか、二人はそれ以上大声を出す事はなかった。
「くっ!今日だけよ。
士郎、今日だけは許してあげる。。
セイバーはわたしの大事なサーヴァントなんだから。
そんなに無防備に眠るセイバーなんて、わたし今まで見たことなかったもの」
歯軋りが聞こえるほどの苦渋の表情で告げる遠坂。
ごめんな、後で何でもしてやるからさ。
今だけは勘弁してくれよな。
interlude in
・・・
・・
・
ふん、まったく士郎もセイバーには甘いんだから。
でも、ま、わたしもセイバーの幸せそうな寝顔を見たいから、今日だけは勘弁してあげる。
―――わたしも甘いわね、ホント。
はぁー、とため息をついて、それが士郎の良いところだからしょうがないかなー、などと考える。
ふと見ると、隣にいる桜がなにやら思いついたのか、ニヤリと笑っている。
ん、また何か思いついちゃったのかしら、この娘。
最近の桜のはっちゃけぶりは、留まるところを知らない。
今までの桜は擬態どころか、別人格だったようね。
それはそれで姉としては嬉しいのだけれども。
そんな事を考えるわたしを尻目に
桜はツカツカと藤村先生の下に歩み寄り、バババッと虎吟醸を奪い取る。
藤村先生が反応できない程の速度とは、我が妹ながら侮れないわね。
そのまま士郎の側にツツツと歩み寄ると、先ほどのセイバーよろしく一気飲み。
なるほど、酔っ払ってセイバーの二番煎じを得るつもりね。
でも甘いわ、桜。
遠坂の血筋は人並みはずれて酒に強いのよ。
その程度の酒に酔い潰されることは有り得ないわ、残念ね桜。
だが、どうやらわたしは桜を甘く見ていたようだ。
自らの迂闊さを呪う。あの女は勝つためなら何でもやるのだから。
ポロッと紙コップをこぼし、一言。
「ああーん、先輩。わたし酔っちゃいましたー」
ふらふら〜と士郎の胸に寄りかかる。
右側の胸にセイバーのいる士郎はもちろん避ける事はできない。
「え、えんぎーーーーー!?」
士郎の胸に倒れこむ直前。わたしにだけ見えるように桜は邪悪に微笑んだ。
(ふっ、甘いです姉さん。利用できるものは全て利用するのが戦術と言うものですよ)
あの笑みに含まれる、桜の言葉を瞬時に判断してしまったわたし。
「ぎりりっ!!」
歯も砕けんばかりに歯軋りをするが、もう後の祭りだ。
士郎は、困った顔をしつつも、『やれやれ』なんて顔で桜を胸に抱き寄せているし。
反対側のセイバーも起きる気配はない。
呆然と立ち尽くすわたしに、士郎は手を合わせて『ごめん』と無言で謝っている。
くっ、あのすっとこどっこい。
後で平手打ちの一発や二発は食らわせないと気が済まないんだから。
ふんっ、と横を向くわたしの服が、チョイチョイと引っ張られる。
「ね、遠坂さん。そんなところで立ち尽くしてないで、一緒に飲みましょうよぅ。
ねね、虎吟醸分けてあげるから、ね」
虎吟醸にはもう興味はなかったが、この溢れる怒りを収めるには酒が一番かもしれない。
無言で手を合わせ続ける士郎を無視してわたしは藤村先生の誘いに乗る事にした。
・・・
・・
・
interlude out
俺の右胸にはセイバーの寝顔。
目の前には、不承不承ながらも俺を許してくれた遠坂と桜がいる。
やれやれふたりとも、相当怒ってるみたいだな。
後でお小言の一つや二つは覚悟しなければならない。
だけど、まあセイバーのこんな寝顔が見れるからいいかな、なんて満足する。
しかし、気が付くと俺の隣にドーンと仁王立ちする桜の姿。
その顔は最近では見慣れた桜のほのかに黒い笑みだった。
桜、なんか良からぬ事を考えてるだろ。
やっぱり姉妹だ、この二人は根源では似通っている。
そんな俺の予想を上回る奇行に出る桜。
手にした酒を一気よろしく飲み干す。
「んっんっんっ」
えーっと、何の真似でしょうか、桜さん?
この後の展開がなんとなく読めてしまうのですが・・・
ぷはーーーっ、と飲み終えた桜の顔は少しだけ赤くなっていた。
紙コップを手放し、俺に抱きつきながら桜さんは言いました
「ああーん、先輩。わたし酔っちゃいましたー」
なんですとーーーーー!
でも予想通りーーーーーー!
桜はウソ禁止っていっただろーーーー!
混乱した俺は心の中で叫び続けた。
口がパクパクするばかりで声は出ていなかったのだが。
だが隣にはセイバーもいるし、逃げるわけにもいかない。
測らずしも右胸にはセイバー、左胸には桜と美女二人をはべらす羨ましい男の完成だ。
こ、これはお小言ではすまないかも……平手打ちか!?
だって遠坂の歯軋りがここまで聞こえる。
こう「ぎりぎりっ」って。
とりあえず手を合わせて謝る。
(ごめん!)
合わせられた手には、精一杯の謝罪を込めたつもりなのだが・・・
伝わってないな、あれは。
遠坂は『ふんっ』と横を向くと、藤ねえと一緒に酒盛りを始めてしまった。
ふぅ……かなり怒ってるな遠坂のヤツ。
これは平手打ちではすまないかもしれない。
ベアナックラーリンの登場か!?
その時、少し強めの風が吹き、春の息吹が桜吹雪を運んできた。
舞い散る桜の艶やかさは、そんな俺の些細な悩みを吹き飛ばしてくれる。
そうだな。まあ遠坂のことはひとまず置いておいて、
今日はまだまだ長いことだし。
とりあえず、この二人とのんびりするとしましょうか―――。
下を見るといつのまにか桜も寝てしまったようだ、目をつぶって静かにしている。
俺は二人を起こさないように気をつけながら、体をずらして寝転がった。
二人とも寝ちゃったみたいだし、俺も少し寝ても構わないだろう。
目をつぶって意識を空に向ける。
目が見えないせいか、暖かな春の空気をより一層感じることができる。
落ち着いた気分のまま、さあ一眠りしようかと考える。
そして聞こえる歌声。
花の色は うつりにけりな いたずらに わが身世にふる ながめせしまに―――
それはどんな呪文だったのだろうか。
鈴のような声でつむがれたそのスペルは、驚く事に日本人のものではなかった。
「え!? 今のセイバー?
―――起きてたのか?……」
「はい、シロウ。起きています。
今日はお見苦しいところをお見せしました。
ですが、もう少しだけこのままでいさせて欲しい」
セイバーは目はつぶっているが、どうやら先ほどから起きていたようだった。
「ああ、それはいいんだが、それより今のは?
なんだか和歌のようだったけど」
「―――先輩、知らないんですか?
今のは小野小町の和歌ですよ」
「さ、桜も起きてたのか?」
ギョッとして左胸を見る。
「はい、寝てしまうのももったいなかったんで、目をつぶってました」
平然と言いのける桜。
まぁ、さっきのが演技だとは分かってたからいいけどさ。
「それにしても日本語とは本当に奥が深い言語です。
学んでみて初めてわかります
―――たったこれだけの言葉に、伝えきれないほどの思いを込めることができるのだから。
少なくとも英語では、こうはいきません」
そうか最近日本を学んでいるセイバーは、きっと和歌も勉強してるんだな。
セイバーは日本のことを第二の故郷と言っていた。
別に俺が褒められたわけではないのだが、セイバーが日本を好きでいてくれるのは正直嬉しい。
この分だと日本を発つ頃には、セイバーは俺よりも日本通になってるかもしれない。
それにしても、セイバーは何を言いたかったのだろう?
今の和歌にどんな意図を込めたんだろう?
俺にはさっぱりわからなかった。
「もう鈍いんですね、先輩。
セイバーさんはこう言いたかったんですよ。
『この見事な桜も時間の経過と共にいつかは散ってしまうように……
今日この日の美しい思い出もいつかは私の胸から消え失せてしまうとしたらなんと悲しい事か』」
セイバーは何も答えない。
なら、今の桜の答えは正しいという事だ。
そうか……セイバーは今日のことを楽しかったと思ってくれたんだ。
そして、おそらくセイバーにとって『初めての楽しい』がいつか薄れてしまう事が怖い……
ならセイバーに教えてあげるのは俺の役目だ。
「大丈夫だよ、セイバー。
確かに今日の記憶なんて何年もすれば失われるかもしれない。
話した内容や、弁当の中身なんかの細かい事なんてきっとすぐに忘れてしまうだろう。
―――でも、今日この日が楽しかったって思いだけは、きっといつまでも心に残る。
この桜の木を焼き付けておけば、桜を見るたびにきっと思い出すさ。
それに楽しい事が今日一日で終わりなワケじゃない。
確かに今年の花見は今日で終わりだけど、
夏になったら夏の、秋になったら秋の楽しみをこれから見つけていけばいい。
ここにいるみんなと一緒にな」
それは俺が俺自身へ向けた言葉でもあった。
全てを失ったあの火災から、俺の中には楽しいという感情が無くなった。
あの聖杯戦争が始まるまで、俺は自分を偽った歪んだ感情でずっと生きてきたんだ。
―――でも、今は違う。
遠坂がいる。みんながいる。みんなを幸せにするためには、俺が幸せじゃないといけないと分かっている。
「なあ、セイバー。夏になったらみんなで海に行こう。きっと楽しいぞ
もちろん桜も行くだろ?」
「……」
「……」
なんだ二人とも本当に寝ちゃったのか?
二人とも俺の胸で寝息を立てて幸せそうに眠っている。
ちぇ、せっかく格好いいコト言ったのになー。
でも、ま、いいか。
上を向いて寝転がっている俺。
春の陽気のおかげで、俺も徐々に眠気に襲われつつあった。
眠りに落ちる直前に見たその景色は、
抜けるような青空と、雪のような桜吹雪。
それは余りにも鮮やかな青とピンクのコントラスト。
朝からずっと心に感じていた空と桜。
ああ、なんだ。今ごろ気づいた。
楽しかった今日という日は、俺の胸にいる二人の色そのものだったのだから・・・
春の眠気に押し切られ、眠りに落ちる俺。
え、赤はどうしたって?
それは起きたら考えるとしよう。
とりあえず今はこの幸せな気分のまま眠りたいから……
エピローグ1 <赤>
目が覚めると少し涼しくなっていた。
太陽は既に中空には無く、日は傾きつつある。
果たしてどのくらい寝ていたのだろうか。
途中で寝返りを打ったのか、懐の二人はそれぞれ俺の脇で寝ている。
ハタから見ると川の字になって眠る家族に見えるかもしれない。
真ん中が一番長いのはご愛嬌、てところだな。
んーーーーっと、背伸びを一発。
そろそろ二人を起こそうかと考えていると、突然ソイツはやってきた。
「士郎、目が覚めたようね。ちょうど良かったわ」
寒気がくるほどの遠坂の気合。
ああ、気合入ってるなー、遠坂。
他人事のように考える自分に苦笑しつつ覚悟を決める。
「まぁ怒るよな、当然」
「まあね。士郎は怒ってないと思ったの?」
怒りのためか遠坂の顔は赤い。
ああ、こりゃベアかな、やっぱ。
「いや、もちろん思ってないぞ。
―――それよりも悪かった。今回は俺が全面的に悪い。
遠坂の気の済むようにしていいぞ」
全面降伏、ちょっと情けないがこれがベストの選択肢だろう。
確かに遠坂にしてみれば、今日のことは頭にくる事ばかりだったかもしれない。
「よく言ったわ、士郎。
じゃあ、目を瞑って歯を食いしばりなさい。
これ一回で全部帳消しにしてあげるんだから安いものでしょ」
なんかさっきより赤くなってるぞ、遠坂の顔。
こりゃきついのが来そうだ。
俺は黙って目を瞑る。
考え付くのは
―――見えないといつ来るかわからないから、恐怖が倍増だなー。
とか
―――あんまり騒ぐとセイバー達が起きちゃうかもなー。
とか、どうでもいい事ばかり。
「歯を食いしばりなさい!」
来るっ!
そう思った後もいつまでたっても痛みは訪れず、
変わりに
チュ♪
遠坂の唇が重ねられた。
「え?」
「目を開けて士郎。大事なこと言うから」
ちょっと怒り気味のその声。
言われなくても目を開ける。
目の前には深呼吸をする遠坂。
そしてその口から紡がれるそれは、果たしてどんな効果のスペルだったのか。
「―――好き……遠坂凛は、衛宮士郎のことが大好き」
っっ!な、なんだ?これはいったいどういうことだ?
殴られるはずが一転して好き!?
いきなりの展開に頭が巧く動いてくれない。
真っ赤になって照れつつも、真っ直ぐに俺を見続ける遠坂。
「言う事、あるでしょう?貴方にも」
ぶっきらぼうに横を向く遠坂。
そうして気づく。
そういえば遠坂に好きって言われたの初めてだ……
ごまかしたり、曲げて言ったり、アイツはそういうヤツだと思っていた。
真っ直ぐに好きだって言うのは嫌いなんだなって。
急転直下の告白に慌てた俺だったが、
幸いにも今一番言わなければならない事は見つけることができた。
「―――ああ、俺も遠坂が好きだ。本心から」
いくら夕焼けの中とはいえ、二人の顔は真っ赤。
知らない人が見たら、何事かと思うだろう。
でもいいんだ。
だって赤く照れる遠坂は、今迄見たどんな遠坂よりも可愛かったんだから。
「今のは不意打ちだったけど、
これからは一日一回キスしてくれないと許さないんだから。
わたしにこんなことを言わせたんだから当然よね」
それだけ言うのが精一杯だったのか、遠坂は背を向けてしまう。
そんな彼女の一歩手前まで歩いていく。
「遠坂。一つ聞いていいか?」
後ろ向きの彼女は不満気にこちらを振り向く。
「なによー!、今更何を言っても無駄・・・」
言い切る前に唇をふさぐ。
今度はこちらからの不意打ち。
遠坂が不意打ちに弱いのはもう折込済みだ。
きっと十秒後、硬直から解けた彼女はさらに真っ赤になって怒るだろう。
だからその前に一つ言っておかなきゃ
「別に一日に二回でも構わないんだろう?」
俺に不意打ちを喰らったのが悔しかったのだろう。
しかし、そう言われたら怒る事もできないのか―――
赤い顔のまま遠坂は腕を組み、不満気に口を開ける。
その言葉は、いつもの口調で、そして俺の予想した通りの答え。
「あったりまえでしょう!アンタはもうあたしのものなの!
―――頼まれたって一生離してなんかやらないんだから」
遠くから虎の咆哮が聞こえる。
「がぉーーーーーーっ!
ちょっとちょっとちょっとーーーー一体どこのラブコメだーーーーーい!!
黙って見てるって約束だったけど、もう勘弁ならないわよーー!
一日一回とか、そんなのおねえちゃん、ゆる・しま・せーーーーーーん!!!」
春の公園に響き渡るタイガーの絶叫。
そういえば藤ねえはどこに行ったんだろ?
エピローグ2 <黄色?>
そこには桜の策略にはまった女二人、夢破れて山河有り、兵どもが夢の後。
勝負に敗れた女が、二人寂しく虎吟醸をかわす。
「ちょっと聞いてます?藤村先生!
あいつ、両胸に女の子二人をはべらかして、何様のつもりですか!?」
「ちょ、聞いてるから、遠坂さん。ちょっと落ち着いて、ね?
ほら、虎吟醸もう一杯飲む?」
「いただきます。
でも、これが落ち着いてなんかいられますか!
士郎も士郎だけど、あの二人もあの二人です。
帰ったらこってりと搾ってあげるんだから」
イライラしたまま手に持つ酒を口に運ぶ。
脅威の真空飲みで、一瞬よ、こんな酒。
んぐんぐっ!
ぷはーーーーっ、
空になったコップにすぐさま注いでくれる藤村先生。
さすが体育会系、こういうの慣れてるんだ。
「そう、そんなに嫉妬するくらい士郎のことが好きなんだ、遠坂さん」
嫉妬!?
このわたしが士郎に嫉妬?そんなバカな!
この気持ちが嫉妬の訳が……
……嫉妬だ。
間違いなく嫉妬だ。
セイバーも桜も私にとって家族同然なのに、そんな近しい人に対して嫉妬に狂う。
なんて醜い。
いやな女だ、わたし。
「そうですね、嫉妬に狂ったみっともない女です。わたし」
ちょっとブルーになる。
常にポジティブシンキング、人生前向きが信条のわたしがこんな弱音を吐くなんて、
普段なら到底考えられない。
もしかして、たったあれっぽっちのお酒で酔ってしまったのだろうか?
「あ、ちがう、ちがう。
そういうこと言ってるんじゃないのよ、遠坂さん。
ただね、そんな遠坂さんだから、士郎も好きになったのかなって」
「え?」
「きっとね、士郎はみんなを好きなの。
全てを愛せよ、ってワケじゃないけど、士郎は誰をも好きなのよね。
―――でもね、遠坂さんは特別。
見てればわかるもの。きっと士郎は好きに順番をつけたりしないけど、
それでも一番上はきっと遠坂さんなんだと思う」
ぐびっと酒を飲みながら答える藤村先生。
その表情は真剣で、いつものおちゃらけは感じられない。
「あの・・・藤村先生は士郎の事好きなんですよね?」
「もちろん、大好きよ。
でもその感覚は貴女たちとは違うのよね。
私はただ士郎に幸せになってもらいたいだけだから。
―――あの子はね、衛宮の家に来てから幸せを知らないのよ。
だからあの子を幸せにできるのが遠坂さんなら喜んで士郎を任せることができるし、
それが私の役目なら死んだって譲ったりはしないの」
そんな事を当たり前のように言う藤村先生は、とても優しく、
こう言ったら怒られるかもしれないが、まるでわたしの知らないお母さんみたいだった。
「あら、切れちゃったみたい。惜しいなぁ、せっかく美味しかったのに」
空になった酒ビンを物惜しげに覗いている。
まだまだ飲み足りなそうな先生は、きっと私以上の酒豪なのだろう。
士郎はやけに怖がってたけど、どこが怖いのか私には全然分からなかった。
「虎吟醸も終わっちゃった事だし、遠坂さんも行って来たら?」
「えっ……どこへですか?」
「だーかーらー、士郎のところによ。
―――言いたいコト、あるんでしょー?
たまには周りの目なんか気にしないで、言いたいコト言うものよ」
今日の藤村先生、やけに鋭い。
いつもはこんなじゃないのに……これはお酒のパワー?
藤村先生は立ち上がって私の背を押す。
「私はここで黙って見てるから、がんばってね」
そういってウインクする藤村先生は年相応の大人の女性だった。
それを見て、わたしなんてまだまだ子供なんだなって分かってしまった。
でもこれだけは言っておかないと。
「はい、ありがとうございます。
でも、藤村先生。
わたし二ヶ月前に誓ったんです。
―――士郎を最高にハッピーにするって。
だから、士郎をロンドンに連れていきます。今のうちに謝っておきますから」
呆気にとられる藤村先生を置いて、わたしは走り始める。
「言ったわねー、遠坂さん!
私だって桜ちゃんだって、そう簡単には士郎を渡さないんだからー」
背後に聞こえる先生の声。
今回はちょっとだけ助けられちゃったな……
でも、それとこれとは別の話。
藤村先生にも桜にも、それにセイバーにだって、士郎は渡さないんだから。
とりあえず、木の下で背伸びをしている少年に言わなければならないことがある。
ずっと言いたくても言えなかったその言葉……
今なら目の前まで走っていって、きっと言うことができる!
―――好き、遠坂凛は衛宮士郎のことが大好きっ。
後書き
はい申し訳ありません。既存「花見酒」の後編をぶった切っただけです。
もちろん違和感が無くなるように、細かいところは色々と修正してありますが……